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まさかここでその単語を聞くとは思わなかった。本当に。
もちろん、発言している教授本人も首を傾げている。銃規制が徹底している現代の日本で銃撃事件が起こりうるとは、俄には信じられない。
「四条河原町のあたりだって聞いたけど」
「あんな街のど真ん中で、ですか? でも宵山や山鉾巡行は終わったばかりですし、今ごろなぜ……あ、」
絶句する楓の脳裏に、ふと先ほど通った道の光景が過った。確か、いつもと違うものが視界に映り込んでいた。
「選挙、ですか…!」
歩道の脇の植え込みで幅を取っていた立て看板、そういえば再来週に国政選挙を控えている。自慢はあまり出来ないが政治的な情勢に詳しくない楓でも、関西が微妙なパワーバランスで成り立っているのは知っている。大阪とは別の力学も働くので、京都では主要政党の大物政治家の演説も多い。
「うん、演説中だって話」
「だれが…?」
「●●元首相」
「嘘でしょう、この日本でそんなの」
いや、津川が嘘を吐くわけもないのだが、反射的に応えてしまった。「だよねえ」と教授も溜息交じりに続ける。
「でね、更にマズいことに、捕まってないんだって、容疑者」
「…!! 逃走中ってことですか?」
「うん。だから非常線張ってるの。地下鉄まで止めてるのそのせいだって」
それは本物の緊急事態だ。
はっ、と気付いて楓はポケットからスマホを取り出すが、当然のように回線が混雑しているようでなかなか更新されない。これなら大学に戻ってテレビを見た方が早い。
とはいえ、鉄道はインフラだ。それほど間を置かずに動き出してもおかしくないが、道路封鎖の方はしばらくかかるだろう。高速は今日中には再開しないかもね、と云う津川に軽く頷きつつ、誰か来ているかもと「ラボに電話します」と楓が出入り口から外に出ようとしたところだった。
「あら?! ガリレオ先生?」
高い声とその呼び名に振り返ると妙齢の婦人がいる。キッチリと瀟洒なスーツを着てヒールを履いているが、両手の荷物がやたら重そうだ。
「早苗さん?」
「よかった~! 先生、たすけて!!」
と、ほとんど縋りつかれて、楓は彼女に気付かれないように溜息を吐いたのだった。
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