可逆線上のアリア

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仁は田中山の様子を注意深く観察しながら、斉夏に駆け寄る。 「おい、大丈夫か?」 「…」 安否を斉夏に確認するが、答えない。答えられない様子ではなくて、体のどこも手で押さえず、聞かなくても体を痛めていることはないとわかる。死んだ表情が、体以上に精神的負荷がかかっていることを物語っている。 「…いいか?お前は別に何も悪くない。喋ったのは俺だし、第一、ここがあまりにも狂ってる。悪いのは、自衛防隊だ。な?」 斉夏からはなんの反応はない。それを見て、仁はそっとしておいた方がいいと判断して、蹲(うずくま)っている島田に近寄る。先ほどの発作的な発狂と、特徴的な外傷がないことを鑑みて仁は、島田が何か精神的に問題があると分析し、それはPTSDではないかと推測したが、そこは邪推に過ぎないと片付けた。 「くそ、…まじで、ぶっ殺してやる…」 仁が振り返ると、田中山が片膝をつきながら、立ち上がりこちらにおぼつかない足取りで、殺気立った目で近づいてくる。 「俺からやれよ」 仁が田中山に向き直り、卑屈めいた笑みを浮かべて、言った。 「は?ああ、やってやるよ。邪魔だからな」 田中山が、早足で仁に寄ってきたところで、部屋の扉が激しく開けられ、バンッ、と音が鳴らされ、石塚が入ってきた。 「お前ら、今すぐ出る準備しろ!敵襲だ!急遽、作戦を本日行うことになった!」 その場にいた皆が、動き出した。 「チッ、お前をぶっ飛ばすのは、また今度だな」 「ああ、楽しみだ」 韮沢と楢崎は、とても焦って恐怖に押されて、田中山と仁、島田は冷静に一つ一つ丁寧に、斉夏は遅れてもいいぐらいにゆっくりと、それぞれ準備が終わり石塚のもとに集まり、それを石塚は確認して走り出す。 ここに来た時とは違う駐車場で、並ぶのはハイエースではなく、アメリカの防弾加工された護送車のような、分厚い鉄塊でできた、コンクリート色のグレーで、そこに皆が飛び込む。それが完了するのとほぼ同時に、車両は透明に包まれ、仁が外を覗くと、周りは黒煙と火の粉に包まれていた。瞬時に景色は横に川のように流れ、目の前は高速で、遠くは長いことこちらを見つめている。 「これから、前線に向かう。その前に、お前らには、訓練を積む暇がなかった分、これでカバーしてもらう」 そう言って、前から後ろに、パッケージが二つ渡された。それぞれ、【超瞬間筋力増強剤】と【自衛防隊訓練一式注射】と表示されている。 「それぞれ、説明書読んで使用しろ」 仁の中の周期的に繰り返される生気を感じる音はうるさく、あそこに見える雲は厚く、黒く何度も塗られ、それが彼自身の中へ注がれた。 「ここからは、お前らで行け」 そう言い残して、石塚は鉄塊を走らせて、その場を去っていく。辺りは前線から約、百メートルほど離れていて、瓦礫と煙で覆われている。明かりひとつなく、時刻は九時になり、戦場だったことを示す高い火柱が唯一の照明である。 「あれ、島田は?」 仁がそういうと、皆気づいて、そういえばと周りを見る。 「班長への連絡がホログラムに入ってるな」 田中山が、手に埋め込められたチップを押さえながら、発言しホログラムを起動する。そこには、こう表示された【“緊急報告”歌舞伎町班壱に所属していた、島田翔は歌舞伎町特攻部隊に配属となった】。 「特攻…そんな…」 楢崎がそう、眉に皺を寄せながら、呟きそれに応じて、斉夏もまた悲しそうに顔を落とした。それを見て、仁は寄り添って肩を抱く。 「おいお前ら、前線に向かうぞ」 田中山は気にせず、血か雨か、汗か涙か、何で湿ったかわからないアスファルトを踏み締めて、前進しそれに皆着いていく。 「ここからはもう戦場だ。お前らは、俺の後ろにでも隠れとけ」 破れたネオンに彩られた赤い門の前に到着し、他隊員と対照的に前へ前へと、田中山は先導していく。先頭の次に、仁、その背後に斉夏、その横に楢崎、そこから少し下がって韮沢が小動物のように縮こまっている。門に身を隠し、敵の存在を障害物から顔を覗かせて、田中山は確認する。そこから、道がしばらく真っ直ぐ続いていて、街の中心部で左右に道が分かれている。