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結)シュナイドー公爵家令息ヘリオトロプ
私はそれ以上、彼女に何を言うでもなく。自分の部屋へ戻り。
何を言うでもなく・・・湯あみや着替えを手伝ってもらい。
使用人を下がらせた。
自室のソファへ、どさりと音を立てて掛ける。
・・・私は。どうしたらいいのだろう。
頭を抱えて床を見つめ。はぁぁ、と音付きでため息をついてしまう。
立ち上がり、ぼんやりと窓から外を眺め。また腰かけて床を見つめ。
繰り返して、繰り返して。
・・・真夜中を過ぎる頃。
とうとう私は。
夫婦の寝室の扉をこそりと開けてしまった。
拒絶された以上、今日は別々に寝るべきだ。
わかっているはずなのに。
・・・やはりもう一度話がしたい。
どうして私はさっき、何も言わず逃げ出してしまったんだろう。
せめて。
自分の気持ちだけは・・・伝えなくてはならなかったはずだ。
ベッドには、誰かが寝ているらしい膨らみ。
ロベリア嬢はそれでも・・・この部屋に。夫婦の寝室に来てくれたのだ。
ただ、侍女に連れられてきただけだろう。
だけど。
彼女が居るというだけで嬉しい。
ベッドへ・・・ふくらみの横へ。
自分でも不審者のようだと思いながら・・・おずおずと腰掛ける。スプリングがきいて。ふくらみもほんの少し、ふわと動いた気がした。
なんと話しかけよう。もう眠っているのなら、出ていくべきだろうか・・・。
「ん・・・。ヘリオトロプ様」
彼女の柔らかい声に。
はっと息をのんでしまう。
初めて名を。名前を呼ばれた!
やはりそうなんだ、彼女は本当はずっと怒っていたんだ、と。
今更気づいて苦しくなる。
私の名前を・・・ファーストネームを呼んでくれたことは。今まで一度もなかったのだもの。
それだけ、私を他人のように見ていたのだ・・・。
「ん・?」と薄く目を開けた彼女は。
「ヘリオトロプ様」と甘い声を出し。
本当に幸せそうに笑いかけてくる。
私に?
他の男性ではなく?
嬉しいのに混乱して。私は身動きできずに彼女を見返した。
ロベリア嬢は私の顔のほうへ。子どものように手を伸ばしてくる。
「わたくしにも・・・あの方に笑うように微笑んでくださいませ。
・・・ふふふ。夢の中なら正直にお願いできるのに・・・」
呟いた彼女から、ぽつりと涙が一粒。耳のほうへ落ち。
伸ばしていた手もぽとりと夜具の上へ落ちる。
どうやら彼女は・・・夢だと思っているらしい。
「ロベリア嬢」顔をよく見たくて。体をひねり、彼女を囲うかのように腕をつく。
「はい」
幸せそうな笑顔で彼女は。
「夢でもお会いできて嬉しいわ」
私をじっと見上げてくる。
まさか・・・。
「君は、私が好きなのか?」
「あなたはわたくしがお好き?」
馬鹿な質問は、質問で返された。
「ああ」
君が好きだ。
返事をしたらやっと覚悟ができた気がする。
「・・・ふふふ。なんて都合のいい夢かしら。
ヘリオトロプ様はわたくしが嫌いよ。幼馴染の方がお好きなの。
わたくしさえ居なかったら今頃お幸せになれたはずなのに・・・。
ごめんなさい。
・・・ごめんなさい、ヘリオトロプさま・・・。
嫌われても、それでもわたくしはおそばに居たいの。せめて役に立つと思っていただきたいのよ」
目を閉じて。ロベリア嬢はぼろぼろと泣き始めてしまった。
「君は・・・」
君はずっとそんな風に思ってくれていたのか。それで公爵夫人となるべく頑張ってくれていたのか。
愛おしくて。
いとおしくて。
心臓を鷲掴みにされたように。
苦しい・・・。
彼女の肩へ手をあてる。そっと。
本当はぎゅっと包み込んでしまいたい。それを我慢して顔を見つめる。
・・・いい香りがした。
私の手の感触に。意識がはっきりしたのか、ぱちりと目を見開いた彼女は。
「ヘリオトロプ様?」小さく呟いて。
「は、はなしてください」慌てて後退さる。ヘッドボードを上るかのように彼女は体を起き上がらせていき。
その動きに合わせて。
肩から二の腕へ、手首へと。私の掌は彼女の体を滑っていく。
「君は私の妻のはずだ」
手首だけはそっとつかんだまま。瞳をのぞき込む。
ベッドの上で、逃がすまいとすり寄る私を。彼女が怖がる理由はわかるつもりだ。
「後嗣を・・・産む気はありません。ご無理なさる必要はないのです」
それでも、彼女の声はしっかりとしていて。震えてなどいない。
「私のことが好きなのだろう?」
なんて己惚れたことを聞いているんだろう。
あぁ。でもどうか。・・・そうだと言ってくれ。
黙って待つ私に・・・観念したように、彼女は瞼を伏せた。
「わたくしは狭量なのです。
もしもお情けを頂いたら、愛人の存在など許せない・・・。
馬鹿な真似をしないために、どうか捨て置いてくださいませ」
歓喜が体中を走り回る気がした。そんなに。私を思ってくれているのか。
「愛人など作らない。君しかいらない」
そっと抱き寄せて口づける。触れるだけで離すと。
彼女はぽかんと口を開けた。
「愛しているんだ。もっと早くきちんと伝えるべきだった。君だけが特別なんだ」
私は手を伸ばし、彼女の髪へ触れた。
なんて滑らかな。
・・・やっと触れられた。
嬉しさと同時に昏い気持ちが湧き上がる。あの侯爵令息の顔が浮かぶ。私より先に触ったことすら赦せない。
もう二度と誰にも触らせやしない。
髪を指で梳きながら毛先まで。手に残ったそこに口付けを落とす。
もう、私のものだ。
瞬きを繰り返すロベリアは。
「本、当に?」
驚いたように聞いてくる。
「ああ・・・君だけを愛すると誓う」
宣誓するように自分の胸へ手を当てる私の。
首に。
彼女は子どものようにまた。手を伸ばす。
「嬉しい」
あぁ、その言葉が嬉しいよ。
もう・・・離さない。
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