可逆線上のアリア

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目の前に広がる歌舞伎町は、数十年前の煌びやかな面影はもう無い。町の中は、洞窟内のように、明かり一つなく暗黒に包まれ、道路は瓦礫と人の死体で、道が存在しない。ほとんどの建物の壁に穴が開き、ガラスは全て割れている。町には色も深く掴み所のない暗闇と対照的に、鮮やかな明るい、赤ペンキのような鮮血で、所々が染まり、コントラストを奏でる。二人の男性隊員が、かろうじて建物と呼べる空間の隅で、寝ながら寄り添い合う。その二人は血と埃、煤(すす)、痣と生傷が、身体中に彩られている。片方の隊員は自決したようで、口に銃口を咥えたまま眠っている。後頭部に、拡張した尻の穴のような、赤黒い空洞が見える。もう一人の隊員は、肩に銃痕があり、そこから墨が、赤ペンキの海に、注がれる。それらが混じり合うと、マーブル模様の海面が出来上がる。墨を流した隊員にはどうやら、脈があるようで、助けにきた別隊員に、手首に人差し指と中指が添えられたのち、肩に包帯が巻かれ、背負われて運び出される。少し長い外出に出かけた、赤いペンキを流した隊員から、二人を見ると、海面を忍者のように、地に足つけて歩くように見えた。 こんな昼は、メープルシロップのようで、甘く粘液性があり、自身に浸透し、怠惰に寝転がったまま、起き上がらさせない意志を感じる。そんな想像に桜美仁は、自部屋でホログラムを使って、ネットニュースを開きながら、ショーペンハウワーの「表象と意志としての世界」を連想した。 「俺が感じているこの昼の、物自体は、メープルシロップなのかもしれないな」 彼は独り言が癖で、それは彼が精神的に独り故である。精神機構の世界があれば、彼の周りには白のみが無限近く広がり、微かに遥か遠くの地平線に沿って、何かが存在していることが認識できる程度だろう。彼の眼を通して世界を見れば、その精神機構に歪められたものが見える。数メートル先にいる人が、月にいるように感じ、テレビを眺めてみれば、望遠鏡から星を客観的に観察している感覚になる。 「そうさ。この目視できる世界は、所詮、表象に過ぎない。なにがどうなろうと、どうでもいいことだ。生きてる意味など無いんだ」 そう言って、仁がニヒルな笑みを浮かべると、家のドアが荒々しく、人を殴るように叩かれた。そこから、打撃音が響くが、彼の母は音がしないように動かない。仕方なく、仁が寝癖をつけて、目脂で霞んだ視界で扉を探し、爪垢の隙間に多くの皮脂を含んだ指で、ドアノブを捻り、天然のサーチライトに照らされ、顔を顰(しか)めながらなんとか目の前を認識しようとする。蒸された鏡に映る己のように、ぼやけた人型が形を徐々に取り戻し、中年の自衛防隊(自衛及び戦争の予防を目的とした隊)員が現れた。カメレオン光彩液晶を搭載した、黒装束を身に纏い、腰に黒色の折り畳まれた、自動レーザー拳銃とレーザー小銃を据えて、目尻にいくつか皺を枝分からせて、眩しさに耐える如く厳しい眼光で、仁を見据える。 「桜美仁だな?私は石塚だ。君には自衛防隊に入隊してもらう。今すぐ、こちらについて来い」 「…はい」 彼は、日常に虚無感を感じ、生に興味を失っていた中、入隊という命の危機を目の前にして、死を意識し恐怖した。異変を察知したのか、重い足取りで彼の母が、リビングから玄関まで歩み、石塚を見て形相が、軋み歪んだ。 「あ、あなた誰?」 母の声は、不安と恐怖に銃口を突きつけられて、警戒心に身を包み、必死に絞り出した声を出した。顔と唇は青白く、落ち着きがなく、歯をガチガチと鳴らし、息が荒く壁に片手で寄りかかり、眼球の焦点が合わず震え、冷や汗をかいて一筋の雫が、こめかみのあたりから垂れた。 