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兄妹とチャーハン2
こうして朱梨は渋々奈海の仕事を手伝うことになった。
朱梨は奈海の指示のもと、出前の支度をした。とは言っても、料理とは関係のない掃除用具を用意させられた。
店の納戸にあるプラスチックの箱に雑巾やバケツなどの掃除用具が詰められている。箱は片手では持てない大きさと重さで、確かに一人では大変だ、と朱梨は思った。
奈海がチャーハンを作り終えるとすぐに店を出た。奈海が料理の入ったおかもちを、朱梨が掃除用具を抱えている。
店から十数分歩いて二人は出前先の門口宅に到着した。
「カフェ・ツリーハウスです」
インターフォンを押し、奈海が名乗った。
すると、すぐに家主が出てきた。朱梨たちと同い年ぐらいの若い女性である。時間帯から考えると、遅めの昼食だろうか。
「ありがとうございます。どうぞお上がりください」
彼女はさも当然かのように朱梨たちを家に上げた。初体験の朱梨は少し戸惑ったが、普通に入っていく奈海の後ろを付いていった。
リビングまで通してもらうと、朱梨は台所の脇に掃除用具を置いた。奈海に聞くと、いつもそこに置かせてもらっているらしい。
「あれ、今日はお二人なんですね」
家主は奈海の後ろにくっついてきた朱梨を見てそう言った。
「はい。助手を連れてきました」
「初めまして」
朱梨は彼女に向けて挨拶した。
「初めまして。わたしは門口遥香です。今日はよろしくお願いします」
遥香と名乗った彼女は朱梨に向かって丁寧に頭を下げた。
「こちら、ご注文のチャーハンです」
奈海はダイニングテーブルに料理を出した。おかもちの保温機能と距離が短かったおかげで、チャーハンはさほど冷めていないようだった。
「うわ! 今日も美味しそう」
遥香はダイニングの椅子に座ると、まるでダイヤモンドの指輪を見せられた乙女のような表情をした。
「いただきます」
遥香は手を合わせると、すぐに食べ始めた。彼女はスプーンいっぱいにチャーハンを盛って口に入れると、ゆっくり咀嚼して味わった。よっぽど美味しいのだろう。もぐもぐしながら首を振り、味を堪能しているようだ。こんな顔されちゃあ、朱梨も食べたくなってくる。ちなみに朱梨はチャーハンを頼んだことがない。
奈海はその様子を少し眺めてから遥香に声を掛けた。
「遥香さん、今日もコンロの掃除やるからな」
「はい。いつもいつも助かります」
「自分にできることなら何でもやるから。朱梨、やるよ」
奈海は掃除用具の箱からバケツや布巾を取って台所に入った。朱梨も付いていって、ゴム手袋を嵌める。
朱梨たちは門口宅のコンロの前に立った。このコンロはⅠHなどと洒落たものではなく、黒い爪の生えたごく一般的なものだった。こういうのって隙間に油汚れが入って掃除が面倒なのよね、と朱梨は心の中で思う。朱梨の家もこのタイプでいつも掃除に手を焼いていた。
朱梨はスプレーと布巾を両手に用意し、しゃがんでコンロを観察した。特に爪の間と間をよく見る。
ところが、そのコンロには油汚れ一つ見つからなかった。むしろ、新品みたいにピカピカである。
爪の部分を取り外してみても、やっぱり汚れは全く付いていなかった。
「ねえ、本当に掃除するの? 必要ないように思えるけど」
朱梨は遥香に聞こえないような小声で奈海に訊いてみる。
「そりゃあね。しょっちゅう掃除しに来てるから」
確かにそうか、と朱梨は思った。常連と言っていたし、頻繁に掃除していれば気になるほど汚れることもないのかもしれない。
そう思った朱梨は何となく台所全体を眺めた。二人で入っていっぱいいっぱいのスペースには電子レンジや冷蔵庫、炊飯器などは揃っている。もちろん、コンロの上にはフライ返しやお玉だって掛かっていた。一見、普通の台所である。
しかし、朱梨にはどこか不自然に思えた。調理器具は一式揃っているのに、なぜか綺麗なコンロ。いや、そこだけではない。シンクも横の調理台もほとんど汚れていなかった。
もしかして。
朱梨の中で一つの仮説ができた。
「遥香さん」
朱梨は台所を出て声を掛けた。振り向いた彼女はチャーハンを半分ほど平らげたところだった。
「はい。何かありましたか?」
「あの、違っていたら申し訳ないのですが、遥香さんはあまりお料理をされないのではないですか?」
「え?」
驚いた遥香さんは口に運びかけていたスプーンをゆっくりと下ろした。
「おい、そんなわけないだろ。コンロの掃除をいつも頼んでくださるんだ。失礼だぞ」
奈海も思わず制した。
ところが、指摘された遥香はスプーンをテーブルの上で持ったまま俯いた。
「いいえ。助手さんの言う通りです。わたしは一切料理をしません」
「本当?」
奈海は目を丸くした。
「はい」
遥香は申し訳なさそうに返事をした。
「じゃあ、どうしてこんなに調理器具が? 冷蔵庫は必要としても電子レンジとか炊飯器はあまり使わないですよね」
「それは兄が料理を作るので」
「お兄さん?」
朱梨が訊き返す。
「はい。一年前まで一緒に住んでいて、そのときは兄が台所を使っていました」
「一年前までってことは、今はお兄さんだけ引っ越したの?」
今度は奈海が尋ねた。
「まあ、そうですね。引っ越した、というか出ていってしまって」
「どうして?」
「それが、しょうもないことですけど……」
そう歯切れ悪く返事をして遥香は兄とのことを二人に話し始めた。
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