ソースベリ侯爵家長男リアトリス ②

1/1
前へ
/39ページ
次へ

ソースベリ侯爵家長男リアトリス ②

「あなたがぁ、ヘリィの婚約者ぁ?」 教室へ入ろうとしたロベリアに、舌足らずな声が話しかけて。 扉のそばの席にいた俺は、立ち上がり廊下を窺った。 ロベリアの向こうには、ピンクブロンドの髪。 あれは、学園で”有名”な子爵令嬢? シュナイドー公爵家嫡男のはとこ、じゃないか? ・・・あぁ。確かにそうだ。俺は伸びあがって、ご令嬢を確認する。 ひとつ年上のこの子爵令嬢は小柄だが、出るところは出て。腰はきゅっと細くって。 それが自慢なんだろう。胸元の開いた、体形を強調させるドレスばかり着ている。 俺だって男なんだから、つい視線をやってしまうけど。 ・・・下品な女性だ。 このクラスに公爵嫡男の婚約者が居ると聞いて、やって来たんだろうか? シュナイドー公爵家嫡男ヘリオトロプの婚約は、高位貴族家としてはかなり遅かった。 後継者争いがあり。婚約、婚姻も遅いのは我がソースベリ家くらいだ。 特に嫡男であれば、学園に入る前には婚約者がいるのが普通だろうに。 そのせいか、社交界でも彼の婚約は噂になっていたはずだ。 ・・・学園での噂は、少し毛色が違っているのだけれど。 ヘリオトロプは、親戚だとかいう”この”子爵令嬢と仲が良すぎるのだ。 去年、つまり1年生のころから。豊満なこの子爵令嬢といつも一緒に過ごし、ランチを取り。べったりと自分に寄り添わせていたそうだ。 婚約者がソルティン伯爵家令嬢だ、と知る者は。彼の態度に眉を顰め。 知らない者はやっと”この”はとこと婚約したのかと思っている。 つまり。 婚約者ができた時点ですっぱりと手を切るべきだったのに。ヘリオトロプは、今現在もまるで態度を変えていないのだ。 この女をそばに侍らせて喜んでいる。 いくら政略の婚約とはいえ、最低な男だ。俺はそういう奴が大嫌いだ。 そしてその相手である・・・この女も。 自分から身を引かない時点で、この女に常識がないことは歴然としてる。 女は髪をいじりながら、ロベリアを上から下まで眺め。 胸で視線を止めた。自分の胸を見せつけるように突き出し、ふふんと鼻で笑いながら。 ・・・俺にだってその意味は分かる。 失礼な! 自分の名を名乗りもせずに話しかけるなどと。 しかも。この女はロベリアと、いとこの伯爵令嬢とを勘違いしている。 助けなければ、と俺が動こうとした時。 ロベリアはアルカイックスマイルを見せた。 「わたくしは、ソルティン伯爵家のロベリアと申しますわ。 あなたは、どなた?」 態と爵位を告げる尊大な態度。柔らかな声音には、名乗りもしないお前など知らないというほんのりとした嫌味。 背筋の伸びたその態度は・・・公爵家令嬢かと思うほどの威厳を備えていた。 ・・・その態度に。 あぁ。公爵家へ嫁すためのマナーの勉強はもう始まっているんだ、とすとんと腑に落ちる俺と。 伯爵家?え?ロベリアが? 違う、ロベリアは子爵家のご令嬢だろう? 信じられずにいる俺。 「わたしぃ、ヘリィの・・・あらぁ、ごめんなさぁい? ヘリオトロプさまのぉ、はとこなの。 幼いころからすぅっごく仲良くしていただいているのよぉ? 婚約者になったあなたとも。仲良くしてあげたいと思ってぇ。お顔を見に来たのぉ」 この女はいったい何を話しているんだ? 口を挟みたい俺は、いつの間にかロベリアの後ろへ進んでしまい。 俺の右隣に、学年首席が。左隣にロベリアのいとこが。やはりいつの間にか出てきていた。 ・・・俺の後ろにも、クラスメイトが集まっているようだ。 勝ち誇った顔をするピンクブロンドに対して。 後ろで、クラスのみんながむっとしているのがわかる。 「ふうん。もっと綺麗な人かと思ってたわぁ。ヘリィったらぁ可哀そうね?」 女がいくら挑発しても、ロベリア嬢のアルカイックスマイルは崩れなくて。 しばらくしたら飽きたのか、女は「またねぇ」ひらひらと手を振りながら帰っていった。 「どうして止めたんだ。ロベリア嬢」 「そうよ。あんなの、みんなで追い返したのに」 憤る声がいくつも。 にこりと笑うロベリアを囲む。 クラスのみんなが、ロベリアのために文句を言おうとしていた。 それを。 彼女はあの女に見えないように後ろ手に掌を開いて。みんなを止めたのだ。 「みんな、ありがとう。 でもね。これは家の問題なの。 正直に言ったら、私にも関係のない問題なのよ」 彼女はあっけらかんと笑った。 ・・・それもそうだ。 政略結婚は家同士の結びつき。今回の場合、対処すべきは公爵家だ。 アルカイックスマイルを消し、いつもと変わらないロベリアに。 そうだね、と表面上は笑いかける。 ・・・気持ちは暗く、重くなりながら。 馬鹿なことを。君に伝える前で、良かったよ。 正式に結婚を申し込みたいんだ。ロベリアと婚約を結びたい。我が家が侯爵家であることは心配しないでくれ。明日にでも、正式な使者を立てていいだろうか。・・・ロベリアが好きなんだ。 何と言おうか楽しみだった今朝までの浮かれた自分が。地の底へと転げ落ちていく。 婚約者のいる女性だ。どんなに好きでも、ロベリアは俺の手には入らない。 泣き叫びたいような気持をぐっと固めて。 俺はすっぱりとロベリアを諦めた。 ・・・つもりだった。 あのピンクブロンドは、時々我がクラスにやって来るようになって。 マナーのなっていない態度で、余計な言葉を吐いて帰る。 しかし、ロベリアは怒ることもなく。本当に無関心に聞き流し続けてる。 ロベリアはやっぱり、素晴らしい女性だ。 あの女が来た時だけ、公爵家婚約者として振る舞うロベリア。 クラスでは。つまり友人の前では変わらない明るいロベリア。 ・・・気を使って距離を置いたはずだったのに。 いつのまにか、俺も。もとの近さに戻ってしまった。変わらない態度の彼女に甘えてしまった。 ・・・婚約者のいる女性として、扱わなければならないのに。 彼女がヘリオトロプと学園で過ごすことはまるでないんだし。彼女も別に気にしていないからいいじゃないかと・・・言い訳をして。 俺はあの女と同じじゃないか・・・。常識のない馬鹿な男に成り下がっているじゃないか。 自分を嫌悪していても。 ・・・ロベリアと話さずにはいられず。その髪にふざけたように触れずにはいられなかった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

241人が本棚に入れています
本棚に追加