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12月24日は土曜日で、仕事は休み。
私はずっとこの日を指折り数えていたのだが、肝心の川辺さんとは今日のことを何も話せていない。
多分だが、お互いに「恋人が出来たか?」という案件が繊細過ぎて確認が出来なかったのだと思う。
もし川辺さんに恋人が出来たと聞いてしまったら私はショックで会社を休んでしまうかもしれない。
とりあえず私は得意なお菓子作りを活かして、朝からケーキを作っている。
オーソドックスなイチゴと生クリームのケーキ。マジパンのサンタクロースは市販のものだけど。
横に置いていたスマホを確認しても連絡はない。思い切って電話してみようかな、と思いながら電話番号を表示させる。
「でも何て電話しよ? 川辺さん恋人できましたか、って唐突過ぎる? 今日はイブですね〜とか? そんなのみんな知ってるか……」
息を吐き出し、窓の外を見ると空は藍と茜のあわいを装っている。
「よし、ちゃんと連絡しよ」
ぐっと握った拳から人差し指を出して電話を掛ける。コールはすぐに止まり、焦った声で「はいっ」と届く。
「え、結城ちゃん?」
「お疲れ様です」
「お疲れ。ええと?」
電話の向こうで長く息を吐く音が。それを聞いて私の緊張がほぐれる。
「結城ちゃん」
「何ですか?」
「こっ恋人、……彼氏は? デートじゃないの?」
「残念ながら」
「え?」
「クリスマスまでに恋人が出来ませんでした。川辺さんは?」
「俺も出来ませんでした。そっか……じゃあ約束を守らなきゃね。覚えてる? お互い恋人が出来なかったら一緒にケーキ食べるって約束」
「覚えてますよ。提案したの私ですから」
「じゃあ今からケーキ買いに行かない?」
「あ、ケーキ用意しちゃいました」
「え、そうなの! ありがとう。じゃあどこで食べようか? 家はマズイか……」
「川辺さん家はダメですか?」
「え? 俺ん家!?」
「川辺さん家にしましょう!」
「いやいや男の家だよ? 分かってる?」
「しょうがないですね。じゃあ私の家にしましょ」
「いやいやいや女の子の家なんてダメだよね」
「じゃあ寒空の公園で、凍えながらケーキを食べて風邪をひき、二人揃って会社を休み、みんなに迷惑を掛け」
「あー、ああ、ああ、俺の家にしましょうか……」
「はい! そうしましょう!」
川辺さんは車で最寄り駅まで迎えに来てくれると言って、電話を切った。
1時間後、最寄り駅で待ち合わせ、川辺さんの車に乗る。
川辺さんの私服姿を見るのも、運転姿を見るのも初めてだ。ドライブデートみたいでドキドキしてしまう。
「外寒かったろ? コーンスープとおしるこ買ったんだけどどっちがいい?」
「何でそのチョイスなんですか?」
飲み物ホルダーには黄色の缶とエンジの缶がある。
「嫌いだった?」
「嫌いじゃないですけど。普通は紅茶とかコーヒー選びません?」
「えー俺さ、車でカフェインとったらトイレ行きたくなるんだよね。そしたら困るじゃん?」
「え? 何その理由!?」
「馬鹿にしないで〜。大事だよ!」
「ふふっ」
「ははっ」
車内では私が小学生だった時に聞いた覚えのある音楽が小さく流れている。川辺さんが高校、大学生時代によく聞いた曲なのかもしれない。
私はコーンスープ缶を取ると両手で包んだ。
「温かい〜」
「スープってさ、最後にとうもろこしの粒が下に溜まって出て来ないんだよね。分かる?」
「わかります! たくさん残ると悔しいんですよ」
「そうそう。最後の方さ、揺らしながら傾けて全部粒落ちて来いって底を叩いたりして」
「でも絶対ひと粒残ったり」
「それをさ、指入れてみるんだけど、奥に押し込むだけで取れねえの」
「えー、指は入れないな〜」
「マジ? やるの男子だけか」
「川辺さんだけでしょ?」
「俺しかやらねえの? みんなやると思ってた。じゃあ今日は結城ちゃんが初挑戦!」
「しませんって!」
「ははっ、だよな!」
缶を上下に振ってプルタブを起こす。とうもろこしのクリーミィな匂いがほんわかと立つ。
缶は熱いけど、スープは丁度良い温度。冷えた唇が温まる。
川辺さんは赤信号で止まるとおしるこに手を伸ばした。川辺さんの親指がプルタブに掛かり、プスと音を立てる。スープの匂いに小豆の匂いにが混ざる。
「そういえば私、缶のおしるこって飲んだことないかも……」
ただの呟き。声に出てた――と気付いた時にはエンジ色の缶が目の前にくる。
「飲んでみる? まだ口付けてないし」
でも、と私が逡巡する間に信号は青に変わる。
「ちょっと持ってくれる?」
「はい」
両手に口を開けた缶。車の揺れでおしるこが口から溢れそうになる。
「あ」
「ああ、溢れるよ結城ちゃん飲んで飲んで!」
チラっとこちらを見た川辺さんがそう言う。
「では、……いただきます」
「どうぞ」
ひと口もらう。しかし私の感想は、
「ダメです」
「不味かった?」
「じゃなくて、スープ飲んだ後でおしるこはダメですね」
スープを口にした後では何とも言えない味になってしまう。残念だけど、またの機会に味わってみればいいかなと思った。
「えー、マジか〜。でも気になるな。俺もスープ&おしるこ飲んでみよっかな」
「え!?」
「ちょっとだけさスープもらっていい?」
冗談ではないのか、川辺さんの左手がこちらに向く。その手におずおずとスープを渡せば川辺さんは運転に集中しながらスープを飲んだ。
その瞬間、間接キスだと思って身体の熱が上がる。ただの回し飲みなのに中学生みたいだ。
スープを返してもらい、今度はおしるこを渡す。おしるこを口にした川辺さんはすぐに笑った。
「ははっ、これはなかなか。いやでもクセになるかも」
「えー? 本気で言ってるんですか?」
「ははっ、どうだろね?」
川辺さんはもう一度おしるこをぐいっと飲んでホルダーに戻した。
川辺さんは私と回し飲みしたくらいで間接キスだなんて思わないのだろう。いつも通りな様子を見て、私の事なんて何とも思ってないことが分かる。
私は川辺さんが口をつけたスープを見下ろす。私はこんなことでもいちいちドキドキしているのに。川辺さんにドキドキしてもらえなくて悔しいと感じながら勢いよく缶を傾けた。
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