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⑧ シュナイドー公爵令息
ロベリア嬢とのランチ回数は、ふた桁をも超えた。
「ふふふっ」
今日もまた。声を出して、ロベリア嬢が笑う。
ぷっと吹き出してしまったのは私のほうが先だったというのに。
初めてふっと息を吐いて笑ってしまったその日。彼女は真っ赤になって平謝りしてきた。
友人と居る時には、楽しそうに平気で笑っていたじゃないか。
なんとも表現できない心地がして私は。
このランチの時間には気にしないでほしい、と頼んだ。
公爵家でのお茶会と違って。公爵夫妻の命を受けた侍従、侍女はここには居ないのだから。
私たちの様子が報告されることはないのだし、と。
・・・最近では、ずいぶん打ち解けてくれたと思う。
自分の失敗まで話してくれる。
「ぜひ、いただきたいね」
少し意地悪に笑いかけると。彼女はぐっと眉を下げてしまった。幼子のような表情もまた可愛らしい。
なんでも出来るロベリア嬢だが。
刺繡だけは苦手なのだと言う。
確かに、一度もハンカチなどは貰ったことが無いなと思い出す。
「何とか練習しなくてはと・・・頑張って。出来たものを兄に渡しましたの。
そしたら、お兄さまったら」
むっとした気持ちを思い出したのか、口調が少し変わる。
「よく出来た蛙だねって。
わたくし、ちゃんと最初にクローバーですと言いましたのに!」
その態度が可愛くて。くすくすと笑うと、彼女は頬を赤くする。
「私には、刺してくれないのだろうか?」
「で、ですから今練習中で」
はっと彼女は扇を広げる。
・・・だけどやっぱり、恥ずかしそうなその表情は横から見えてしまっていた。
そうか。私のために練習をしてくれているのか。
「私にも、蛙を。ぜひいただきたいね」
にやりと言ってしまった私をちらりと見上げて。眉を下げて。
「意地悪でいらっしゃいますわ」
でも彼女は最後には、ふふふっと笑ってくれた。
母上の見張り役、侍女頭がいるお茶会でなら。
こんな態度ではふたりとも叱られてしまうだろう。紳士、淑女教育から言えばあまりよろしくない。
けれどもちろん、公爵家お茶会の時にはロベリア嬢は変わらずアルカイックスマイルだ。
ランチの時間、ふたりの時にだけ(侍従ひとり、侍女ひとりは同室している)。
こうやって表情を崩してくれることが、素直に嬉しかった。
プライベートなことも話してくれることが楽しかった。
今なら。ロベリア嬢の好きな食事を。お菓子を。用意することが私にも出来る。
そろそろいいだろう。
・・・仲良くなれたのだから。
私は婚約解消に向けて。ロベリア嬢と話さねばならない。
・・・だけど。
なぜか毎回、彼女の顔を見ると。その話は来週にしようと引き延ばしてしまっていた。
・ ・
他の公爵家からお茶会の招待状が届いたのはそんな頃だ。
私はもうすぐ卒園なので、社交が増えてきていた。
ロベリア嬢を誘おうと、放課後。馬車どまりへ行ってみたが。
待っている伯爵家の御者は、まだ教室にいるようだと教えてくれた。
校舎にいるのなら、馬車までエスコートしてあげることができるな、と。
私は急いで彼女の教室へ向かった。
目撃したのはその場面。
教室には・・・扉が全開になっているとはいえ、男女がふたりきり。どういう偶然か、彼女らしくない失態だ。
・・・躓いたロベリア嬢。
「あぶない」
ソースベリ侯爵家令息は、さっと。いや、大事そうにそっと。彼女を支えた。
「ご、ごめんね。ありがとう」
慌てて離れようとするロベリア嬢。
だけど。
令息はぎゅっと彼女を抱きしめた。
怒鳴りつけたい気持ちがわいて。
そんなこと私に言う資格はなかった、とぐっと堪える。
やはり・・・彼らこそ愛し合っているのだ・・・。
「お離しください」
だけど、彼女の声は優しいながらもきっぱりとしていた。
「・・・嫌だ。離したくない。
シュナイドー公爵家の・・・残りの借金を。我が家で肩代わりしてはいけないだろうか。
俺は調べたんだ。
他国へも大きく事業を展開している君の家は。公爵家との縁づきをそれほど望まなくても大丈夫なはずだ。もし、それを望んでいるとしても。我がソースベリ侯爵家なら充分代わりになれると思う。
政略結婚の申し込みは、伯爵家側からだと聞いた。
公爵家が爵位をかさに着て、借金を踏み倒す可能性を考えて。仕方なく婚約の形をとったのだろう?
公爵家の借金がなくなれば、ロベリア嬢は彼と婚姻しなくて済むはずだ。
今すぐ俺を好きになってとは言わない。
けど。政略結婚する気だったんだ。
・・・婚約者が俺に代わってもあなたには違いはないだろう?」
大事故からすぐの、私の婚約。相手はかなり裕福な新興伯爵家令嬢。
シュナイドー公爵家は借金を抱えた、と噂されていることは知っている。
しかし。我が公爵家の生活はなにひとつ変わっておらず(無論、虚勢だが)侮られる真似はしてきていない。
借金があったとしても大した額ではなく、伯爵家を取り込もうとしているのだ。そう噂の調整もしていたはずだ。
・・・彼女のために。彼は情報を集めたのだろうか・・・。
ソースベリ侯爵家令息の言う通りだ。
ロベリア嬢がはいといえば、すべて丸くおさまる可能性は高い・・・。
彼女の返事を固唾をのんで待っているのは。彼なのか。私なのか。
「違いは、ありますわ」
ソースベリ侯爵家令息はその言葉に衝撃を受けた。
固まった彼を押し飛ばすようにして、ロベリア嬢は教室を出ていく。
私も衝撃を受けていた。
彼女は公爵家のほうがいいと言っただけだ。そう思うそばから・・・。
ソースベリ侯爵家も歴史のある家系だ。派閥は違うとはいえ、どちらも国王寄り。広大な領地をもち、しょう爵も可能な侯爵家だ。
我がシュナイドー公爵家でなければならない、と言われるほどの違いは無いはずだ。
そう言い訳を考えてしまう。
公爵家だから彼女に選ばれただけだ、と・・・私は考えたくないのか?
そんなはずは、ない。
ロベリア嬢は彼が好きなはずだ。
どうしてあいつの言うとおりにしない?
・・・どうして私は・・・ほっとしているんだろう・・・。
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