急用

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急用

「なんで急用って言ってるのに無視するわけ?直ぐ返事して?」 彼女からLINEが来た。僕は機械的に「ごめんね」と「またあとで」のスタンプを連打する。「ごめんね」スタンプは彼女の好きなウサギのキャラクター、「またあとでね」スタンプもこれまた彼女の好きな猫のキャラクター。 ・同じ種類のスタンプは二連打しない ・気になる人の好きなスタンプを押す ・LINEの返信は少し引き伸ばす SNSで読んだモテるテクを実行してみた。 後一ヶ月でバレンタイン。昼休みにスタンプだけを押して、退勤後にLINEで文章を返す。 「さっきはごめん。急用は何?今仕事終わり」 彼女からのLINEは一分も経たないうちに返ってきた。 「ずっと伝えたかったんだけど…」 ポップアップ通知。これはもしや告白?バレンタイン前に来るのか。LINEを二回、三回に分けるあのパターンか。僕は満員電車に揺られながらスマホを凝視する。いつもならゲームをしたり無料小説アプリを開いて読んでLINEのポップアップは、ながら見。 でも今日は、スマホのホーム画面から目が離せない。ホーム画面には、マフラーを巻いてダブダブの萌え袖を握りしめてる彼女と照れ笑いの僕がいる。彼女と僕は大学時代のサークル仲間。彼女は後輩でまだ在学中、僕は社会人。 合唱サークルで一緒に年末の第九も歌った。歓喜の歌が僕の脳内で流れ始める。 大人の余裕を見せるぞ、慌てるな。 「実は…あのね…」 来る、これは来るはず、三回目のLINEは「好き」が。既読だけつけてまたホーム画面に戻る。LINEの個人トークを開きっぱなしにしてるとずっと見ているのが相手に分かり、すぐに既読がつく。つまり、続きを急かしてるような印象になる。 ・余裕と間が大切 これもSNSのモテるテクで読んだ。三角の黒いつり革に掴まって、スマホをポケットにしまって一度深呼吸。マスクが唇に張り付く。 スマホが震える。緊張でもつれる手でスマホを取り出して開く。LINEのポップアップを見て僕は愕然とした。 「高橋先輩と付き合ってます、もうしつこくLINEしないで!」 僕の脳内で流れる音楽は歓喜の歌が突然止まる。高橋と付き合ってる?一度もそんな噂は聞いた事がない。グループLINEや他のサークルメンバーとのLINE、合唱サークルの飲み会や食事会、付き合いにもよく顔を出して情報収集に抜かりはなかったはず。 僕の疑問に全て答えるようなLINEが送られてきた。 「サークルの人に秘密なので言わないでください。高橋先輩が勝手にLINEを送ってすみません。気まずくて個人LINE無理です、ごめんなさい」 高橋と一緒にいるのか。なんだそういうことか。後輩の彼女がタメ口で「急用」にすぐ返事をしてと言う。よく考えれば最初から彼女らしくない口調だった。高橋が打ってたのか。 サークルの連中には秘密で二人は付き合ってる。高橋が彼女のフリをしてLINEを送っていた。彼女はそれを謝罪しつつ追認している。 脳内で一時停止された歓喜の歌が一瞬だけ再生されて、すぐ蛍の光へと切り替わった。 電車が止まらない程度に憎らしく降る、雨に近いベタベタした雪。車窓にぶつかり夜の街並みに照らされた水滴は、群れをなした蛍のよう。 SNSで読んだモテるテクなんて、その気になって使う僕は馬鹿みたいだ。始まる前に牽制されて終わった恋。 蛍の光はさよならの歌だ。 僕は高橋の方の個人LINEを探して送った。 「知らなかったとはいえ鈍くて悪かった。もう前田さんにLINEしない。幸せに」 高橋からのLINEは、初期設定の白いてるてる坊主みたいな「了解」のスタンプ一つだった。 素っ気ない奴。 そりゃそうか。彼女を取られたくなくて必死だもんな。スマホを奪って前田さんのフリしてLINE送って、喧嘩くらいはしたんだろう。 前田さんは結局高橋を許した。それが全ての答えだ。僕の負け、僕の一人相撲。浮き足だった今日一日は全て無駄。 スマホのホーム画面にしてある、サークルの忘年会の後に撮ったに二年前の前田さんと僕の写真を画像フォルダからゴミ箱に入れる。 ホーム画面は適当な拾い画にしておいた。 でも、画像フォルダの横のゴミ箱はまだ空に出来ない。 最寄り駅について押し出されるようにホームに出て、機械的なリズムで階段を昇る。改札を出ていつもの路線バスに乗る代わりに、スーツとコート、革靴で自宅アパートまで走った。 走れば、何か変わるような気がするから。 走れば、今日起きた事を全て忘れられるような気がするから。 道行く人がマスクなしの僕を露骨に避ける。 なんだか愉快だ。 偉い大名にでもなった気分。 お通りお通り、そこのけそこのけ。 みんなが道を開けてくれる。 マスクを外して顔に当たる雪のつぶての冷たさを感じて、不織布越しではない、新鮮な凍るような空気を目一杯吐いては、吸って、吐いては吸って。 白い息が証明してくれる。 僕はまだ大丈夫、僕はまだ立ち直れる、僕はちゃんと生きていける。 (終) 元ネタ 迷惑メールの文章 なんで急用って言ってるのに無視するわけ?直ぐ返事して? ↑ 皆様迷惑メールにはご注意を
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