味見をどうぞ

22/31
前へ
/31ページ
次へ
―商品発表会当日 「おはようございます、今日は宜しくお願いします」 発表会は午後からだったが、準備の為に和也と翔真は午前中に会場に入った。ステージのある会場とは別に用意された控え室に入るとすぐ、大石が顔を出した。 「和也先生、おはようございます」 「おはようございます」 「いよいよですね」 「はい…」 緊張した面持ちの和也に、大石は「リラックスして、いつも通りで大丈夫ですよ」と微笑んだ。 和也がぎこちなく微笑み返すと、隣にいた翔真が大石を見て首を傾げた。 「あれ?課長?こちらにいらっしゃるのは午後からじゃ…」 「えっ」 翔真の言葉を聞いて、和也が大きく目を見開いた。翔真はしまった、と言わんばかりに慌てて口元を押さえたがもう遅い。大石が苦笑いして翔真を見ている。 「ああ…こちらに来るのがギリギリになってしまうかも知れなくて。本番前に、どうしても先生にご挨拶したくて来たんだ。すぐ社に戻るよ」 そう言って改めて和也に向き直ると、大石は再び口を開いた。 「先生ならきっと大丈夫です。本番中は私もずっと隣に居ますから…先生のレッスン、楽しみにしています。一緒に頑張りましょうね」 「はい!…あの、わざわざ忙しいのに来て下さってありがとうございます」 「私が来たかっただけですから、気にしないで下さい」 「それでは後程」と言うと、大石は足早に控え室を出て行った。 社交辞令だとしても、自分に会うためにわざわざ来てくれた事が嬉しかった。会場に到着してから和也はずっと緊張していたが、それが少し和らいだ気がした。 「和兄、そろそろ準備!」 「うん」 翔真に声をかけられ、我に返る。 ここからが勝負だ。切り替えると荷ほどきをし、翔真に指示を出すと自らも準備に取り掛かる。 13時からの発表会まで、あと3時間を切っていた。 『本日はご来場下さいましてありがとうございます。間もなく…』 会場内に流れるアナウンスを、和也はステージ裏で最終確認をしながら聞いていた。 翔真は表に出て会場案内を行うため、早々に控え室を出ていってしまった。残された和也は翔真が出ていってから暫くして他のスタッフに呼ばれ、先程ステージ裏に移動してきたばかりだ。 午前中、準備の為開場前のステージに立ちセッティングや段取りの確認をしたが、大石や翔真が気遣ってくれたのか、レンジや冷蔵庫、シンクの場所など普段料理教室を行うキッチンスタジオとほぼ同じ配置だった。 今和也の居る場所からステージの表側を見ることは出来なかったが、開始時間が迫るにつれて喧騒が大きくなっていくのが嫌でも分かった。思わず耳を塞ぎたくなる気持ちを抑え、大きく深呼吸する。 今日の来場者は、業界関係者、メディア関係者合わせ30名前後だと聞いている。普段行っている料理教室のざっと4倍の人数だ。想像して、和也は思わず身震いした。手元の、びっしりと文字が書かれたメモに目を通し、何度も何度も確認する。 ―イベント開始、10分前 「遅くなってすみません!」 バタバタと駆け足で大石がステージ裏に現れた。和也は緊張で顔が強張っていたが、いつも料理教室に来る時と全く同じ大石の様子に思わず口元が綻んだ。 「お疲れ様です」 大石は荷物を置くと、急いでエプロンを着け和也の横に立つ。二人が顔を合わせて打ち合わせ出来たのは結局1回のみだった。会議室でもっともらしく座っての打ち合わせで、リハーサルなんてレベルのものではない。大石は何を作るかメニューは知っていてレシピも一応見てはいるが、実際に作るのは初めてだった。 「今日は牛スジの煮込みと、ショートパスタですね」 「はい」 「緊張もしていますが…作った事が無いので楽しみです」 「!」 大勢の前でのデモンストレーションを、楽しみだというのか。和也が驚いた顔で大石を見ると、彼は穏やかに微笑んだ。 「確かに、緊張はします。私も人前に出ることなんか殆どありませんから…。でも、最近レッスンに参加できていなかったし、和也先生のレッスンが純粋に楽しみなんですよ。プライベートだろうと、仕事だろうと。どうせやるなら、楽しまなきゃ損じゃないかなって思うんです」 「しかも今日はマンツーマンですしね」と嬉しそうな大石につられて、和也も思わず笑顔になった。 「大石さんらしい…」 「そう!その顔です!」 「…!」 大石がギュッと和也の手を握った。 「先生のレシピと、素敵な笑顔で、一人でも多くの人に料理の楽しさを伝えましょう」 「…はい!」 『それでは商品のデモンストレーションを行って頂きましょう!お願いします!』 出番だ。 大石は手を離すと頷いた。 それに応えるように頷き返すと、和也は表のステージへと上がっていった。 和也に向けられるたくさんの視線 無数のフラッシュ 向けられたカメラ 眩しい表のステージはクラクラした。踏ん張らないと立っていられない程の見えない「圧」を感じ、和也は思わず息をのんだ。遅れてステージに上がった大石がトントン、と軽く背中をたたくと、ようやく和也はゆっくりと息を吐き出す。 「本日は料理研究家の佐々木和也先生に、この電子レンジ圧力鍋を使ったレシピをご紹介頂きたいと思います!」 