味見をどうぞ

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一週間後。 大石と待ち合わせたのは、前回一緒に食事をした小料理屋だった。和也は急いで仕事を片付け店に向かうと、店の前に立つ大石を見付け駆け寄った。 「すみません!お待たせしてしまって」 「いやいや!まだ時間前ですし、私が早く着いてしまっただけなので気にしないで下さい」 息を弾ませながら詫びる和也に、大石は微笑みかけた。 「さ、中に入りましょうか」 「はい」 大石に促され、二人は紺色の暖簾をくぐった。 「いらっしゃい」 「こんばんは」 「こんばんは、お久しぶりねぇ」と老婦人は優しい笑顔で迎えてくれた。前回と同じカウンターの席に座るとすぐ、温かいお絞りを出してくれた。 「ありがとうございます」 「あの、早速なんですがこれ、先生に…」と言いながら手を拭いて早々に、大石が和也に筒状の紙袋を差し出した。和也は不思議そうに受け取り中を覗く。 「出していいですか?」 「はい」 「焼酎だ…初代亀蔵…?」 「以前米焼酎を試したと仰っていたので。これはスーパーなどではなかなか手に入らないものです。シェリー酒を貯蔵する樽で熟成させたもので、シェリー酒の甘くて上質な香味と本格米焼酎の香味が絶妙にマッチして美味しいんですよ」 「私も、自分へのちょっとしたご褒美なんかに買ったりします」と微笑んだ。 「へぇ…美味しそう」 「飲んでみますか?」 「えっ、でも…」 チラリと店主の老婦人を見た。基本的に飲食店への持ち込みはご法度だ。すると、老婦人はにこやかに答えた。 「大丈夫だよ。大石さんから話を聞いてるから。飲み方はどうする?」 「あっ、ありがとうございます。じゃぁ水割りで…大石さん、せっかくだから一緒に飲みませんか?」 「えっ、いいんですか?」 「勿論!」 「ならばお言葉に甘えて」 「飲み方は?」 「ロックでお願いします」 「はいよ。お料理も決めといてね」 和也から焼酎の瓶を受け取ると、店主は微笑んだ。和也はそのまま、カウンターの上のおばんざいに目をやる。 今日は高野豆腐の煮物、筑前煮、小鯵の南蛮漬け、小松菜と油揚げの煮浸し、なますだった。どれも色鮮やかで美味しそうだ。 「大石さん、どうしますか?」 何処か楽しそうな和也に、大石も自然と笑顔になり「先生が好きなもので」と答える。 「じゃあ…筑前煮となますを。あとは、ここのおばんざい以外で大石さんのおすすめが食べたいです」 「そうですねぇ…」 「若いし、お肉とかがいいんじゃないかい?」 「はい、水割りとロック」と飲み物を置きながら店主は話しかけた。 「じゃぁ、鶏の西京焼きと…魚も食べたいからキンメの煮付けお願い」 「はいよ」 店主がおばんざいの皿から筑前煮となますをそれぞれ盛り付ける。 「とりあえず、乾杯しましょうか」 大石に言われ、和也は頷いてグラスを持った。 「お疲れ様でした。乾杯」 カチン、と軽くグラスをあて口をつけた。 「甘い…!」 何も食べずに口に含んだそれは、まるで食前酒のように甘く感じた。後味はさっぱりしていて、フワッと口内に果実のような芳醇な香りが残る。 お酒だけでグイグイ飲めてしまいそうだった。 大石が苦笑いしながら、「飲みやすいから気を付けて下さいね」と声をかけた。 「はい、筑前煮となます」 「ありがとう」 「「いただきます」」 手を合わせると、二人は料理に箸をつけた。 大きめでシンプルな瀬戸物の煮物鉢に盛り付けられた筑前煮は、飾り切りされた人参と散らされた絹さやが鮮やかだった。蓮根、ゴボウ、こんにゃく、鶏肉は薄く色付いている。少し大きめに切られた蓮根はホクホクとした食感で、びっくりするほど太いゴボウは歯ごたえが良かった。味もよく染みている。 「美味しい…!」 「うん、流石おかあさん、味にブレがない」 大石も満足そうに筑前煮を頬張り、焼酎を一口含む。暫し余韻を楽しんだ後、今度は硝子鉢に盛り付けられたなますに目をやった。 「なますって、お正月料理の?」 大根と人参のなますを口にしながら、大石が店主に話しかける。常連だが、なますは食べた事は無かった。 「そうだね。でも、だからって正月しか食べちゃいけないなんてことないし…私はよく作るよ」 「確かに」 和也は納得して頷きながらなますを口に運んだ。