...最後に届いたかな...

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...最後に届いたかな...

僕は16の頃から母と2人で暮らしている いわゆる、母子家庭だ なので、母は日中は家事やら学校行事やらきてくれたりするので (たぶん他の家と同じにしてあげたいって思ってたんだと思う) けど、稼ぐためにも養ってくためにも 夜の仕事をしていた その時から昼夜問わず動いてるから 疲れてんだろうなとか思っていたが 父親のいない家庭 自分に負い目を感じてる母 自分の意見が反抗が通ってしまうからか 思春期もあり、僕は少し我儘でグレていた 母との家での会話はほとんどなく 行事にきてくれてもシカト 本当は嬉しかったけど その時はウザく感じた 今思えば、ご飯が用意されてること 着てる服が洗濯されてること 色んな当たり前のことが 当たり前ではないんだなって大変なんだって事が身に染みてわかる... そんな当時の僕は 食事をすませれば部屋に戻り 暇になれば不良たちと夜遊びしていた 何度か補導されたりしてその度に 迎えに来てくれた事も覚えてる だんだん成人になるにつれ夜遊びもへったが それでも性格は変わることなく 結構迷惑かけたとおもう そんな日々を過ごしていると こんな僕にも彼女ができた その人は僕より年上で1人暮らしだったので その時から家にいるより彼女の家にいることが多くなった 彼女はお母さん大丈夫なの?とかきいてきてたが、あまり母のことは気にかけてなかった し、また母の事を彼女に話す事もほとんどなかった たまに家に帰る時は 着替えをとりにいくときや その服を彼女の家に 移動させる時くらいだったが 実家にとりにいき顔を合わす時も 母はなにもいわず むしろ彼女ができたことにニコニコしていた 荷物を運ぶ時、ふと母を見ると背中を痛そうにさすってたのが気になったが きっと、痛めたのかな?くらいにしか思わず その場を後にした 荷物もあらかた運び終えてからは 家に帰ることもなくなり 時折、彼女はうちの母の事を気にかけてくれてたが あまり話したくなく 大丈夫だよ〜っとか 素っ気なく返事を返すくらいで 母と連絡とることも心配することもなく 半同棲状態で過ごすこと数年... 母ともあわずに数年が経ったが 思いもよらない電話が鳴った 知らない番号でイタズラかと思ったが でてみると病院からだった... 母が倒れたらしく 病院につくと先生が ご家族の方ですね? 大事な話があると呼び出された 話をきくと 母は数年前から癌があったらしく 進行してしまい末期とのこと... そんなに長くはなく もって数年とゆうこと それを聞き..ポロポロと泪がこぼれ落ちてきた あんなに元気そうだったのにとか 凄い迷惑かけたなとか いつもニコニコしてて文句もいわず 自分が辛かったり 痛かったりしてたはずなのに なにも言わずに無理してたんだなとか もっと沢山話したり もっと一緒に でかけたりしとけばよかったとか そう思うと涙がとまらなかった... それからというもの 行ける時は常に病院にいき 沢山話したり 車椅子で散歩したり 言いたい事や伝えたい事をなるべく話した けど..その日は突然訪れた... 今日あったことや嬉しかったこと もう少しで母の誕生日だったので おめでとうって言いたい事 沢山、話そうと家をでた時電話が鳴った... お母さん...亡くなられましたと... 母は誕生日を迎える前に亡くなってしまった.. おめでとうも言えずに.. まだ沢山のありがとうも言えきれてないのに.. ぐしゃぐしゃの泣き顔のまま病院につくと 母はものすごく安らかな顔をしていた まるで寝てるみたい... それをみていっそう涙が溢れてきた 僕は母の枕元で今までごめんねと... 沢山のありがとうを本当は生きてるうちに伝えたかったけど 泣きながら何度も何度もありがとうといった... その時、母の顔が一瞬笑ったような気がして 最後に届いたのかなって 最後になったけど伝えられたのかなって... そう想いながら 今でも思いながら生きてます 改めて思うけど人っていつだって大事な事に 気づくのは遅く 気づいた時はもう遅かったりする.. ムカついたりする時も ウザいなって思う時もあるけど いなくなると寂しいもの... 誰といてもそうだけど 一緒に笑える時間 一緒に楽しめる時間 一緒に過ごせる時間は限られてるから もしもこれをみて感じるものがあれば 大切な時間は戻ってこないから 大切な時間を大事にしてください 思い出は心に遺るから... ...END...
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