1・走り回る犬は骨を見つける

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 うっすら汚れた白い長机の向こうで、一人の壮年男性が心なしかふんぞり返った姿勢でパイプ椅子にもたれている。  「佐木(さき)詩鶴(しづる)さん、27歳ね。他に登録してる結婚相談所とかマッチングアプリ、ありますかね?」  「ないです」  固い声と固い表情で、詩鶴は短く答えた。  「そうですか。ご希望は…半年以内の結婚と、三十五までに二、三人、出産ね。その他の希望条件は、産後も現在の職場で勤務継続すること、結婚後の居住地は職場から通勤一時間圏内、転勤に同伴は不可…」    眼鏡のつるを(いじ)りながら、一枚の紙の上でゆっくりと視線を動かし、読み上げる。少し黄ばんだ安っぽいそのプリント用紙は、ついさっき詩鶴自身が十五分ほど時間を掛けて記入したものだ。  「特記事項は、酒やギャンブルの依存症でないこと。前科がないこと。無職でないこと。はは。そこはまぁね、大丈夫。そういう人間は登録出来ないから。一応ね、ある程度身元の保証はしてますのでね。あとは、奨学金返済以外の借金がないこと…。うん、はい、結構ですよ。申請書は問題ないので、隣の部屋で検体採取して。あと、結果を見るのに静脈認証が必要だから、その登録もして帰ってくださいな」  七十代半ばの年頃だろうか、ほとんど真っ白になった寒々しい頭髪を撫で付けて、男性は指に挟んでいるボールペンで壁の向こうを指し示した。  「あの、結果はいつ出ますか」  「あぁ、それね。十日から二週間くらいかな。佐木さんの登録が完了して結果が出ると、こう…ランキング形式みたいな感じでね。相性がいい順にずらっと候補者が表示されるから。それをね、見て、良さそうな人いたら紹介希望の申請してくださいな。アナタは条件が大らかな方だから、きっとたくさんお相手見つかると思いますよ。大丈夫、いけるいける」  気安く太鼓判を押す男性に、はぁ、どうも、と詩鶴は不安気な声を漏らした。  「書類の手続きはこれで終了。いい出逢いに恵まれて、希望通りの結婚と出産が出来るようにお祈りしてますよ」  決して心が込もっているとは言い難い、激励の言葉。  目の前の男性の、そこはかとなく漂うやる気のなさ。ほどよく雑な言葉遣いに、サービス精神に欠ける必要最低限の説明。まるでお役所仕事だ。  まぁそれも当然と言えば当然だろう。  少子化が右肩上がりに進む昨今、未婚化晩婚化は少子化の要因という政治家の判断で、婚活事業には国からの補助金が出るようになった。企業にとっては低コストで運営出来る旨味の大きい事業だとして、敷居が低くなっている。結婚相談所やマッチングサービスを運営する営業所は中堅どころのファミレスの店舗数並に増え、労働力不足を解消する為に、スタッフの多くを業務に不慣れなアルバイトや破格の時給で雇えるシルバー人材で賄う。上質なサービスを提供するほどの質が保てないのも、納得だった。  詩鶴が先ほど手続きを済ませたのも、その内のひとつ。  昨今流行りの、出産特化型マッチングサービスへの利用登録だった。
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