② ロベリア

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② ロベリア

学ぶことは嫌いじゃない。 シュナイドー公爵家から最初に派遣されてきたのは、マナーの先生だった。 前々々某侯爵夫人でいらしたという、それなりの年齢の未亡人。 髪はもう真白になられていたけれど。肌はつやつやと。落ち着いた黄色の瞳で。すっと伸びた背筋。ゆったりと聞きやすい声。 わたしなりに、淑女としてご挨拶したつもりだったのに。 「シュナイドー公爵家のヘリオトロプ様のことは、お小さいころから知っております。とても優秀なお方ですわ。並び立つためにはかなりの努力が必要になられますことよ?」 アルカイックスマイルなのに・・・その瞳は笑ってて。 (あなたにお出来になるかしら?)ってその感情が伝わる。 馬鹿にされてる? なによ!伯爵令嬢としてのマナーは完璧だって言われてるんだから! 公爵家に嫁すためのマナーはあなたが教えるんでしょ。教わる前から知ってたらあなたなんか要らないじゃないの! 言わなかったわ。言いたかったけど。 でもすべて見抜かれてた。 さすがマナー講師として長く過ごしてこられただけあったわ。先生は、わざと喧嘩を売られたんだった。 ”わたし”をすっかり見抜かれて。 見てなさい!すぐに見返してやるから!!! わたしの負けず嫌いに火を点けられてしまった。 きっとしてやったりと思っていらしたでしょうねぇ。 後からそう気付いたけど。やる気は消えなかった。 「シュナイドー公爵家は特に。波風を立てないことを第一に考えていらっしゃる家系です。社交界のまとめ役を買って出られている」 一切感情を出さない微笑みが必須です。って・・・。 いや、無理。頬がひきつる。 アルカイックスマイルとか淑女教育として習ってたのに。もうワンランク上!確実に感情を消した微笑みよ!って意味わからない! でもお父様の言う通り。これはいい経験になる、と思うもの。 先生からだって。 「これほど教えがいのある生徒も久々だわ」そう言っていただけたもの。 やってみせるわ! ・・・ん?先生の言葉って。出来が悪いわ、って意味にもとれる?   ・ ひと月後。 初めての婚約者同士のお茶会は。嫌味なくらいのいいお天気で。 公爵邸へ向かう馬車に揺られながら・・・すごく緊張してた。 先生から教えてもらった”秘密の呪文”を心で呟く。 このひと月で先生とはすっかり仲良くなってしまったわ。 「お茶会では、あなたのマナーをこっそり試験なさるのよ」 こっそりって・・・先生、それ。わたしに言ってはいけなかったのでは? アルカイックスマイルの先生なのに。にやりとなさった気がする不思議。 公爵家にふさわしくないと言われるのは屈辱よ!って負けず嫌いなわたしと。 完璧な淑女教育を施したって言わせてみせるわ!って先生と。 利害は一致しちゃったのよねぇ・・・。 最初の試験は周りの視線に耐えられるかどうか、だそう。 「侍従やメイドがかなり囲むはず。それを完全に無視なさい。 特に侍女長は、わざと冷たく見つめてくるはずよ。大丈夫、ロベリアなら」 これでも結構小心なのよ? でも何とか頑張るわ、先生。 公爵家の馬車どまりへついて。教えてもらった”秘密の呪文”をまた・・・。 ほとんどおまじないと化してるわね。 完全に馬車が停まったわ。 よし!と気合を入れて。わたしは立ち上がった。 のに。 扉が開いたときには固まっちゃった。 そこには公爵令息。・・・公爵令息?なんで馬車どまりにいるの? 急な外出で、お茶会は中止なのかしら?? だけど彼は。 「お待ちしていたよ。よくいらしてくれたね」 完璧な紳士の微笑み。そう、アルカイックスマイルで手を差し出した。 ・・・あぁ。そっか。 先生が仰るのはこの顔なんだわ。 前回会ったときには、胡散臭い笑顔としか思えなかったこの笑い方。 人形より笑っていないこの”笑顔”が、わたしが目指すべき微笑みなのねぇ。 ぼんやりとそんなことを考えていたせいで。 伸びてきた手の上に。つられるように手をのせて・・・。 しまった! やってしまったわ!と思うけど。顔に出してはダメよ! 出来るだけゆっくりと・・・支えられながらステップを降りて。 その間に心でご挨拶を復唱。落ち着け落ち着け! 失礼にならない程度に素早く手を離して。 カーテシーとともにお招きいただいたお礼を述べた。 まさか馬車どまりまで、迎えに来てくれるなんて思ってなかったんだもの! そのお礼も言うべきかしらとちょっと思ったけど。やめといた。 アルカイックスマイルのままの令息は。挨拶を受け、美しく返事をしてくれて・・・。 それからまた手を差し出した。 「今日はお天気もいいし、お庭にお茶の用意をしたんだ。ご案内するよ」 さすがは公爵家嫡男。政略の意味をちゃんと分かってるのねぇ。と感心してしまう。 態度が悪いだろうと覚悟していたのに。すっかりびっくりさせられちゃったわ。いえ、少し嬉しいくらい。 ・・・って。騙されちゃいけないわ! 先ほども思い出していた”秘密の呪文”を。また心で呟く。 ”誰も、信用しないこと” 仲良くなろうとしてくれている?と思ってしまいそうな自分を叱咤する。 瞳を見分けなさい。ロベリア!・・・令息の瞳には何の感情の色もないじゃないの!
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