味見をどうぞ

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「こんばんは!」 「こんばんは」 休み明け。 夜の部開始前、今日は翔真がアシスタントに入る日だ。翔真はいつも通り教室に入ると、身なりを整え準備に入る。メインキッチンで先に準備を始めている和也をチラリと見て話しかけた。 「そういや課長とメシ行ったんでしょ?どうだった?」 「んー?普通に楽しかったよ」と和也は作業しながら答えたが、どことなく元気が無いような気がする。 「へぇ…でも元気無くない?何かあった?」 「……」 翔真は和也が大石に好意を寄せている事を知っている。ご飯に行く前も、頑張れと声をかけてくれた。しかし、今の状況を話していいものかどうか和也は躊躇った。大石は翔真の上司でもあるのだ。 「大丈夫だよ」 「えっ…」 何が大丈夫なのだろうか。翔真には、和也が無理して笑っているようにしか見えなかった。しかしあれこれ詮索するのも躊躇われて口をつぐむと、和也が翔真の目の前に大根をドン、と置いた。 「15センチ幅に切っておいてもらっていい?それが終わったらお肉の計量ね」 「お、おぉ…了解!」 殊更明るく翔真に指示を出すと、和也は再び作業に集中した。手を動かしていれば、余計な事を考えずに済む。 隣で作業しながら翔真は時折和也の様子を伺っていたが、どことなく憂いを帯びた横顔は変わることが無かった。 18時20分。 「こんばんは∼」 「こんばんは!」 ギリギリに準備を終え、二人して生徒を迎え入れる。その頃には和也はいつも通りに笑えていたが、翔真の方が気になって仕方がなかった。 「ありがとうございました~」 「気を付けて帰って下さいね」 無事にレッスンが終わり、生徒達を見送る。 仕事中はスイッチが入るので、生徒達の前では終始いつも通りに振る舞っていたが、翔真と二人になった途端、和也は小さく溜め息をついた。 「…やっぱり何かあったんでしょ?」 心配そうな顔で生徒用のミニキッチンのコンロを掃除する翔真が声をかけた。 「えっ?!今日僕変だった…?」 慌てる和也に、苦笑いしながら翔真は答えた。 「いや、レッスン中はいつも通りだったよ。準備中とか、今とか…生徒が居なくなると何かいつもと違う」 「そっか…ごめん、気を付けるね」 プライベートが仕事に影響してしまっている、切り替えが上手くできていない自分に呆れ困ったように笑った。 「いや、俺が言いたいのはそういう事じゃなくて…!何か悩んでるなら相談してくれても…」 「うんん、大丈夫だよ。ありがとう」 「それより、ちゃんとプライベートと仕事の切り替え出来るようにならなきゃね」と笑顔を作る。 「そんなん難しいだろ」 「え…」 「人間なんだ。今ある悩みをスッパリ忘れて切り替えるなんて無理だろ」 「でも」 「俺も和兄も、流石に生徒の前ではちゃんとするけど、今は俺らしか居ないんだから別にどんな顔しても構わな…あああだからそういう事が言いたいんじゃなくて!」 がしがしと頭を掻きむしる翔真。 彼なりに、本当に和也を心配に思ってくれている事が伝わってきて和也は微笑んだ。 「ありがとう…でも今は話せないんだ」 自分の様子がおかしな原因を、きっと翔真は気付いているだろう。しかしそれをはっきり口に出して言ってしまったら、熱くなりやすい彼がどんな行動に出るとも知れず怖かった。今更かも知れないが、翔真にも大石にも迷惑をかけたくない。 「……分かった。和兄がそう言うなら」 渋々返事をする翔真に、和也は落ち着いて伝えた。 「ちゃんとしたら、話すから」 「うん…でも、無理するなよ」 誰が、何を、と具体的な話は一切無かったがそれだけで充分伝わったようだった。相手の意思を無視して突っ走る程翔真は稚拙ではない。和也はホッとしたように微笑んだ。 _________________________________________________ 「お疲れ〜」 「あ…長野」 仕事の昼休み、大石が昼食を終え珈琲を飲んでいると長野が声をかけてきた。珈琲が入った紙コップを持ち隣に座ると、おもむろに口を開いた。 「何かさぁ、お前最近元気無い?」 「え…」 同期の長野とは同じフロアで働いているが、部署が違うため仕事中はあまり顔を合わさなかった。休憩時間はほぼ同じだが、毎日一緒に食べていた訳ではないから、顔を合わせるのは久しぶりだった。 だから、「元気がない」と言われた事に大石は少し驚いたのだ。 「そんな顔してるか?」 「いや、何となく。雰囲気?」 と大石の方をチラリと見て珈琲を口にした。 (よく見てるな…) 大石は心の中で呟いた。 「発表会も無事終わったし、その後も順調だって聞いたぞ?」 「ああ、仕事はな」 「何だ、プライベートか?好きな人でもできたとか?」 「……」 冗談のつもりが、大石はうんともすんとも答えない。その思い詰めたような顔に、長野は固まった。 「マジか…」 大石は両手で包み込むように珈琲の入った紙コップを持ち、中の褐色をじっと見詰めている。 「…もしかして涼子先生?」 社内で大石と年齢が近い女性は同じ部署には居ない。それどころか、このフロアにすら居なかった。一番近くて30代前半といった所だ。 結婚願望が無く、仕事人間の彼が今更結婚相談所に行くとも考えにくい。とすれば、最近仕事で関わった歳の近い涼子の名前が長野の口から出てくるのは自然な事だった。 「……の、息子」 「え………」 やや間があってからの大石の回答に、長野は今度こそ本当に固まった。 「今日、飲みに行かないか?」 「お、おぉ…」 大石の思いもよらない発言に、内容が飲み込めず呆然とする長野。大石は腕時計を見ながら席を立ち、「詳しくは後で話すから」とポン、と肩を叩きフロアに戻っていった。 「マジか…」 すっかり冷めてしまった珈琲を一気に飲み干すと、長野もフロアへ戻っていった。
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