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「私はなにもしてません。菊田さんがほとんどやってました。謝っといたほうがいいですよ? 菊田さん、定時になったら真っ先に帰ってましたから、デートの予定でもあったんじゃないですかね」
「そうなんだ……」
デートではなく、私の家に来る途中でお店に寄ってうな重を買って来てくれたからだ。
だけどそれを佐野さんに言うつもりはないので、適当に相槌を打っておいた。
「菊田さんって彼女いるのかな? もしかして……相手は篠宮さん?」
急に私のほうへ体の向きを変えた佐野さんが、ひらめいたとばかりにビシッと人差し指を立てて私の反応をうかがう。
「な、なんで私なの」
軽く笑い飛ばしてみたけれど、当たらずとも遠からずでドキッとした。
「根拠のないことを言いふらさないでよ?」
「私の勘です! 菊田さん、チラチラと篠宮さんのほうを見てることがあるんですよ。篠宮さんは鈍感だからわかってないだけです」
面と向かって鈍感だと、はっきりと悪口を言われたような気がするが、この際そこは流しておこう。
「えー、菊田さんまで篠宮さんに気があるなら、坂巻さんはどうするんですかぁ? 三角関係! それも面白そうですね!」
「バカなこと言わないの!」
そうだ。坂巻さんにきちんと話をしなくてはいけない。
今朝はバタバタと家を出てきてしまったので、メッセージを送る余裕がなかった。
あとでデスクに着いたら、近々会えませんかと連絡をしておこう。
「ちょっと篠宮さん、あれは誰ですか?」
考え事をしながら佐野さんと歩いていると、隣から彼女の低い声が聞こえてきて前方に視線を移した。
エレベーターホールに大勢が集まる中、人がいない一番奥のスペースに壁を背にした菊田くんの姿が見える。
だけど彼はひとりではなく、スーツを着た女性となにやら話し込んでいた。
「あの人、オシャレなスーツですよね。どこの部署だろう? 私が声かけてきましょうか」
「やめときなよ!」
「だって気になりません?」
気にならないわけがない。
佐野さん以上に私のほうが、チェック柄のスーツを着こなしているあのスタイリッシュな女性は誰なのかと思っているけれど。
今ここで人波をかきわけて突入していく勇気なんて、私は持ち合わせていない。
そっとふたりの様子を盗み見ると、神妙な顔つきの菊田くんに対し、女性はにこやかに話しかけている。
そのうち菊田くんもつられるように、途中からは時折笑顔になっていた。
どうしてよりによって今朝、この光景を目にしてしまうのだろう。
昨夜、彼と一夜を共にして、本当なら幸せいっぱいで迎えるはずの朝なのに。目が覚めたら彼はいないし、会社に来てみれば他の女性と仲良さそうに話している。
ジェットコースターみたいにアップダウンしている私の心が悲鳴をあげそうだ。
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