「自衛防隊隊員、石塚だ。お子さんに入隊してもらう旨を伝えるため、ここに来た」 石塚は母と対照的に、無精髭とニキビを潰した痕が飾られた肌は、血色良く、態度は冷静で動じる様子がない。 「母さん、しょうがないだろ?行くしかないんだ。どのみち、こんな人生意味無いんだ。…じゃあ」 仁はもう落ち着き払った様子で、いつもの虚無的な言葉を吐いた。その表情が語るものはなにもないようだった。石塚は、先導するように進み出し、それに仁がついていくと、半開きになっていた扉が自動で徐々に閉じる。 「いやあああああああああああああああああああああああああああああ!!」 その隙間が閉じ切る前に、壊れた機械が、なにやらエラーの信号を発したようだった。甲高く、空気、鼓膜すら切り裂くようで、非人間的な、音が響いた。 仁が連れられた先には、一見、ただの黒塗りのハイエースが駐車している。運転席に石塚が入ると、背景と同一に染まり、ハイエースが消えた。乗客席の扉が空中に現れて、それが開くと空中に車内が描かれる。それは絵で無く、仁はそこに乗り込めた。席に座り、隣に気づかれないように、目線だけを向けると自分と同じく、今日入隊となった者が座っている。 「あれ、斉夏だよな」 「え、仁くん?…まさか、仁くんも入隊することになっちゃうなんて…」 七海斉夏は、友である仁が同じく自衛防隊に入隊したことに安堵した様子は全く無く、完全に逆で、声が震え、顔が俯き、相手を慮り気の毒に思っているようだ。斉夏は、仁と同級生で、仁が、唯一信頼出来る友達である。後天性の盲目で、十七歳の高校二年生で、ほんの少しの光が見える程度な上、小柄で身体能力は平均より劣る。斉夏は働かない大きな目を、前髪で隠して、虚空を見つめる。 「いや、お前こそ、障害持ってんのになんで入隊させられてんだ?」 「うーん…きっと、それほど日本政府は追い込まれてるんだと思う…石塚さんが、これ読んどけって」 そう言って、古臭い、紙の資料を仁は、手渡される。心の中で、『これだから日本は外国に置いてかれて、内紛で自爆寸前とかになってんだよ』と、呟いた。資料には、こう記されている。【“なぜ争うのか”そもそも近年、国家反逆行為が繰り返される原因は、数十年遡る。遥か昔の日本は少子高齢化によって、日本の存続に関わる段階に置かれていた。その深刻な問題に、当時の日本政府は、移民を大量に受け入れる形で対処した。その対処が、現在の日本の危機に、大きく影響する。移民を無差別に、大量に受け入れた結果、人種や宗教、国家間での対立によって、無数に破壊や暴力を発生させた。パレスチナとイスラエル、白人と黒人、韓国と日本、社会主義国家と資本主義国家などでだ。さらに、火に油を注いだのが、テロリストとの戦闘で疲弊した自衛隊が、同性婚の権利を求める違法な集会に対し発砲(九二六事件)し、三十一人が負傷、十人が死亡する。ここから、国家と国民の間での対立が激化し、国会で自衛隊の権限拡大が行われ、自衛防隊(自衛及び戦争の予防を目的とした隊)と名称の変更、発砲許可の簡略化が行われる。こうして、今の日本国内の、深刻な治安悪化に至る。そして、日本の未来は君たちに託されている】裏のページをめくる。 【“説明” 新宿掃討作戦:新宿エリアの完全な国家反逆者の、掃討を達成する。 歌舞伎町班壱:作戦の歌舞伎町エリアの一部を担当する。 メンバー:(班長)田中山(班員)桜美 島田 七海 韮沢 楢崎 歌舞伎町班壱作戦:作戦決行当日、歌舞伎町内で自衛防隊員以外の人間を発見次第、即座に殺害する。中央エリアは、午後十一時半に小型核爆弾の空爆、その三十分前に中央エリアを除く、歌舞伎町全エリアを、掃討特攻隊による特攻が行われる。