94人が本棚に入れています
本棚に追加
「あ、松本さんご指名です」
いつものように業務についていると、事務室にいた私に声がかかった。
え、また?
顔を上げた私に声をかけてきたパートさんは申し訳なさそうな表情に変わる。
「私行くわ」
佐藤さんがそう言いながら立ち上がると、
「それが…朝、松本さんが出勤しているの見たって言っていて。だから居留守は通用しないかも、です」
パートさんが困ったようにそう言った。
「マジか」
年齢の割に若者言葉を発した佐藤さんの隣で、
「クソが」
課長が眉を顰めながら声を荒げた。
「マジでクソです」
大きく頷きながらパートさんはそう言っている。
そんな3人を見ながら重い腰を上げた。
「行きます」
「…俺も行くか」
「課長のお気持は嬉しいですけど、2人で出ていったら向こうが面白くないでしょうし。秘書さんがいるでしょうし」
「だな」
納得してしまった課長を白けた目で見ているパートさんと、
「…課長、ワゴン持ってウロウロしてくださいよ、せめてそのくらいはやってください」
ジロリと課長を睨みつけた佐藤さんは自分も立ち上がってくれる。
すみません、と佐藤さんに視線で謝れば、そっと首を振ってくれる。
最近困っている事が、…この方だ。
「松本さん!お仕事中すみません」
小首を傾げながらニコリと微笑んでいる40代後半の男性。
「こんにちは、今日はどうされましたか」
「仕事で使えそうな資料を借りに来ました」
「そうですか。どういった物をお探しですか?」
「これなんですけどね、」
そう言って男性は少し後ろに控えていた若い男性に手を差し出す。
若い男性はこの男性の秘書さんだそうで、いつも無表情で『ハイ』か『イイエ』しか言わない。
この男性は建築会社の社長さんで柳さんという。
見た目は力士さんのように大きくふくよかな体型でいつも汗をかいていて、この秘書さんがハンドタオルを渡しているところを見た事もある。
秘書さんから渡されたタブレットの画面には海外のビーチの画像。
「今度手掛ける店舗のイメージがこんな感じなんですよ、これとか、これとか、」
そう言いながら画面をスクロールしていく。
「で、こういうのに関連した本をね借りたくて。ここは何度来ても迷子になってしまうものだから松本さんに聞いた方が早いと思いましてね」
柳さんはそういいながら汗を拭いている。
「…そうですか」
ゆっくりと頷いたものの、心の中では盛大に溜息を吐き出した。
「じゃあまずはこういうのが載っている雑誌とかないですかね?」
「お探ししますね」
そう言いながら最早恒例となった自動検索機の使い方を説明していく。
「おおっ、凄いですね、これで探している本の場所がわかるんですね、いやあ凄い」
「パソコンやスマホで検索するのと同じようにやっていただけますと探す手間が省けます」
「こういうのはどうも苦手でしてね。ウチの秘書もこういうのはからきしダメなものだから困っちゃいますよ」
「…ご案内しますね、こちらです」
「しかし何度来ても広い図書館ですよね、なかなか覚えられないですよ」
覚えられないと言っている割には私よりも半歩前を歩いている。
ほら、私よりも先にそのコーナーへ向かって通路を曲がれる。
覚えられないなんて大嘘だ。
最初のコメントを投稿しよう!