酸味が程良く効いており、大根と人参の甘みを引き立てている。擦り下ろして散らされた柚子もいい仕事をしていた。 「ああ美味しい…ホッとするなぁ…」 大石がしみじみと呟くとき、和也も頷いた。 「先生、改めて先日の発表会はありがとうございました」 「あ、いえ…少しでもお役に立てたのなら良かったです」 「いやいや!佐藤から聞いたかも知れませんが、評判も良くて販売予約の問い合わせも毎日来ますよ!本当にありがとうございます」 「あの…ステージのキッチン機材の配置とか、翔真や大石さんの指示ですよね?普段使ってるキッチンスタジオと同じ配置でやりやすかったです。こちらこそありがとうございます」 「気付かれたんですね」と大石は目を見開いた。 「配置を指示したのは、佐藤です。自分は一緒にステージに立ってフォローできないから、せめて先生が作業しやすい導線を作っておきたいと」 「翔真が…」 大石も翔真も発表会が成功したのは和也のお陰だと持ち上げてくれるが、実際はこの二人のフォローが無しには成功しなかったと、和也自身は思った。自分は言われた通りレシピを考え、実演をしたにすぎない。 「お二人には本当に助けて頂きました…お礼を言わなければならないのは寧ろ僕の方です」 「先生…」 「はい、鶏の西京焼きとキンメの煮付け」 トントン、とテンポ良く温菜が二品出てきた。 皮に香ばしい焼き目がついた鶏の西京焼きに、大ぶりのキンメを丸々1尾使った煮付け。余りの立派なキンメに二人は感嘆した。 「これは立派な…」 「本当に…」 二人の反応に、店主は満足げだ。 「大石さん、キンメ好きでしょ?今日先生と来るって聞いて、仕入れといたの」 「おかあさんには敵わないなぁ…」 大石は照れたように笑い、「この煮付けが絶品なんです。食べてみて下さい」と和也に差し出した。 「いただきます」 勧められるままキンメの身を割りほぐし口に運ぶ。 「…!ふわっふわだ!」 驚く和也を見て大石は満足そうに頷いた。 敢えて魚の味がしっかり分かるよう、煮る時間は短めのようで身は殆ど白い。しかし皮目にしっかり味がついており、白身の淡白な味にパンチをきかせている。脂ののりも絶妙だった。 感動する和也の横で、大石は鶏肉の西京焼きを口に運んだ。 「こちらの鶏肉も上品な味わいですよ。皮の香ばしさ、ほんのりした甘さがたまらないんです」 美味しそうな大石の表情につられ、和也も西京焼きに箸を伸ばす。 「西京焼きと言うと魚のイメージが強いですが、お肉とも相性抜群ですね!ご飯にも合いそう」 「今度作ってみようかな」とぶつぶつ考察を始める和也に、大石は苦笑いした。 「先生は本当に仕事熱心な方だ。たまには少し仕事から離れる事も大事ですよ?」 「もう職業病みたいなもので…たまには仕事から離れたいと思うんですが………あ」 「どうしました?」 突然何かを思い付いたような和也に、大石はキョトンとした。 「その、『先生』って言うのやめてもらえたら、少しはお仕事から離れられるかも知れません。現に今はプライベートな訳ですし」 「えっ…まぁ、確かに…」 大石は当たり前のように和也の事を「先生」と呼んでしまっていた為、指摘されて初めて気が付いた。確かにこれでは嫌でも仕事を意識してしまう。 「じゃぁ…佐々木さん」 少し戸惑いながら「佐々木さん」と呼ばれ和也は嬉しかったが、ここまできたらと欲が出た。 「それだと母さんも佐々木だから、自分が呼ばれてる気がしません」 「えっ」 多分今、自分はとても意地悪な顔をしているだろう。和也はじっと大石の次の言葉を待った。 「………和也、さん」 「はい」 ニコリと微笑むと、大石の頬に紅が差してゆく。 「僕の方が歳下ですし、敬語も止めて…」 伺うように大石を見ると、大石は益々顔を赤くした。 「それは…もう、勘弁して下さい」   降参、といったように両手を挙げるとカウンターの反対側から「ふふふふ」と店主の笑い声が聞こえた。 「長らく通ってもらってるけど、こんな大石さん初めて見たよ…あんまりいじめないでやっておくれ」 今や店主の老婦人が大石の本当の母親のように見えてくる。「残念だなぁ」と和也は微笑んだ。
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