味見をどうぞ

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朝、スマホのアラームで目を覚ました和也は上体を起こすと、壁掛けのカレンダーに目をやった。 今日でちょうど、約束の一週間だ。 あれ以来大石からの連絡は一切無く、和也からも連絡をする事は無かった。 今日はいつも通り仕事がある。 和也はゆっくり起き上がると、顔を洗い歯を磨き身支度を整え珈琲をたてた。飲みながら、今日のレシピと手順の確認をする。いつも通りのルーティンだ。 しかし、頭の片隅ではずっと大石の事を気にしていた。この一週間で自分も気持ちがいくらか落ち着き、覚悟も決まった。 (もし受け入れてもらえなくても…先生と生徒という関係は変わらない、だから、大丈夫…) あるいは、気まずくなって大石がもう料理教室に参加してくれなくなるかも知れない。辛いが、そうなる可能性も無くはない。そう考えると、和也は思いを伝えた事を少しだけ後悔した。 良くも悪くも、今日で決着が着く。 今日この部屋に戻って来た時の自分はどんな顔をしているだろうと思い、和也は思わず身震いした。 まずは仕事だ。 和也はレシピをまとめ鞄にしまうと、意を決したように仕事場へと向かった。 昼過ぎ、午前の部の清掃が終わり一息つきスマホを確認するが大石からは何の音沙汰もない。 (忙しいのかな…) 時間的に、会社の昼休みは終わっている筈だ。 胸の中がモヤモヤしたが、真面目な大石のこと、あの時の返事を会わないままうやむやにする筈が無いと思い、和也はスマホを置きテーブルにうつ伏せになる。最近眠りが浅いせいかそのまま眠気に襲われて、少しの間目を閉じた。 「……しまった!」 何時の間にか寝てしまったようだ。 バッと起きて教室の時計を確認すると18時。スマホを確認する間もなく鞄に突っ込むと、夜の部の仕込みを開始した。今日は翔真が来ない。急がないと生徒達が来てしまう。 (何をやってるんだ僕は…) 作業しながら和也は奥歯を噛み締めた。 (私事で仕事に支障をきたさないよう注意してきたのに…) 大石に思いを告げた翌日、翔真から様子が変だと言われて以来、生徒の前だけでなく準備中や片付け中もずっと気を付けてきた。 翔真は「無理しなくていい」と言ってくれたが、和也は仕事に私事が影響してしまう自分自身が許せなかったのだ。この一週間は特に、いつも以上に気を張っていたため帰宅後もなかなか緊張感が抜けず、寝付きが悪い上睡眠が浅くなっていた。 それが、最後の最後で影響してくるなんて… 軽い自己嫌悪に陥りながらも、何とか下準備を終え生徒達を迎える事ができた。 「こんばんは∼」 「こんばんは!」 入ってきた生徒を、和也は笑顔で迎えた。 結局あれからスマホは確認出来ていない。少し気になりながらも、先程の失態が意識を仕事へと向けさせる。レシピを渡しながら、和也は再度今日の段取りを頭の中に思い描いていた。 「ありがとうございました!」 「お疲れ様でした。気を付けて帰って下さいね」 無事にレッスンが終わり、生徒達を見送ると和也は小さく溜め息をついた。 「よし」 清掃が終わるまでが仕事だ。 和也は箒や雑巾、洗剤を出してくると一気に清掃に取り掛かった。 程なくして清掃が終わり、ようやく今日の仕事終了だ。帰り支度をしようと鞄を覗くと、新着メッセージを伝えるスマホの光が点滅していた。和也は慌ててメッセージを表示する。 『お疲れ様です。連絡が遅くなって申し訳ありません。今日、お仕事が終わってから少しお時間頂けませんか?』 大石からだ。メッセージの受信時間は17時。 時計を見ると、もうすぐ21時だ。和也は全身から血の気が引き、慌てて大石に電話した。 「もしもし」 「大石さん!ごめんなさい、メッセージ気付かなくて…」 2、3回のコールで直ぐに出た大石に、和也は謝った。その声は今にも泣きそうだ。 「いえ、大丈夫ですよ。私も連絡が遅くなってしまい申し訳ありませんでした…今、まだスタジオ内にいらっしゃいますか?」 「はい」 「良かった」 「え…?」 「そのままそちらにいらして下さい」 電話越しに、足音が聞こえてきた。 それが電話越しではないと気付いたのは教室のドアが開いてからだった。 ―ガチャ 「大石さん…」 「お疲れ様です」 微笑みながら通話を終了し、大石はスマホを鞄にしまった。和也も遅れてポケットにスマホを押し込む。 「すみません、連絡貰ってたのに…」 改めて和也が謝ると、大石は軽く頭を振った。 「いえ、私も仕事で連絡が遅くなってしまったので…お互い様です」 俯く和也に「顔を上げて下さい」と大石は優しく言ったが、和也は顔を上げることが出来なかった。 握りしめられた手が軽く震えている。 それに気付いた大石は鞄を置き和也に近づくと、自分の手で和也の手をそっと包み込んだ。 「……!」 驚いた和也が顔を上げた。 「やっと顔を上げてくれましたね」 大石は微笑みながら和也の目をしっかりと見た。 「和也先生、もし先生の気持ちに変わりがないのなら…今度、プライベートでレッスンをお願いしてもいいですか?」 和也は大きく目を見開いた。 「…一週間、自分の気持ちに向き合ってみて、和也先生の事が『特別』で『大切』にしたい方だと改めて思いました」 「大石さん…!」 和也は大石が触れていない方の手で腕を引き寄せると、その身体をギュッと抱き締めた。 「嬉しい…です…」 今にも泣きそうな和也の声色に、大石は困ったように笑いながら和也の背中に腕をまわし、優しくさすった。 「色々ご心配をかけてすみません…。こう、人を想うのは久しぶりで…自分はこんな歳だし、男だし、戸惑いもありますが、和也先生を思う気持ちに躊躇いはありません。まだ分からない事も多いですが…ゆっくりと、少しずつ歩んでいけたらと思います…」 ゆっくり身体を離し、大石が微笑んだ。 「料理も恋愛も、味見してみなければわからないでしょう?」 その言葉に和也は意表をつかれたような表情をしたが、ややあってフッ、と力が抜けたように笑った。 「そうですね…!」 「…帰りましょうか」 「はい」 和也が身支度を整えると、スタジオを施錠して外に出た。 ひんやりとした空気の中、二人は肩を並べて歩き出す。 どちらともなく触れた手の温もりに、二人は顔を見合わせて微笑んだ。 (終わり)
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