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物々しい、どころではない。
7月終わりの日曜日、真夏日のK大キャンパスなど、本来なら学生と教職員、通りがかりの物好きな観光客しか居ないはずだが(暑過ぎて散歩に来る市民もいない)、その日は明らかに様子が違った。
制服姿の警察官だけではなく、構内外にダークスーツの屈強な人影が散見され、地図や携帯を片手に数人で集ったり、忙しなく動き回っていたりする。少し前のサミット開催時の方がまだ長閑だっただろう。楓が守衛に会釈しながら農学部表門を通ると、「失礼ですが」と制服警官に声を掛けられ、IDをかざすはめになった。
数理研を通り過ぎ、物理棟に入ったところで顔見知りの事務員(休日出勤だろうか)に出くわし、どうしたことかと聞いてみると、やはりどうやら昨日の銃撃事件に関係しているようだ。
しかしなぜ大学に…? と、楓が首を捻りながら研究室への階段を上がったところで、津川教授ともう一人、和装の紳士が立ち話をしているのが目に入った。
「ああ、山科君、おはよう」
「おはようございます。日向先生、今日はお着物ですか」
ボスの向かいに立っていたのは、地球惑星の日向教授だった。
日向は端正な美貌で微笑むと「おはよう」と挨拶してくれる。いつ見ても隙がない。楓としては自分は混血故の下駄を履いているだけで、本物のイケメンとはこういう人のことを云うのだと密かに思っている。薄い織物の羽織に袴をキッチリ身につける姿は、それこそポスターになっていてもおかしくない。
「そうそう、日向先生、それ暑くないの?」
「それが意外にも帯を締めると汗は止まるんですよ」
へえええ、と感心する津川の一方、つまり暑くないわけじゃないんだなと楓は思ったりする。
「今日は私用で……ただ昨日、夕方まであれでしたから、車をここに置いたままで」
「あー、やっぱり」
交通規制はかなり遅くまでかかっていたので、自家用車で通勤している教職員はご同輩が多そうだった。
日向は和服だというのに器用に肩をすくめてみせる。
「でも結局、今日もこの様子だと歩いた方が早そうですね。仕方がありません」
「お疲れ様ですねえ」
「それにしても、ずいぶんと物々しいですね。なぜ大学に警察がこんなに来るんでしょう?」
楓の言葉に、ふっと津川と日向が目を見交わしたのが分かった。
何事だ?
「山科君、ニュースは見た?」
「あ、はい、朝のやつだけですが」
「……まだ詳細は報道されていないでしょうね、おそらく」
眉根を寄せる日向の言葉に、でしょうねえ、と津川も頷いた。
「どうもね、逃げてる容疑者、うちと関係してるかもしれないって。正確なところは分からないけど、警察の人、事情聴取に来てるって」
「えっ、うちの……大学とですか?」
まさかこのご時世に学生が銃撃事件ってありえますか、と抗弁する楓に教授連はすこし、難しい顔をして黙った。
どこかで、ブウン、と空調が唸る音が響く。
「山科くん、前の、阪神の震災の年って日本に居た?」
「は?」
また唐突な質問である。
阪神淡路大震災といえば、1995年1月に関西地区で発生した直下型地震による震災だ。
「いえ、確か祖父の、ロンドンでした。あの頃はネットもまだで、詳細はよく……」
「だよね、Windows95より前だったもの。じゃあテレビと新聞くらいか」
津川の念押しに曖昧に頷く。地球の経度半分かそれ以上の距離感があったのは否めない。
更に、
「ということは、地下鉄のテロの方も?」
!
日向の質問に、思わず楓の顔もこわばった。
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