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兄妹とチャーハン4
「結局、そのまま兄は出て行ってしまって、それから一度も帰ってきていません」
遥香は背中を丸めてぽつりと悲しそうに言った。
料理をしない遥香だけが残り、使わないのに調理器具だけは揃っている状態になったのだ。
「そうだったんだ。ごめん、踏み込んだことを聞いてしまって」
奈海は慌てて頭を下げた。
「いいえ。謝らないで下さい」
遥香は手を振って奈海の顔を上げさせた。
「実は、兄には得意料理があって。っていっても、そんな難しい料理じゃないんですけど」
「どんな料理なんですか?」
朱梨は訊く。
「チャーハンです」
「チャーハン?」
意外な答えだった。確かに難しい料理ではないが、得意料理を訊かれて出す料理としては珍しい。
「はい。でも、それがとても美味しくて! 具はソーセージと卵とレタスだけなのにいつも食べたくなるんです」
遥香はまるで歌うかのように熱弁した。
その顔を見た朱梨はまた食べてみたい、と純粋に思ったが、奈海はまた別のことを考えているみたいだった。
「それって、うちのチャーハンと同じだ」
奈海は言った。
朱梨は思わず、遥香の食べかけのチャーハンを見た。確かに具はソーセージと卵とレタスだけで、彼女が語る兄のチャーハンと同じだ。
「そうなんです。実は材料だけではなく、味もそっくりで」
「そうなの? お兄さんが実はうちの常連で、それを真似したとかじゃなくて?」
「違うと思います。わたしが小さかったころから作ってもらっていたので。だから、兄が出ていったあと、偶然ツリーハウスさんで食べたのが本当によく似ていて、びっくりしました。それで出前までお願いしているんです。懐かしくて」
「そうだったんだ」
奈海は驚きの声を出した。よくこの家に通っている割に知らなかったようだ。普段はこういう踏み込んだ話はしないらしい。
「それからお兄さんとは一度も会っていないんですか?」
朱梨は訊いてみた。
「はい。お正月も今年は帰っていないんです。あんな別れ方しちゃったから、何を話していいか分からなくて」
遥香は恥ずかしそうに言った。
確かに喧嘩別れした相手との一言目は困る。朱梨も学生時代、奈海と大喧嘩したあと気まずかったのを思い出した。
「遥香さん」
一通り話を聞いた奈海は遥香に声を掛けた。遥香は奈海の方を振り向いた。彼女は切ない顔をしていた。
「お兄さんに電話してみれば?」
「え?」
奈海は思わぬ提案をしてきた。驚いて声を上げたのは遥香ではなく、朱梨である。
「ちょっと、話聞いてた?」
「もちろん。ずっと隣にいただろ」
「今、この場ですか?」
遥香も驚きの声を上げる。
「そうだよ。うちの出前を頼むより、本物のお兄さんのチャーハン食べた方が良いに決まってるだろ。ほら、スマホ出して」
奈海は手をひらひらさせて遥香を急かした。
「強引よ」
「いいの、いいの。こうでもないと一生仲直りできないから」
奈海は遥香に向けて手を出したまま、そう言った。
相手が粘るので彼女は渋々自分のスマートフォンを出して、テーブルの上に出した。
「電話かけて」
奈海は遥香のスマートフォンを指で指した。
「でも、何て言ったらいいか……」
「そんなのあとで考えればいいの。とりあえず番号押して」
「そんな」
「大丈夫。あなたのチャーハンが食べたい気持ちさえあれば」
奈海はそう言うと二回頷いて遥香を促した。一方の遥香は少々不安そうな顔でスマートフォンを操作する。
少しいじると電話の画面になった。名前の表示は『お兄ちゃん』である。
「かけますよ」
遥香の堅い声に奈海は力強く頷いた。それを見た彼女は人差し指を一本立て、通話のボタンを押すと、スマートフォンを持って耳に当てた。
プルルルルル――
遥香の耳許からコール音が聞こえ始めた。テーブルを囲むようにして立っている奈海と朱梨は彼女に顔を寄せ、固唾を飲んだ。緊張感が走る。
『はい』
五コール目でやっと電話の向こうから声が返ってきた。
「スピーカーにして」
奈海はまた手をひらひらさせて遥香を促す。遥香スマートフォンをテーブルに置き、スピーカーフォンに設定した。電話の向こうの声がさっきよりもよく聞こえる。
「もしもし、お兄ちゃん? 遥香だけど」
電話に答える遥香の声はどこか他人行儀だ。
『おう。久しぶりだな。どうした?』
電話の向こうから聞こえてくる大雅の声も緊張しい。
「えっと、あのさ、うーんと……」
遥香は言葉がなかなか出てこないようだった。見守る朱梨たちは二人で両手の拳を握り、彼女にエールを送る。
それをちらっと見た遥香は一度大きく息を吸って吐くと、口を開いた。
「お兄ちゃん、ごめん」
『悪かった、遥香』
二人はほぼ同じタイミングで喋り始めた。
「え?」
遥香は思わず訊き返した。
『俺もあのときは言い過ぎた。自分のものなんだから俺が気を付けるべきだったよな』
電話の向こうの大雅は早口でそう言った。彼の方もかなり緊張しているようだ。
相手の思わぬ態度に朱梨たちは顔を見合わせた。
「本当、ごめん」
大雅はダメ押しでもう一度謝った。
「こっちも悪いから。もう謝らないで」
遥香は答える。
すると、電話の向こうガサガサと音がした。もしかしたら、電話の前で頭を下げていたのかもしれない。
姿勢をゆっくり戻したのか、徐々に物音が収まっていった。
一方、スマートフォンの前に座る遥香の表情は和らいでいた。もっと責められると思っていたのかもしれない。彼女は意外な兄の態度に安堵したようだった。
その顔を見て、見守っていた朱梨たちも胸を撫で下ろした。
そのとき、急に電話の向こうから『あっ』と短い声が聞こえた。
『ちょっと、ごめん』
大雅がそう言うと、ガタガタと音がしてからスタスタと足音も聞こえてきた。立ち上がってどこかに向かったようだ。耳を澄ましてみると、ピロンという電子レンジのものらしき機械音も微かに聞こえたから、料理の途中だったのかもしれない、と朱梨は思った。
少し待ってから再度ガタガタと音がしてから『悪いな』と大雅の声が聞こえた。
「ごめん、もしかしてご飯の支度してた?」
遥香も朱梨と同じことを思ったのか、大雅に尋ねた。
「うん。昨日の残り。チャーハン、多く作っちゃってさ。他の料理だと大丈夫なんだけど、チャーハンは未だに量を間違える」
チャーハンは兄妹二人にとって大切な料理だった。ツリーハウスのチャーハンがいくら似ているとは言え、代わりなどない。
そして、一人で食べてもいけない。二人分作って、それを二人で分けるからチャーハンは美味しいのだ。
電話越しの兄妹二人は互いに代わりと、大量の料理を目の前にして、それを思い出した。
「そっか」
遥香さんは笑った。何だか嬉しそうだった。
『今笑った?』
「え? 笑ってないよ」
『俺、変なこと言ったか?』
「だから笑ってないって。あ、そうだ。今ね、近所の美味しいカフェのチャーハン食べててね……」
そのあとの遥香と大雅の会話はかなり弾んだ。一年間喧嘩しっぱなしだったとはとても思えないほど、二人は互いの話を楽しんでいた。いや、むしろ、一年ぶりだったから余計に話したいことがたくさんあったのかもしれない。
朱梨と奈海はそんなことを思いながら、微笑ましい兄妹の電話を眺めていた。
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