そのため、特攻の数十分前には端のエリアを離れ、特攻終了後に突入エリアに到着する、脱出用ヘリコプターに乗ってもらう。戦闘中の具体的な動きに関しては、班長に伝えてあるため、班長から伝達してもらう】 仁が資料を読み終わり、前を見ると前の座席に、同班のメンバーであろう人物が座り、ハイエースが停車した。窓を覗くと、レーザー式フェンスに囲まれていて、ここが何かの施設内の駐車場だとわかる。空中には、監視用ドローンが飛び交って、地面は土埃が塗されたアスファルトが広がる。 「降りろ」 石塚はすでに、降車しており命令し、それに従うように全ての車の扉が、ほぼ同時に開かれ六人が降車する。全員はとりあえず、石塚の前に集まる。 「一人一人前に出て、皆に自己紹介しろ」 その言葉に、六人の中で最年長であろう屈強な男が、五人の前にでてこちらに向き直った。坊主頭で背は確実に百八十以上あると見受けられ、サンダルに上下白ジャージを纏い、ナイキのロゴを反転させた眉毛の下の、細く鋭利な目でこちらを睨む。 「田中山だ。二十一で、まあ、無職だ」 ポケットに手を突っ込んだまま、表情一つ変えず、老けた声を発した。田中山が皆の方に戻ると、少し間が生まれ、気を遣うように仁より年上の男が前にでた。破れた箇所がいくつかあるカーキのジャケットを着ていて、ジーンズの足元は跳ねた泥で汚れ、少し長い髪は脂でコーティングされて、不清潔で貧相な印象を受ける。 「島田翔です。二十歳で、建設現場で働いてます。よろしくお願いします」 礼儀正しく、深く礼をした。次は、緊張した様子で、細身だが田中山と同じくらいの身長で茶髪の青年が、ロボットのような歩き方ででてきた。 「え、えーと、楢崎です。高校三年生で、えー…一緒に、が、頑張りましょう!」 閑散とした空気に素っ頓狂な声が響き、それに恥じたのかそそくさとこちらに、楢崎は戻る。すると、眼鏡をかけた痩せ形の青年が、顔を下に向けて小走りで前にでてきた。 「韮沢…高校二年」 韮沢は小声で、それだけ言って小走りでこちらに戻る。その後に斉夏と仁の自己紹介が終わり、石塚は仁たちを大型の建物、私立高校のような建物の前まで先導した。そこからその施設内へ入り、体育館のような広い空間に連れられ、そこには何百人と並びその中に仁たちは並んだ。先頭から、田中山、島田、楢崎、韮沢、仁、斉夏が並ぶ。 「なあ、ここに来る途中で、異様な部屋見なかったか?薄暗くて、でかい水槽みたいなのに、人間が入っててさ」 仁が首だけ振り返り、少し声量を抑えて語りかける。空間内の雰囲気は、厳格で私語一つで、人を殺せる罵声を浴びさせられそうだ。 「え?そんなとこあったっけ。…とりあえず、今は黙っとこうよ」 「はいはい…あ」 斉夏の注意を仁は、鼻で笑って流すが、前に向き直った途端目の前に石塚が立っていて、こちらを普段の眼光以上に尖らせ、睨む。 「お前、七海に喋りかけていたな?」 仁は心の中で舌打ちをした。ただすぐに苛立ちも収まり、張っていた肩も力を抜いて、大きく息を吐いて開き直ろうと口を開きかけた。 「いえ。僕から話しかけました」 その斉夏の声を聞いて、驚き仁と石塚は振り返る。 「…それは本当だな?」 「は、はい」 「おい!…ち、違います…俺が話しかけて…」 なぜか斉夏は手で仁の言葉を制止し、それに驚いて仁は黙ってしまった。 「これで、貸し借りはなしだね」 斉夏のその言葉に、仁は諦めたようにため息をついた。すると、石塚は斉夏の腕を掴み引っ張っていき、集団の目の前のステージまで連れて行った。石塚は集団に鬼の形相で、見据える。 「お前ら!今、この盲目のガキが、勝手にも私語を始めた。これは、秩序を乱す重大な過ちだ。これは反省を促す罰を受けなければならない。そして、隊員一人の責任は皆の責任だ。よって、こいつのせいで皆は罰を受ける。