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§6.色褪せない思いを胸に
***
聞き慣れたスマホのアラームが耳に届いて、寝ぼけながらもだんだんと目が覚め始める。ベッドサイドに手を伸ばしてアラームを止めたところでようやく頭がはっきりとした。
そうだ、私は昨夜……
寝たまま背中側をそっと振り返ってみたが、彼の姿はなかった。
勢いよく上半身を起こして辺りを見回してみたけれど、彼が居た形跡がまったく残っていない。
ベッドのそばにあった自分の下着と服を急いで身に着け、リビングへと続く扉を開ける。だがそこにも彼は見当たらなかった。
わけがわからない。私は都合の良い夢でも見たのだろうか。
妄想というか、潜在意識の中の願望みたいなものが夢になって現れたとか?
だけど、リビングのテーブルの上には昨夜ふたりで食べた鰻の折箱のゴミが袋に入れられていた。菊田くんが今朝片付けてくれたのだ。
やはり夢なんかではない。だいたい、私がひとりで裸で寝るわけがないもの。
それにスマホだってリビングに置きっぱなしにしていたはずなのに、目覚めた時にはベッドサイドにあった。
アラームが鳴ることを想定して、彼があそこに置いてくれたのだろう。
思わずヘナヘナとリビングの床に座り込んだ。
朝になって彼の姿がないのは、なにもなかったことにされたようで気持ちが沈む。
手にしていたスマホに目をやると、メールが来ていることに気がついた。
『着替えたいから一旦帰って会社に行く』
菊田くんからだった。愛想のないメールだな……と見つめている場合ではない。私も会社に行かなければ。
「今日が日曜なら良かったのに!」
時計を見て嘆きならも大慌てでシャワーを浴び、髪を乾かして手早くメイクを施した。なにをするにも左手を使えないのでいつもより時間がかかってしまう。
菊田くんもこうして身なりを整えたいから朝早くに帰ったのだろう。だけどそれならば起こしてくれても良かったのに……。
目覚めたときにベッドの中で照れながら「おはよう」って言いたかった。そういうのに憧れていたのにと、満員の通勤電車に揺られてテンションが下がりつつ小さく溜め息を吐く。
「篠宮さん、おはようございます」
ちょうど出勤してきた佐野さんと会社の一階ロビーで一緒になって、朝の挨拶を交わした。
「おはよう」
「今日の篠宮さん、メイクが薄くないですか? いや、いつも通りかな? 元々地味な顔ですもんね」
黙って聞いていればつくづく失礼な子だ。
これがもし有希ならばキーッとなって怒るのが目に見えているから佐野さんも有希には言わないのだし、私がナメられているという証拠だ。
だけど彼女と言い争っても不毛だから、相手にしないのが正解だと思う。
「左手がうまく使えないからじっくりメイクしてる時間がなくて」
「あー、そうですよね。昨日転んで捻挫したんでしたっけ?」
彼女が軽い口調で返してきたことに、あきれるのを通り越して笑いがこみあげてくる。
別に心配してほしいわけではないが、社会人として「大丈夫ですか?」くらいの言葉があってもいいのに、と。
「私の早退で迷惑かけてたらごめんね」
彼女が私の仕事を代わりに請け負ってくれたとは思えないけれど、先輩として一応声をかけておく。
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