第31話 母娘の時間と桜(3)

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第31話 母娘の時間と桜(3)

 その話を聞いて、お母さんはなんて不安な気持ちになっただろうって思った。  知らない世界で一人、好きな人との子供と共に異世界に来てしまった事に気づく。  私も偽りの記憶を植え付けられた知った時、誰が味方で誰が敵なのかわからなくて怖くなった。  だからこそ、少しだけわかる。  ──お母さんが、怖くて不安で仕方ない思いをしたってこと。  俯く私にお母さんはコーヒーのおかわりを勧めてくれた。  水筒のおかげで氷は一つだったのに、まだ冷たく感じる。 「お父さんとお母さんはね、学校で出会ったの」 「え?」 「お母さんは学生で、お父さんは先生。ふふ、憧れの先生だったのよ」  意外な馴れ初めを聞いて私は少しだけ胸が躍った。  そんな少女漫画みたいな話あるわけないと思ってたけど、本当にそれで好きな人ができて、さらに結ばれて……。 「あ! もちろん、付き合ったのは高校卒業してからね。卒業式の日に言ったのよ。好きですって」 「お母さんからだったの!?」 「うん、なんかさすがに娘に話すのは恥ずかしいわね。やめましょう」  珍しく顔を赤くして背を向けるお母さん。  もう、自分で言ったのに恥ずかしがるなんて……。  でも、乙女なお母さんが見られてちょっと新鮮というか、なんだか嬉しい。 「だから、倒れた時にもクリシュト国でミスティア様がよくしてくれて。私にも子供がお腹にいるのよって」 「そうだったんだ」 「うん、だから。不安でどうしようもない気持ちが少しだけ和らいで。でもやっぱりお父さんに会いたくて」  そうだよね……。  好きな人との子供を授かって、それを知った時に傍にその人はいないなんて。  嬉しさも共有したいし、これからの明るい未来のことも話したいだろうし。 「それで、お母さんはどうしたの?」 「クリシュト国の王宮魔術師さんに頼み込んだ。現代に戻りたいって」 「……戻れたの?」 「うん、ミスティア様の計らいでコーデリア国にも報せを飛ばしてくれて。それで、私はお礼にって首につけてた真珠のネックレスを渡したの」  真珠のネックレス……。  どこかで聞いたことのある……。 「友里恵が卒業式から帰ってきたときからつけてた、それ」  そこで初めて自分がユリウス様から預かってた大事なネックレスの存在に気づいて手をやる。 「それで気づいたのよ。あ、そっか。友里恵もかもしれないって」  異世界に行ったことにそれで気づいたんだ。  きっとそれがユリウス様のお母様に、そしてユリウス様にいった……。  そうして、私に戻ってきてた。 「じゃあ、帰れたの? お母さんは」 「ええ、王宮魔術師さんのおかげでね。でも、帰った時から1年が経ってた」 「え……」 「その間に、私が帰る数日前で事故で亡くなってたの。お父さん」 「──っ!」  あまりの事実に私は息が止まるような思いがした。  いや、でもきっと、お母さんはこの何倍も何倍も悲しくて辛かっただろう。  やっとの思いで帰ってきたのに、そこに好きな人はいなかった──  私はなんていっていいかわからず、お母さんの小さな背中を抱きしめた。  なんだかまた細くなったような気がする。 「友里恵……」  だから、お父さんの写真がほとんどない。  ましてや私とお父さんの写真がないのは当たり前だ。  こんな辛い思いをしていたの?  それなのに、私を一人で育ててくれて、毎日明るく接してくれて……。  ごめんなさい、お母さんの悲しみに気づいてあげられなくて。  ごめんなさい、何も助けてあげられなくて。 「友里恵」 「なに?」 「これ……」  お母さんから差し出されたのは、私が持っていた帰還用の小瓶と同じような瓶。 「これ、あなたにあげる」 「え……でも……」  聞けばいつでも異世界に戻ってきていいからと渡された薬らしい。  実は私の薬は帰還用の分は効果があまりわからなかった。  日記にも書いていなかったし、文献にも載ってなかったそう。  だからこそ、私は異世界にもう戻れないかもという気持ちで現代に戻ってきた。  でも今私の手の中には帰還用の薬がある。  じっとその瓶を見つめていると、お母さんは私の頭を撫でた。 「行きなさい」 「え?」 「あなたは向こうに大事な人がいる。そうじゃない?」  そういわれてお母さんにはやっぱり敵わないな、と思った。  なんでもわかっちゃうし、私の事も一番に考えてくれてるからこそ理解してくれてる。  私はユリウス様の声を思い出して、涙が出てくる。  好きで好きで、でももう会えないかもって思った。  お母さんが心配な気持ちをわかってくれて、帰っていいよといってくれた。 「でも、お母さんが……!」 「大丈夫、私は一人で生きていける。あなたと生きた18年間。いえ、おなかにいた時からの19年間は幸せだった。もう十分よ」 「お母さん……」 「ほら! しっかりしなさい! 私の娘でしょ!? なにくよくよしてんのよ! 好きな人がいるなら、ちゃんと捕まえなさい! 傍にいなさい!!」  お母さんは私の背中をもう一度さすると、ポンと一つ叩いた。 「あなたのことをずっと思ってる。でも、私が一番願ってるのは、あなたの幸せ。その手でつかめる明るい未来」  私はお母さんの手を握って、そうして胸の中に飛び込んで泣いた。  まるで子供の時のようにわんわん泣いて、お母さんを感じる。  ああ、なんて幸せなんだろう。  こんなに想ってくれる人がいて、私は……。  そうして私は自分の気持ちを吐き出す。 「ユリウス様に会いたい! 会って、ちゃんと好きだって……!」 「うん」  もしかしたら薄情なのかもしれない。  でも、それでも私はもう一度、あなたの隣に戻りたいと思った。 「お母さん」 「いつも見守ってくれて、支えてくれて、傍にいてくれて、ありがとう。私、自分の足で生きていく。ちゃんと自分の未来を生きる」  お母さんはその言葉に安心したように頷く。  そうして私の涙を拭うと、もう一度抱きしめて囁いた。 「いってらっしゃい、友里恵」 「いってきます、お母さん」  そうして私は小瓶の蓋を開けて、ゆっくりと飲んだ──
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