身寄りのない子を保護すると言う事(孝太郎)

1/1
前へ
/140ページ
次へ

身寄りのない子を保護すると言う事(孝太郎)

西宮 渢(にしみや ふう)君をどうしても家族にしたいと言う息子の願いと自分の希望とが合致したことで、私の気持ちは決まった。 (ふう)君の発育状態、生活環境全てが最悪の状態だった、今回運よく保護発見されたから良かったものの、これまでの育児放棄は明らかだった。 子を産みっぱなしで育てない親がいる事は知っているが、実際にあの子を見て診察して親に腹が立つと同時にあの子が愛おしくなった。 もしこのまま退院させたら・・・・行く末が気になった。 全ての子供を引き受けることは出来ないにしても、あの子の事は放ってはおけない。 私と息子と渢君の出会いは運命だと思った、あの子を受け入れる事は運ばれてきた時から決まっていたと・・・・・ 一目見た時から私も息子もあの子の事をが気になって仕方がなかった、本来なら元気になった時点で病院での役目は終わり、施設へ送り出すのが正当な手順かもしれない、だが今回だけは私情を優先させた。 弁護士を通してあの子を受け入れる事を考える・・・・・受け入れるとしても、2種類の形態があった。 《里親》と《特別養子縁組》 《里親》は虐待や経済的事情などで親と暮らせない子どもを家庭で預かって育てる制度であり、里親に親権はなくあくまでも実親が親権を持ち、実親が見つからない場合は重要な決定をするときは、児童相談所の関与が必要となる。 《特別養子縁組》は戸籍でも実母の名前は伏され、養親が親権者となり実親と子どもの親子関係が終了、養親が唯一の親権者となり実の子として育てるということになる。 私としては育児放棄をして今現在何処にいるかもわからない母親を実親とは認めたくなかった。 特別養子縁組で渢を迎え、息子と同じように育てるつもりでいた。 だが渢はどう思うだろう、母親が育児放棄をしていたとしてもやはり実の母親から勝手に彼を奪うようなことは出来ない。 彼にその選択をさせるわけにも行かない、里親であろうと特別養子縁組であろうと彼を幸せにしたいと思う気持ちに変わりはない。 私は里親になると言う選択をした。 退院して始めてうちに来た時の彼の表情は明るかった、息子はもちろん春さんともすぐに仲良くなっていた。 彼は生まれながらに天使のような子だった、彼を我が家に迎え入れたことは私や息子そして春さんにとっても最良の選択だったと確信した。 息子の渢君への溺愛ぶりは見ていてほほえましくなる。 風呂に入れて髪を洗い身体を洗ってやり、ドライヤーまでしてやっていた、これまで一人で私や春さんに甘えることもなく、淡々とした日常を送っていた息子が笑顔を見せ誰かの世話を焼くなど想像もしなかった。 挙句に渢君に私の事は先生ではなく、孝太郎さんと呼ぶように言うと息子も同じように呼ぶと言われてしまった。 同じ家で息子意外にお父さんと言わせるのもどうかと思った私に息子が示した渢君への心遣いだと思った。 彼にそこまでさせる存在、この先渢君と息子は一生離れ離れになることはないだろう。 それがどうゆう形になろうと構わない、家族的な愛になろうと他の形の愛になろうと・・・・・ 渢君と息子の運命が繋がったと思った。 今は小学生と中学生だがこれから先どう成長するのか、2人の未来が楽しみだ。
/140ページ

最初のコメントを投稿しよう!

325人が本棚に入れています
本棚に追加