241人が本棚に入れています
本棚に追加
ソースベリ侯爵家長男リアトリス ②
「あなたがぁ、ヘリィの婚約者ぁ?」
教室へ入ろうとしたロベリアに、舌足らずな声が話しかけて。
扉のそばの席にいた俺は、立ち上がり廊下を窺った。
ロベリアの向こうには、ピンクブロンドの髪。
あれは、学園で”有名”な子爵令嬢?
シュナイドー公爵家嫡男のはとこ、じゃないか?
・・・あぁ。確かにそうだ。俺は伸びあがって、ご令嬢を確認する。
ひとつ年上のこの子爵令嬢は小柄だが、出るところは出て。腰はきゅっと細くって。
それが自慢なんだろう。胸元の開いた、体形を強調させるドレスばかり着ている。
俺だって男なんだから、つい視線をやってしまうけど。
・・・下品な女性だ。
このクラスに公爵嫡男の婚約者が居ると聞いて、やって来たんだろうか?
シュナイドー公爵家嫡男ヘリオトロプの婚約は、高位貴族家としてはかなり遅かった。
後継者争いがあり。婚約、婚姻も遅いのは我がソースベリ家くらいだ。
特に嫡男であれば、学園に入る前には婚約者がいるのが普通だろうに。
そのせいか、社交界でも彼の婚約は噂になっていたはずだ。
・・・学園での噂は、少し毛色が違っているのだけれど。
ヘリオトロプは、親戚だとかいう”この”子爵令嬢と仲が良すぎるのだ。
去年、つまり1年生のころから。豊満なこの子爵令嬢といつも一緒に過ごし、ランチを取り。べったりと自分に寄り添わせていたそうだ。
婚約者がソルティン伯爵家令嬢だ、と知る者は。彼の態度に眉を顰め。
知らない者はやっと”この”はとこと婚約したのかと思っている。
つまり。
婚約者ができた時点ですっぱりと手を切るべきだったのに。ヘリオトロプは、今現在もまるで態度を変えていないのだ。
この女をそばに侍らせて喜んでいる。
いくら政略の婚約とはいえ、最低な男だ。俺はそういう奴が大嫌いだ。
そしてその相手である・・・この女も。
自分から身を引かない時点で、この女に常識がないことは歴然としてる。
女は髪をいじりながら、ロベリアを上から下まで眺め。
胸で視線を止めた。自分の胸を見せつけるように突き出し、ふふんと鼻で笑いながら。
・・・俺にだってその意味は分かる。
失礼な!
自分の名を名乗りもせずに話しかけるなどと。
しかも。この女はロベリアと、いとこの伯爵令嬢とを勘違いしている。
助けなければ、と俺が動こうとした時。
ロベリアはアルカイックスマイルを見せた。
「わたくしは、ソルティン伯爵家のロベリアと申しますわ。
あなたは、どなた?」
態と爵位を告げる尊大な態度。柔らかな声音には、名乗りもしないお前など知らないというほんのりとした嫌味。
背筋の伸びたその態度は・・・公爵家令嬢かと思うほどの威厳を備えていた。
・・・その態度に。
あぁ。公爵家へ嫁すためのマナーの勉強はもう始まっているんだ、とすとんと腑に落ちる俺と。
伯爵家?え?ロベリアが?
違う、ロベリアは子爵家のご令嬢だろう?
信じられずにいる俺。
「わたしぃ、ヘリィの・・・あらぁ、ごめんなさぁい?
ヘリオトロプさまのぉ、はとこなの。
幼いころからすぅっごく仲良くしていただいているのよぉ?
婚約者になったあなたとも。仲良くしてあげたいと思ってぇ。お顔を見に来たのぉ」
この女はいったい何を話しているんだ?
口を挟みたい俺は、いつの間にかロベリアの後ろへ進んでしまい。
俺の右隣に、学年首席が。左隣にロベリアのいとこが。やはりいつの間にか出てきていた。
・・・俺の後ろにも、クラスメイトが集まっているようだ。
勝ち誇った顔をするピンクブロンドに対して。
後ろで、クラスのみんながむっとしているのがわかる。
「ふうん。もっと綺麗な人かと思ってたわぁ。ヘリィったらぁ可哀そうね?」
女がいくら挑発しても、ロベリア嬢のアルカイックスマイルは崩れなくて。
しばらくしたら飽きたのか、女は「またねぇ」ひらひらと手を振りながら帰っていった。
「どうして止めたんだ。ロベリア嬢」
「そうよ。あんなの、みんなで追い返したのに」
憤る声がいくつも。
にこりと笑うロベリアを囲む。
クラスのみんなが、ロベリアのために文句を言おうとしていた。
それを。
彼女はあの女に見えないように後ろ手に掌を開いて。みんなを止めたのだ。
「みんな、ありがとう。
でもね。これは家の問題なの。
正直に言ったら、私にも関係のない問題なのよ」
彼女はあっけらかんと笑った。
・・・それもそうだ。
政略結婚は家同士の結びつき。今回の場合、対処すべきは公爵家だ。
アルカイックスマイルを消し、いつもと変わらないロベリアに。
そうだね、と表面上は笑いかける。
・・・気持ちは暗く、重くなりながら。
馬鹿なことを。君に伝える前で、良かったよ。
正式に結婚を申し込みたいんだ。ロベリアと婚約を結びたい。我が家が侯爵家であることは心配しないでくれ。明日にでも、正式な使者を立てていいだろうか。・・・ロベリアが好きなんだ。
何と言おうか楽しみだった今朝までの浮かれた自分が。地の底へと転げ落ちていく。
婚約者のいる女性だ。どんなに好きでも、ロベリアは俺の手には入らない。
泣き叫びたいような気持をぐっと固めて。
俺はすっぱりとロベリアを諦めた。
・・・つもりだった。
あのピンクブロンドは、時々我がクラスにやって来るようになって。
マナーのなっていない態度で、余計な言葉を吐いて帰る。
しかし、ロベリアは怒ることもなく。本当に無関心に聞き流し続けてる。
ロベリアはやっぱり、素晴らしい女性だ。
あの女が来た時だけ、公爵家婚約者として振る舞うロベリア。
クラスでは。つまり友人の前では変わらない明るいロベリア。
・・・気を使って距離を置いたはずだったのに。
いつのまにか、俺も。もとの近さに戻ってしまった。変わらない態度の彼女に甘えてしまった。
・・・婚約者のいる女性として、扱わなければならないのに。
彼女がヘリオトロプと学園で過ごすことはまるでないんだし。彼女も別に気にしていないからいいじゃないかと・・・言い訳をして。
俺はあの女と同じじゃないか・・・。常識のない馬鹿な男に成り下がっているじゃないか。
自分を嫌悪していても。
・・・ロベリアと話さずにはいられず。その髪にふざけたように触れずにはいられなかった。
最初のコメントを投稿しよう!