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ソースベリ侯爵家長男リアトリス ④
・・・柱の陰に立っている人間。
公爵家令息ヘリオトロプ!
またぐっと拳を握りしめてしまう。
彼は少しうつむいて。床の一点をじっと見ている。
そちらへ、2歩。
影が差したのか、ぼんやりと彼は顔をあげた。
さっきのを・・・こいつは見ていたんだな。俺を見て目を見開いた。
・・・そうか。
これだけぽけっと立っていられて。
先に教室を出たロベリアが・・・こいつに気付かなかったはずがない。
そうなんだな。こんな男が。
こんな男が好きなんだな、君は。
婚約者が他の男から抱きしめられても、怒りもしないこんな男のどこがいいんだ!
衝撃から立ち直るように、俺の前ですっと背筋を伸ばす男へ。
「俺は謝りません」
出たのはそんな挑発的な言葉で。自分でも驚く。
俺がフラれるのを見ていたのかよ。そんな無関係な怒りと。
鮮やかな赤い瞳に銀色に光るブロンド。顔だけは整ってやがる。性格は最悪のくせに。そんな憤り。
ヘリオトロプは怒った風もなく淡々とした表情で。
・・・それでも俺から視線を逸らした。
ロベリアが、どれほど嫌な思いをしてきたか。
あの女のことだけじゃない。
婚約者にないがしろにされていると噂される女性が、他の女どもからも馬鹿にされることを。この男は何にもわかっていないのだ。
俺が何を言っても、ヘリオトロプはひと言も言い返さなかった。
言質は取られない。
確かにこいつは公爵家の人間なのだ。
俺の激昂を。馬鹿々々しいと思っているんだろう。そう思って怒りが頂点に達した時。
ヘリオトロプは黙ったまま。
反省している風に。俺に向かって頭を下げた。
はぁ。なんだよその態度・・・。
おかげで殴り損ねたじゃないか。
・ ・
ふたりの関係性は、変わったようだった。
ヘリオトロプは、馬車どまりから教室までロベリアをエスコートし始めた。
それも毎朝。欠かさず。
ふたりとも薄く笑んだ表情は崩さない。紳士と淑女の態度。
特には何を話してもいない。公爵家の婚約者同士とは大抵ああいうものだ。
ただ・・・俺にはわかる。ヘリオトロプの視線が温かいと。
学園での噂も変わった。
公爵令息に大事にされている婚約者ロベリア。
もう、誰からも陰口をたたかれることはない。
未来の公爵夫人である彼女に。媚びる人間が、増えていくばかり。
俺にできないことを。簡単に事を収めたことを。
腹立たしく思ってしまう俺は、やはり侯爵家を継ぐ器ではないな。
・ ・
ヘリオトロプは今年卒園する。
在校生も参加できる卒園パーティに。ロベリアが出席すると知って。
俺は出かけずにはいられなかった。
ロベリアは・・・パートナーとして出席していた。
ヘリオトロプの瞳の色のドレスを着て。ダンスを2曲続けて踊って。
いつものように淑女の微笑みを張り付けて。
淡々として見えるけれど・・・。
それでもふたりはずっと一緒に過ごしている。
こんな光景を見るかもしれないと思っていたくせに。
ざわざわとした気持ちに胸を押さえる。
疲れたらしいロベリアに飲み物を運ぶ気だろう。
彼女を腰掛けさせて、ヘリオトロプはそのそばを離れていく。
その態度は完璧で。マナー講師のようだ。あの立ち居振る舞いは、真似出来そうもないな。
卑怯な俺は、ヘリオトロプが離れたすきに彼女に近づいた。
「踊ってくれませんか?」
婚約者のいる女性へでも。ダンスの申し込みは出来る。
2曲以上続けて踊ることはマナー違反だけれど。
それでも。
差し出した手をロベリアが取ってくれるとは思っていなかった。
「もちろん。喜んで」
笑う彼女は。俺の好きだったロベリア。
「大丈夫か?婚約者から怒られないか?」
俺のほうが焦ってしまう。
くすくすとロベリアはまた笑った。
「リアトリス様が、一番知っているじゃない。
わたしの婚約は、政略だわ」
ホールの中央へとエスコートして。踊りはじめ。
「ありがとう」と伝えた。
何が?とロベリアは不思議そうだけど。
”あの”翌日。覚悟していた俺にいつも通りの彼女。
ロベリアは友人の立場から俺を追い出したりしなかった。
今度こそ俺は節度を持って、友人でいようと努力している。
あと1年の学生生活。俺は距離を違えない。きっと。
曲が終わるのを。俺とのダンスが終わるのをじっと見ているヘリオトロプの目には嫉妬がありありと浮かんでて。
へぇ。俺もまんざらじゃないんだなとにやりとしてしまった。
今もしも、ロベリアを抱きしめたら。あいつは俺に決闘を申し込むだろうか。
良かったな。ロベリア・・・君が、好きだったよ。
ヘリオトロプは曲が終わる前から、こちらへ歩いてきて。
礼もそこそこにロベリアを取り返す。
やっぱりあの時。一発くらいこいつを殴っておけばよかった。
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