特にこいつの所属する、歌舞伎町班壱にはより重い罰を受ける。お前は罰を受けないが、ここから罰が執行されるとこを聞いてろ」 「え、え?」 空間内は混乱に包まれ、ざわめき、斉夏は何がなんだかわからずパニックを起こしている。 「ああああああああ!!」 突然、全体の後方から悲鳴があがる。この室内の壁に並んでいた、自衛防隊員たちが今日入隊したものに近づいてくる。全体を囲み逃げ場がない。 「お前らみたいなクズどもの右手の爪は、全て剥ぐ。こいつのせいでな。もちろん全て剥いだ後、戦闘に支障がないように、専用の機械で修復する。歌舞伎町壱班は、全ての爪と肉の間、指先に深く太い針を差し込んだ後、抜いて爪も全部剥ぐ。…こいつのせいで」 「あ、ああ、…」 斉夏はそのばに膝から崩れ落ち、数多の涙を流した。表情はまだ驚きに包まれていて、少しずつ顔が絶望に歪んでいき、胸を押さえて何度も嗚咽し、両手で耳を押さえて現実から逃れようとするが、石塚がその両腕を掴み華奢な腕を容赦なく、握り潰して耳から離させる。 「おい!俺たちは関係ないだろ!ふざけんじゃねえ、あのクソガキだけぶっ殺されりゃいいだろが!お、おい、止めろ、クソがああああああああああ!!」 田中山がわざと斉夏に届くように、言葉を吐き捨て断末魔を上げ、目をいっぱいに充血させ涙目で瞳孔が開ききった眼球で、しっかりと斉夏を睨みつける。 「「「あああああああああああああ!!」」」 悲鳴、断末魔、嘆き、叫びが混じり合い、誰が言ったのかは無論聞き分けがつかず、罰が執行されたもののものなのか、それを聞くだけのもののものなのかさえもわからない。仁だけが、斉夏のことを考え、必死に歯を食いしばり、下唇を噛み切り赤黒い血を流し、大量の汗を額や脇から流して、叫ぶのをなんとか堪えていた。 集会で処罰と、士気を高めるための、演説が行われたのち班別の部屋に、それぞれの班が移動した。部屋は全面コンクリートで、温度調節が全くなされず、窓すらもなく唯一人数分のベッドがあるのみである。 「おい、てめえただで済むと思ってんのか?ああ?」 班員が全員部屋に着くや否や、田中山は斉夏の胸ぐらを掴みあげ、赤い目の視線で殺そうとする。 「や、やめろよ…そんなことしたって、どうにもならないだろ?」 島田が田中山に、近寄りながら肩を震わしながらも、確固たる意志を持った瞳で相手を見つめる。楢崎はその様子を見つつも、危険を回避するため距離をとり、韮沢は何も起きていないかのようにベッドに座り俯いている。仁はしっかりその様子を見ながら、両手を頭の後ろにやって様子を観察する。 「てめえ、何様だ?おい!!」 田中山は首を上に振り上げて威嚇し、島田の肩を突き飛ばす。島田は、ぐっ、と言葉を漏らした。 「うっ…げほっ…」 さらに田中山は、斉夏のみぞおちに右アッパーを、思いっきり入れる。斉夏はそのばに倒れて、透明な黄色の液体を吐く。それを見た島田が鬼気迫る表情で、田中山に一気に接近し、田中山がそれに気づき向き合ってガードを固める。先に田中山が島田の顔面めがけて、右ストレートを入れるが島田は両腕でガードし、距離を取ったところで左ジャブで牽制する。それに反応した田中山が少し身を引いたところで、一気に島田が踏み込み相手の死角から、高速で左フックを顎に入れると、田中山は唾を飛ばしよろけて膝をついた。 「ああああああ!!」 最初、その殴り合いを見ていたものたちは、その叫び声を田中山だと思った。が、それは突然、発作を起こしたように頭を抱え込んで、寝転んだ島田の奇声だった。その異様な様子に仁を除いた、そのばにいた全員が謎に戸惑うのと同時に、驚愕した。
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