味見をどうぞ

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「いらっしゃいませー」 仕事後、二人で訪れたのは会社近くのチェーン店の居酒屋だった。大石と長野の自宅はそれぞれ全く別の方向にある為、帰りを考え結局会社の近くで飲むことになった。 半個室の掘りごたつ席に通され腰を落ち着けると、二人してオーダー用のアイパッドを覗き込む。 「とりあえず生2つと…何食いたい?」 「ん∼そうだなぁ…」 大石は画面を見ながら小さく唸った。飲みに出る時は殆どあの小料理屋に行ってしまうため、こういうチェーン店は久しぶりだ。 腹も減っていてどれも酒が進みそうなツマミが並んでいたが、何故か今一食指が動かない。 「長野に任せるよ」 「えっ…何か無いの?」 「うーん…じゃぁ、刺盛り。後適当に頼んで」 「なんだよーじゃぁ勝手に決めちゃうからな」と言いながら長野は注文を済ませた。 程なくして、生ビールとお通しの切り干し大根の煮物が運ばれてきた。 「お疲れ様」 2人してビールをあおり、一息つく。 大石は早速切り干し大根を口にしたが、甘すぎる味付けに軽く眉をひそめた。比較していけないのは分かっているが、いつもの小料理屋の切り干しの方が味付けが好みだった。 「さて…全く色恋沙汰が無かった大石が急に何があったんだ?」 切り干しには箸を付けず、長野はいきなり質問を投げかけてきた。無理もない、昼休みの終わりに聞いた話はあまりに衝撃が大きかった。 大石は箸を置き、おもむろに口を開いた。 「…正確に言うと、和也先生に告白されて、まだ返事はしてないんだ。自分の気持ちを確認したくて」 「…好きなのか?」 「多分」 「恋愛対象として?」 「多分…」 「失礼しまーす!刺盛りとエイヒレ、枝豆、キュウリの浅漬けです!」 学生らしき店員が元気よく料理を運んできた。 長野と大石はテーブルに並べられたそれをつまみながら話を続ける。 「さっきから聞いてりゃ多分多分て…そりゃ先生に失礼じゃないのか?」 長野は呆れたように大石を見た。 「分かってる…でも、いざとなると…同性だし、歳なんか10歳近く上だし…」 「同性も歳の差も、今時珍しくも何とも無いんじゃないか?」 「え…」 長野の意外な言葉に、大石は目を見開いた。 「何とも思わないのか?」 「全然」 「そりゃ、驚きはしたよ?」と残っていたビールを一息であおった。 「異性だからって上手くいくとも限らないし、同性だからって上手くいかない訳じゃない。要は本人達次第だろ?」 プチプチと枝豆を口にしながら長野は続けた。 「結婚もしなくていいしな」 「結婚か…確かに、もう懲りごりだな」 そう言う大石に、長野は苦笑いして頷いた。 「子どもの事で気を揉む必要もない」 「確かに」 「ビール追加していい?」と聞く長野に、焼酎のお湯割りを一緒に注文してもらうようお願いすると、大石はポリポリとしょっぱいキュウリを咀嚼しビールで流し込んだ。 「娘さん今中学生だっけ?」 「うんん、もう高1。殆ど口きいてくんない」 「それでもやっぱり可愛い?」 「そりゃね、可愛いですよ」 「面と向かっては口が裂けても言えないけどね」と苦笑いする。 「奥さんとも相変わらず仲良いよな。毎日じゃないけど、弁当作ってもらってるんだろ?」 「ん〜付かず離れずの距離かな。そんな仲良さそうに見える?」 「自分で作るようになってから気付いたけど、朝弁当作るのって結構大変なんだぞ。まぁ手慣れた主婦の人は上手くやるんだろうが…その手間を惜しまないだけでも、お前が大事にされてるのが分かるよ」 大石の言葉に、長野は照れ臭そうに笑った。 「長野が思う、夫婦円満の秘訣って何?」 「どうしたんだよ、急に」 「いや、結婚して長く続くって事はそれなりに理由があるのかなと思って」 意外な質問に長野は面食らった。 最初は冗談かと思ったが、大石の真剣な表情に茶化している訳では無いと知り、「うーん…」と考える。 「お待たせ致しました~!ビールと焼酎のお湯割り、串焼き盛り合わせ、海鮮巻きです!」 ちゃっかり食べ物も注文していたらしい。机の上が一気に賑やかになる。大石が既に食べ終えていた皿に気付き、店員に下げてもらった。 「あ。ありがとう」 「いや、机の上がいっぱいだったから」 「あっ!」 長野が思い出したようにいきなり声を上げたので、大石はビクリと肩を揺らした。 「…何だよ」 「夫婦円満の秘訣かは分からんけど?『ありがとう』だ」 「どういうこと?」 大石が首を傾げると、長野は串焼きを串から外しながら話した。 「ほら、何年も一緒に居ると色々な事が『当たり前』になってくるだろ?だから、どんな小さな事でも、気付いた時にありがとうを言うようにしてるな」 「例えば?」 「さっきの話じゃないけど、弁当作ってくれてありがとう、とか、風呂掃除ありがとうとか。毎回じゃないけど」 「へぇ…!」 大石は関心したように頷いた。 確かに、感謝されて気分が悪くなる事はない。本当にちょっとした事だが、日常はそれの繰り返し、積み重ねていく事で関係が築かれていく。 「…久しぶりに見直した」 「一言余計だぞ」 お互い顔を見合わせて笑い合った。 笑いながら、長野が同期で居てくれて本当に良かったと大石は思った。 「…て!俺の話はいいから、大石の話聞かせてよ」 「えっ…」 「んで?大石の気持ちは?」とズイッと身を乗り出して聞いてくる。やや間を置いて、大石が口を開いた。 「…多分、好きなんだと思う。いや、先生の事が恋愛対象として好き」 一生懸命考えて言葉を選ぶように話す大石に、優しげな顔で相槌を打つ長野。決して冷やかすような様子は無く、安堵しているようにも見える。 愛が全てだとは、長野は思っていない。価値観は人それぞれだ。しかし、目の前にいる同期は嘗て仕事に集中したいが為に結婚さえ利用する人間だった。そんな彼にも、愛する人ができたという事が素直に嬉しかった。過去を知っている故、感慨深さもひとしおだ。 「…自分の気持ちは確認できたな。で、これから大石はどうしたいの?」 「どうって…」 大石は困ったように笑い、「まだ、よく分からない」と答えた。 「そっかそっか。でも、それでいいんじゃないか?恋愛って二人でするものだし。先は長いだろ?どうしたいか二人でゆっくり話したら」 「そうだな…焦ること、無いな」 「パートナーか…ん?ライフパートナー?」 「何か保険の宣伝みたいだな」 再び声を上げて二人で笑い合う。 大石が昼間見せていた憂いは消え、いつもの笑顔に戻っていた。
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