通常の街ではありえない量の看板が、猿の腰掛けのように無数に分裂して、廃ビルや廃墟から伸びている。大きく倒壊したコンクリート製の建物から、大きな火柱が立ち上り、ところどころに壁に貼られる窓は、こちらを見ているようで目が合えば、高速で粒子の筋を飛ばしてくる。仁もまた、覗かせ、戦場のわりに静かで、人気がなくイメージと違う印象を受けた。そんな人一人いない景色に、ボロの衣服を身に纏い、二本の木の棒で歩く、ひどく痩せた、頬骨が浮き出た女が道に現れこちらに歩いてくる。そこに、その女の横から飛び出てきた中年の男が、女性を押さえつけ乱暴し始めた。それを見た、田中山が身を乗り出して、男をレーザー小銃で撃ち抜こうとした。 「おい、バカ!止めとけ!!」 仁が田中山を引き戻そうとするが、抵抗され突き飛ばされる。 「なんなんだお前は!せっかく、人助けをしようとしてるところを。この状況は、人をぶっ殺せて、女とヤレるかもしれねえ、一石二鳥のチャンスじゃねえか!ガハハハ…がっ…かはっ…え?」 半身、通路上に出していた田中山は、横腹を撃ち抜かれ血を吐いた後、こめかみに節穴があき、その場に倒れた。“頬骨の浮き出た女”に撃ち抜かれて。 「クソッ…やっぱ、ゲリラ兵じゃねえか…」 仁が想定していた悪夢が、現実になり、片手で顔を覆う。 「げ、ゲリラ兵って…?」 斉夏が、恐怖に殺されそうになり、息を荒げながらも、不安げになんとか疑問を投げかける。 「民間人を装ったりして、奇襲を仕掛けてくる奴らだ。…説明してる暇はない。俺のことも、あの女は見えてたはずだ。こちらに仕掛けてくる。移動しよう」 皆に視線を投げかけて声量を抑えて言葉も投げかける。仁は左に進み出すが、韮沢だけ固まって、動かない。 「おい、ビビってる暇ないんだ。早く、こっちこい」 「う、うあああああ!!」 さっきからずっとしゃがみ込んで、固まっていた韮沢が突然、叫び声を上げたかと思うと、前線とは真反対に駆け出した。 「クソ…俺たちだけでも行くぞ」 「なあ、ぶっちゃけ、逃げても良くない?戦う意味ないし」 楢崎が素朴な疑問を、純粋に投げかけた。 「今じゃ日本は、社会監視型国家だ。ドローンだとか、酷けりゃ衛星で俺たちのこと監視してるかもな。さっさと行くぞ」 楢崎は肩を落としながらも、右に進む仁を追い、その仁のすぐ後ろには斉夏がいた。 「クソ、ふざけるなよ…僕はここで死ぬわけには、いかないんだ…」 韮沢は普段引きこもってるおかげで、養われなかった体力をふんだんに使って、前線から五十メートル離れた、床が壊れているものの屋根と壁はコンクリートで形作られている、廃墟に体育座りで隠れた。 「お母さん…寂しい…僕、謝るから、僕が、この戦場から、生きて帰ってきてさ…う…」 独り言をぶつぶつぼやきながら、目頭を熱くし涙が流れた目尻を、袖で拭う。 「ひ……もう、嫌だ…家に帰りたい…」 時折、銃声は、爆発音、悲鳴が響くたびに体を、ビクンと震わせ泣き言を吐く。 「どうしてこうなったんだ…?数年前に戻れば、公園で友達とゲームしてたのに…まあ、どうせ戦場から生還したところで、人生に疲れるだけなんだよな……どうして、小学生の、あの頃の時みたいに、うまくいかないんだろう…気づいたら、些細なくだらないようなこと、気にするようになって、人と接するのにも疲れて、傷ついてばっかで……う…」 彼は絶えず涙を流し、拭うことも気づけば放棄した。拭いたところで、また濡れるからである。視界は常に霞み、少し抵抗していた鼻を啜ることも、詰まり続けて、流れ続ければ、啜ることも厭わなくなった。 「仲が良かった奴も、いた気がしたんだ。いた、気が……それも気づけば疎遠になって、まあ、別にそんなこと…どうでもいいけどさ……ああ、そういえば昔、北井と、サイクリングしたな。別に、行き場も、あてもなく、ただペダルを漕ぐだけで、意味だとか、目的だとか、未来だとかそんなもの、本当にどうでもよかった………今は、将来何になる?とかさ、未来を決めることも強要されて………なんで、今の僕が、今の僕のために、生きちゃいけないんだ?なんで今の僕が、未来の僕のためなんかに、生きなきゃいけないんだ?……絶対に、生きて帰ってやるんだ…!