⑨ ロベリア

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⑨ ロベリア

公爵令息にも、とうとう噂が耳に入ったのかもしれない。 婚約者がいるくせに令息は他の女性と仲良くしている・・・とかいうあれ。 彼は毎朝、学園の馬車どまりへ。わたしを迎えに来てくれるようになった。 教室まで、エスコートしてくれるようになった。 その最初の日。馬車からふと外を見て。 まっすぐにとても綺麗に立っている令息を見つけて・・・わたしは昔の白昼夢でもみてるのかしらと自嘲してしまったわ。 まさか、本当にそこに居るなんて思ってなかったんだもの。 令息の計画は無事に認知されたみたい。浮気の噂は消えてしまって・・・わたしは大事にされている婚約者だと言われ始めた。 今まで聞こえよがしに嫌味を言っていた人たちはすっかり大人しくなって。 媚びてわたしに近づいてくる人も増えた。 ・・・おかげで。学園でも気を張っていなくてはならなくなったわ。 だから呪文をまた唱える。 ”誰も、信用しないこと” 足元を見られてはならない。気を許してはならない。 公爵家の人間だというだけで。妬まれ、罠にかけられるのだから。 我が家へ派遣されてきた家庭教師の方々は。みんなそう教えてくれた。 それを公爵家の方々にも適用しなさいとはっきり仰ったのはマナーの先生だけだけど。 ・・・はじめて公爵閣下のお城へ、ひとりで行った日。 馬車の扉が開いて手を差し出されて。わたしはまだたった12歳。 ひとつしか違わないのに、ご令息の手は大きくて・・・温かかった。 わたしの歩幅にあわせて歩いてくれて。 「下り道だよ」時折気遣う言葉が発せられて。 その外見がおうじさまなんだもの。 すっかり嬉しくなってしまったのもしょうがないと思わない? あの時にも・・・何の感情もない瞳に気付いて。 マナーの先生が仰った”呪文”に縋りついた。 誰も信用してはならないわ。こんな状況で、わたしに好意を向けてくれるはずがないじゃないの! ふふふ。 あの時に。二度と間違わないと思ったはずなのに・・・。 わたしはもっとしっかりしなくてはならないわ。 仲良くなろうとしてくれてる。と考えちゃった自分をどんと激励する。 さ!頑張って瞳を見返しなさい。ロベリア!・・・公爵令息の瞳には何の感情の色もないわ! 今までも。どんなに紳士的な対応にも、きちんと線を引けていたじゃないの! ・・・どうしては。もっとうまくやってくれなかったんだろう。 幼馴染と結婚したかったのなら。誰にもわからない様に愛を育めばよかったじゃないの! 公爵閣下にだけは露見しないように、気を付けてくれていたら。 婚約者と仲良くなってくれと、わたしが言われることは無かったわ。 令息と個人的な話などしないままでいられたわ。 とても楽しそうにわたしに向かって笑う顔なんか知らないままでいたかった。 そうすれば。 わたしは嫌われているのだと、それが辛いのだと自覚しないで済んだのに。 わたしは会う度に。令息の瞳をのぞき込む。 それはとっても冷たいから。 わたしを正気に戻してくれるもの。   ・  ・ 卒園パーティ用に。シュナイドー公爵令息から届いたドレスを見て。 兄さまは。 「ずいぶん好かれてしまったねぇ」 と困ったようにため息をつかれた。 そんなことはまったく無いわと思うけど・・・言えなかった。 伯爵家にとってはよくない報告になってしまうもの。 これからソルティン伯爵家を継ぐ兄さまに。 仲良くなるっていう作戦は失敗しましたって言えなかった。 箱から出されたのは、ガーネット色のドレス。 一緒に届いた装飾品は赤いルビーのイヤリング。 確かに、公爵令息の瞳の色だけど。 卒園のパーティだから、というだけよ。 仲のいいふりをしたいだけだと思うわ。そうすることが必要だと思うから、彼は学園での態度を改めた。 パーティに誘われた時だって・・・一緒に行く理由は婚約者だから、だと言っていたもの。 ふたりでのランチ以外。わたしへの対応は変わらない。 いいえ、ランチでだって。にこやかに話すことができていても。 いつだってその瞳には何の感情もないわ。 今もあの瞳が怖い。嫌いだと意思表示してくれるほうが、きっと親切だわ。 拒絶さえもしてもらえない無関心は。私の心を何度も凍えさせる。 一緒に卒園パーティへ出席した令息は。やっぱり完璧なエスコートで。 ダンスに誘うマナーも洗練されていた。 「疲れていない?」と気遣う言葉「よければ、もう一曲付き合ってくれないか?」2曲目へ誘う言葉も流石。 まるで・・・わたしと踊りたいかのように聞こえたわ。 婚約者ならダンスは2曲踊るのが普通。あくまでも礼儀として言われているだけよ。 令息の冷たい瞳をのぞき込めば、高揚しそうなわたしの心はきちんと冷えてくれた。 学生生活最後の思い出の場とされているパーティ。 それでも友人を放っておいて私のそばにいようとしてくれる。 ・・・これ以上ない婚約者の態度。 ご友人たちと話してきてください。少し休憩しますわと言うと。 わざわざ、休憩スペースまでエスコートしてわたしを座らせ。飲み物をとってこようと言ってくれた。 何もかも完ぺき。 結婚してからも、正妻として遇してくれるはずだわ。対外的にだけなんだろうけど。 あの・・・幼馴染の女性は今・・・どうしているのかしら。 もう離婚させられて連れもどされている? 結婚して公爵家へ行ったら、すでにそこに居るのかもしれないわね・・・。 去っていく令息の背中を見ていたくなくて。 会場を見まわす。 あれは・・・リアトリス様? 正装のコートは薄緑色。髪をあげて撫でつけて。すごく大人っぽいのに。 友人と話されているその表情は相変わらず柔らかい。 見ているだけでほっとしてしまうわ。 ・・・今年、卒園するご親戚がいらしたのかしら。 パーティの趣旨から、在校生の参加も歓迎されている。 目が合ったので、軽く頭を下げる。 にっこりと近くへ来てくれて、ダンスに誘ってくれた。 リアトリス様は”あれ”からも。友人として接してくれてる。 マナー通りの距離感。それでも瞳は優しいまま。 やっぱりいい人だわ。 兄さまみたいに、そばにいると安心できる人。 鈍そうに見えて鋭い方だもの。 今から考えると・・・。 リアトリス様へ逃げようとしたわたしに気付いていたから。あんなことを言ってくれたのかもしれないわねぇ。  
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