司会者に視線を向けられ、和也は軽く会釈をした。 「ただ今ご紹介に預かりました、料理研究家の佐々木和也と申します。本日は料理教室のような形式で、こちらにいるスタッフと共にレシピを紹介していきたいと思います。宜しくお願い致します」 再び大石と共に頭を下げると、調理に取り掛かった。 「ではまず、牛スジの煮込みから作っていきますね。まずは下茹でをしていきます。牛スジを鍋に入れ水をいれ、火にかけます。沸騰したら1分程煮て、ザルに上げます」 「最初は圧力鍋に入れないんですね」 大石が不思議そうな顔で作業していく。 「はい、臭みを取るため茹でこぼしをしていきます」 「なるほど!」と言いながら作業を進める大石は、本当にいつも料理教室で見ているようなプライベートモードだった。彼だけ見ていれば、いつものレッスンのような安心感がある。 「では、沸騰を待っている間にパスタに取り掛かりましょう」 「はい」 しかし大石ばかり見ていられないので、度々会場全体に伝えるように話しかける。会場全体を見る度、見えない『圧』に押し潰さそうで和也は必死に踏ん張っていた。 「今日はペンネというショートパスタを使います。では、材料…ペンネ、ウインナー、ニンニク、トマト缶、塩コショウ、水、コンソメ、薄切りの玉ねぎを全部入れて混ぜます」 「えっ!パスタを茹でずにそのまま混ぜちゃうんですか?!」 素直に驚く大石に和也は一瞬キョトンとしたが、次の瞬間可笑しそうに笑った。それにつられて、見ている人達からもクスクスと笑い声が上がる。 「そうです、そうです。そのままで大丈夫。後は圧力鍋がやってくれますから」 「分かりました」と大石は恥ずかしそうに笑い、言われた通りに材料を全て鍋に入れ混ぜ合わせると、電子レンジに鍋を入れ、指定された時間を設定しスタートボタンを押した。 「さ、牛スジ沸騰して1分くらい経ちましたね。ザルに上げて少し冷ましましょう」 「はい」 「冷ましている間に玉ねぎ、ニンニク、生姜を切っておきます。牛スジは粗熱が取れたら一口大に切りましょう」 言われた通り、大石が作業していると「ピピピッ」と音がし、ペンネの加熱が終了した。すかさず和也が取り出し、まだ牛スジを切っている大石の隣に持ってきた。蓋を開けると、湯気と共にトマトのいい香りがする。 「ペンネは取り出して全体を混ぜ、もう1度加熱します」 「あっ、出来上がったんじゃないんですね」 大石の言葉に、和也は微笑んだ。 「味を全体に馴染ませる為です」 「なるほど!」 全体を混ぜ、再び蓋をすると和也はペンネの入った圧力鍋をレンジに入れスタートボタンを押した。それとほぼ同時に、大石も煮込みの具材を切り終える。 「先生!できました!」 「はい、では後はペンネと一緒で材料と調味料を全て鍋に入れていきます」 大石は言われた通り、全ての材料と調味料を入れて蓋をするとレンジに入れスタートボタンを押した。ピピッ、と程なくしてペンネの方が出来上がり、大石がレンジから鍋を取り出した。 「ペンネ、出来上がりです!牛スジはあと10分で出来上がります」  2人して会場全体に笑顔を向ける。 大石に教えながらのデモンストレーションはあっと言う間に終わった。和也はペンネ皿に盛り付け、撮影用にセッティングされたテーブルへと運んだ。 「今、皆様の元に先生が予めこの電子レンジ圧力鍋で調理して下さったペンネと牛スジをお配りしています!どうぞご賞味下さい!」 いい香りが会場全体に立ち込め、アナウンスと共に観覧者達が試食を始める。その様子を、和也は少し緊張した面持ちで見つめていた。 「美味しい!」 「柔らかいね」 「味しみてる!」 「ペンネ、ぷりぷりで弾力あるね」 笑顔と共に小声で聞こえてくる会話に、和也は小さく安堵の溜め息をついた。その様子に気付いた大石が、「見て下さい」と小声で囁いた。 「和也先生のレシピから、このたくさんの笑顔が生まれたんですね」 和也はハッと目を見開く。 そう言われた瞬間、ずっと会場から感じていた『圧』がフッと消えた。そしてそれは、今、この場で自分を支えてくれる『力』に変わったのだ。 沢山の人が見る中、孤軍奮闘していると思っていた。しかし、その観客達が一瞬にして援軍に変わったのだ。 大石の方を見ると、彼は優しく微笑んだ。 ピピピッ 牛スジも出来上がったようだ。和也は手早くレンジから出すと皿に盛り、撮影用のテーブルへと運んだ。 全く知らない人々が集まり、自らのレシピで作った料理を食べ、笑顔になる…普段料理教室で見ている筈なのに、今日は人数が多いからだろか熱量が多く、全身が包み込まれるようだった。 今まで、大人数の前に出るのは怖かった。 冷たい感じがして、孤独だった。 でも、今、ここはとても温かい… 「さあ、それでは商品紹介に参ります!そのまま食べながらで結構ですのでお聞き下さい。佐々木先生、本日はありがとうございました~」 うまい具合に司会者がまとめると、和也と大石はお辞儀をしてステージ裏へ戻った。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

224人が本棚に入れています
本棚に追加