お母さんに、謝るために……あ!」 思考を巡らして、涙が落ち着き、良好な視界を取り戻した先に、自分達が乗ってきた鉄塊のような車が駐車していて、その横に自衛防隊の装備である、黒装束を纏った人が佇んでいる。この廃墟に隣接する道路を、跨いだすぐそこに駐車している。 「やった……!い、い、生きて、か、帰れる…」 心も体も満身創痍で、疲労困憊とし、限界を迎えていたが、笑顔で、不思議と全力で駆け出せた。再び、涙が流れてきて、なぜかほんの少しも、その涙を拭おうとは、彼は思わなかった。その、拭われず流れ出る涙と一緒に、彼の記憶が一気に、頭の中を駆け巡った。 AI教師の話は退屈で、それは時間の概念と一緒で、ただ過ぎ去っていくだけで、見ることも聴くことも感じることもないし、できない。それらは、常に、いかに効率よく早く確実に、任務を遂行し顧客を満足させられるかを考えている。勉強を教えるにしろ、社会性を身につけさせるにしたって、そこにおいて“僕”という一つの存在の認識はなされない。毎年、大量に生産され続ける子供たちを、たくさん収容しそこで、効率的に確実に、教養と社会性を身につけさせる。その行為はまるで、工場でベルトコンベアに流されてくる、そんな身を任せるしかない受動的な存在、未完成の製品が自動化された機械に完成されて、あくまでその製品の“心”ではなくて、“品質”を徹底的に考え込まれ慮られた上で、カゴに放り込まれる。きっと僕達が求めるのは、人々に敬虔な芸術家がその人の魂を込め、その作品に誠意と心を込めて命を吹き込む。そして、社会のため、人々のためなんかではなくて、その作品のために、その作品を一つをアイデンティティとして認め、愛し敬い、その温かい心で触れて、作り上げ、深い満足感に満たされ、またそれが人々を幸せへと導く時、心の底から誇りに満ちるような、そんな形だろう。この教室内は、透明な動かない時間という、限りなく固体に近いもので満たされていて、圧迫と拘束を感じさせ、窓の外に視線を送ることが唯一、自由を不確かながら感じることができた。人というのは常に、自分を特別視し、僕も例外じゃない。いつだって、自分が一番幸せで、一番不幸で、一番かっこよくて、一番ダサくて、一番生きたくて、一番死にたいと、そう思い込んでいる。実際は、それぞれが思うほど、幸せでもなければ、不幸せでもないんだろうなと思う。例えば、まさにさっきの話がそうで、AI教師というのはここ数年前から導入されて、ここ最近に全国に浸透してきた。だから、もう少し早く生まれれば、マシな学校生活送れたとか僕はなんて不運なんだとか、思ったけれど、実際のところ数十年、数百年遡ったところでたいしてこの現状は差がないのかもしれない。教師という職業なんてものは悲惨で、過酷な労働環境を強いられそれほど頑張ったとしても、常に固定級でそれも大した金額じゃない。だとしたら、今のAI教師と、昔の人の教師との間に一体なんの差が生じるだろうか。もちろん、必要以上なことに手掛ける教師だって多少は、昔、いたかもしれない。だが、基本的に最低限のことと必要以上の業務の中で、報酬に違いが生じないのであれば、多くの人間は最低限をこなすだろう。最低限、点数を取らせて、最低限、規範を守らせて、最低限、教えられることを教える。もちろん、生徒を人として、認識するなどもってのほかだ。あまりにも余分な作業であり、ましてや個人個人の存在としての認識など、どれほどの余裕があったとしてもしたくなるような行為ではないだろう。つまり、人の教師のおおよそは、業務上の最低限をこなし、AI教師は業務上の最大限をこなすということだ。さらに機械は感情はないし、生徒に親身に寄り添う機能だってつけれるだろうし、疲労で業務の影響はでない。すでに、人の教師に上位互換なのに、最終的には、教師としての最高峰的な振る舞いができることを想定できるならば、僕はどれほどラッキーかと思える。なんの意味のない、馬鹿げた、そんな、椅子が引かれて床との摩擦によって、重なりズレて生じた音によって、僕の意識は、感じたくもない、現実に引き戻された。
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