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 残業を終えて帰宅したのはもう深夜一時だった。終電特有の酒と汗とが混じったような有機的な匂いが体に纏わりついてるようで、私はさっさとスーツを脱ぎ捨ててシャワーのハンドルをひねった。  上京してやっと今の仕事に就いたけど、”やりがい”という淡くて脆い理由を絆創膏のように心の傷に張り付けて、私はなんとか自分を保っているような状態だった。ため息と理由のわからない涙が排水溝に流れていく。  社会人になって性悪説を支持せざるを得なくなった。どうして人はこんなにも他人に対して悪意を向けることができるのだろう。生まれつきそう仕組まれているとしか考えられない。我さきにと競うように歩く人たちは舌打ちが挨拶の代わりだ。苛立ちを誰かに擦り付けて、自らの正当性を振りかざしては躊躇なく完膚なきまでに誰かを打擲した。  一人暮らしを始めて、田舎で暮らしていた子供時代を思い出すことが増えた。周りには優しい人たちばかりで、私はアイドルだった。懐かしい友達や近所のおばちゃんおじちゃん達の顔が、まるで昨日の事かのように目に浮かんでは、すぐに滲んだ。  瞬きの瞬間で現実に戻る、狭いワンルームのカーテンの隙間から冬の街明かりがちらちら光っていた。欲望に満ちたネオンだ。  適当に髪を乾かしてベッドの側面にもたれかかった。バックの中でスマホが光っているが今夜はもうあの画面を見たくなかった。このまま眠ってしまおうかとも思ったけれど、帰りにコンビニで適当に食べ物を買ったことを思い出した。ガサガサとビニール袋を漁って、新発売の赤いシールが貼られたプラスティック製の小さな箱をテーブルの上に置いた。  それは小さな餅菓子だった。  疲れた時は甘いものだ。私は透明なパッケージをぎこちなく外した。  甘い匂いが鼻をつく。その瞬間、私の視界がぐらつく、目の前一面が小さな白いつぶつぶで埋め尽くされて、何も見えなくなり、そしてすぐに元に戻る。いつもの貧血だと思った。慌てることもなく、手づかみで餅菓子を掴む。  柔らかい感触に、田舎で過ごした日々がまた脳裏に浮かぶ、はっきりと、鮮明に、まるで昨日の出来事かのように……。  なぜだろう、どこか絵空事のような気がする。私は確かにあの子供時代を過ごした。大人になるにつれ、思春期の脳内ホルモンは、私をその楽園から外界へ導いた。必死で勉強をして、少しの反抗心と、その何百倍もの冒険心をもって上京して、いまの地獄を手に入れた。  地獄……、違う、私はもっと酷い地獄を確かに知っている。  途方もない遥かな昔、もっと強く幸せな誰かを羨み、憧れ、欲した。もし生まれ変われるなら、彼らのようになりたいと願った。  人間になりたいと、願った。
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