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3
正面の門から抜け出すには、職員室の前を通らないといけない。それだとバレてしまったときに大変だから、俺は裏門へ向かい、周りに人がいないことを確認してから門をよじ登って越えた。靴は上履きのままで、格好は体操服だった。側から見たらあまりにもおかしな格好だろう。それでも近藤先生に怒られるよりはマシだった。俺はとりあえず学校から離れ、時間を潰せる場所を探した。
俺の住んでいる地域は住宅街でもあったが、学校周辺は田んぼが広がっていてお世辞にも栄えているとは言えなかった。俺は周りの目を気にしながら田んぼの脇道を歩いた。幸い、稲刈りは終わっているらしく、ハゲてしまった田んぼに人はいなかった。
俺が歩くたび、だんだんと学校から離れていく。大丈夫かな、と不安になる自分もいた。だけど、近藤先生に「リコーダーを忘れた」と言う方が圧倒的に怖かった。どんな罰を下されるかわかったものじゃない。そうだ、俺は間違っていない。これは正当な判断だ。俺はそんな気持ちでどんどん田んぼの脇道を歩き、振り返るたびに学校が遠のいていくことを確認した。
二十分ほど歩いて、俺は橋の高架下までやって来た。たまに川魚を釣るために父と来ることがあったが、この日は人気もなく、静まりかえっていた。俺は高架下の近くにあったベンチに腰をかけ、空を見上げた。もし、雨が降ってきたら橋の下へ逃げよう。
今頃、みんなはリコーダーを吹いているだろうか。そこにもし俺がいたら、近藤先生に「リコーダーを忘れました」と話さなければいけない。先生はみるみる鬼面に変わり、「廊下に立っていなさい!」と言うだろうか。あるいは定規で殴ってくるかもしれない。いや、もっと恐ろしいことをするかもしれない。当時の俺の想像力は無限大で、想像すればするほど身体が震えてしまった。
止めよう。今、俺は逃げているのだ。逃げることで怒られることを回避できている。だけど、どのタイミングで学校へ戻ればいいんだろう?
そんなことを考えているときだった。
「へい、坊主!」
と、後ろから声がした。俺はビクッとなって、思わず声の方を振り返ってしまった。すると、俺よりも遥かに大きいアフリカ系の男性が俺の肩をとんとんと叩いてきた。俺は怖くて声が出なかった。
この人、誰?
「どうしたの? 学校は行かないの?」
多少イントネーションは違うが、俺でも聞き取れる日本語を話すアフリカ系の男性。坊主頭で、目がギョロっとしていた。そして鼻下には髭を蓄えていて、コカコーラのロゴが入ったシャツを着ていた。ズボンは色褪せたジーパンで、全身はスラっとしているが、腕の筋肉はモコモコしていた。
「いや、その」
このときの俺は二つの恐怖に挟まれていた。第一に、目の前にいるアフリカ系の男性が単純に怖かった。もう一つは彼が明らかに大人であり、学校へ行っていないことに対して怒るんじゃないか、という恐怖だった。
「学校、嫌い?」
しかし、彼の声は俺のイメージとは裏腹に穏やかだった。
「嫌いじゃないけど、その、怖くて」
「怖い? 誰が?」
「音楽の先生が。それで今日はリコーダー忘れちゃったから、逃げ出してきた」
俺の拙い日本語を、彼は「そうか」と理解してくれた。そしてポケットから一枚のカードを取り出して、俺に渡した。
「学校、嫌いなら行かなくていい。もっと楽しいことあるから」
そのカードは、当時の俺や同級生がこぞってハマっていたトレーディングカードゲームの中でも、最上位に強いとされているレアカードだった。
「え、これって……」
「最強カード。頑張って手に入れたけど、あげるよ」
「いや、でも……」
困惑している俺に対して、彼は「大丈夫よ」とニッコリ笑った。
「いつでも手に入れられる場所、知ってるから」
このカードはなかなか手に入らないことで有名なのに、いつでも手に入れられる? そんな場所、どこにあるんだろう。
「その場所、どこにあるんですか?」
「ああ、一緒に行くかい? ここから歩いて十五分くらいのところだけど」
当時の俺は、びっくりするくらい純粋無垢だった。だから単純な変換しかできなかった。
強いカードくれる人=優しい=信用できる、怖くない!
「行きます!」
「オッケー。じゃあ、一緒に行こう。でも、歩くと疲れちゃうから、今から車を呼ぶね。ちょっと待っててね」
「わかりました!」
俺は彼から貰ったカードをポケットにしまい、ベンチから立ち上がって彼と一緒に車を待つことにした。
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