1・走り回る犬は骨を見つける

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 思えば、男女のマッチングサービスも、ここ数年ですっかり様相を変えていた。  それは20XX年、ある日本人研究者が新たな遺伝子解析法を発表したことに端を発する。  出生率0.49。  未曾有の少子化の中、その研究結果は大きな希望として世間を賑わせた。  〈vita〉と名付けられたその遺伝子解析システムは、妊娠・出産成功確率が高い相手を遺伝子レベルで分析することを可能にする。  実用が可能になり次第、国は少子化対策の最後の一手として、〈vita〉システムの普及に力を尽くした。最新鋭のシステムに対する信頼性を疑問視する声も多かったから、〈vita〉がいかに優れたシステムであるか周知させる為の広報活動は政府主導で行った。  このシステムを導入した企業には多額の補助金を出し、不足する人材の調達も支援する。国がそう決定すると、結婚相談所やマッチングサービス運営会社はこぞってシステムの導入に群がった。大手企業の重役陣には政界からの天下りも相次ぎ、半官半民状態になりつつある。  このシステムを躍起になって推奨する国の心中は、こうだ。  恋愛?そんな夢みたいなものは後回し。  贅沢言わず、とにかく子供を産みなさい。  より効率良くより沢山の子供を産む為の、国家ぐるみの取り組みだった。  世を席巻するほどの話題となったそのシステム〈vita〉は、だが世論では多くの批判的意見を集める。  恋愛、結婚を蚊帳の外に追いやり出産という目的だけを前面に出したこのシステムに違和感や抵抗を抱く人は多いらしい。  見境がないとか情緒がないとか人の命の誕生まで効率化するのかとか、道徳的な観点の批判に加え、自らの遺伝子情報を提供することへの不安を口にする者も少なくなかった。  とは言え批判の声とは裏腹に、このシステムを取り入れた企業では、利用者が大幅に増加しているという。    需要は、有り余る程あった。  目的が出産と明確に限定されているので、結婚願望はないが子供は欲しいという主義の者にはうってつけだ。年々増加する離婚率も少子化の原因の一端ではないかという論議もあり、だが離婚率はコントロールし辛い、それなら一人でも安心して出産、育児が出来るようにしようという方向になり、一人親家庭への支援策は日に日に充実してきている。手間を掛けて相手を探したり妥協してそこそこの相手と面倒な婚姻関係を結ぶくらいなら、手厚い支援を受けてシングルのまま子をもうけたいという人も、増加していた。  さらに、年齢や病歴など、何らかの身体的事情で妊孕(にんよう)性が低下している可能性のある男女。最新鋭の遺伝子検査技術を利用して個々の特性を精緻に分析し、妊娠成功率の高い相手を探すシステムは、そういった人達には有り難いの一言に尽きる。不妊治療の技術の進歩は、ここ数十年停滞していると言われていた。それならば初めから確率の高い相手を選んだ方が効率的だと考える人も少なくはなかったのだ。  また、多子を望む人にも向いている。この遺伝子解析技術の利用者カップルは、子作りを始めてから妊娠までの期間がその他のきっかけで知り合ったカップルに比べて圧倒的に早いとのデータが出ていた。複数の子供を望むのであれば、妊娠までに費やす時間は短い方が都合がいい。    つまり〈vita〉は現在の国家的難題を解決に近付ける優れたシステムである。  ──そう、TVの向こうのアナウンサーは解説していた。  「とは言っても、やっぱり何となく抵抗あるよなぁ」  つけっぱなしにしていたテレビを見るともなく眺めていた光稀(こうき)が、独り言のように感想を漏らす。  夕飯後の皿洗いを終えた詩鶴は、そう?と首を傾げた。  「マッチングサービスで結婚相手見つける人なんて昔からたくさんいたじゃん。それと変わんない気がするけど」  「俺、そこからして抵抗ある。上手く言えないけど、自然に出会ってゆっくり仲を深めてなんぼかなって思っちゃうんだよな。最初から子作りありきみたいな、そういうの…虚しくなりそう」  「光稀は意外とロマンチストだからねぇ」  詩鶴はあははと笑って、ダイニングテーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろした。  「でも、皆がみんな完全にすっ飛ばしてる訳じゃないんじゃない?知り合うきっかけのひとつっていうか。そこから始まる恋愛もあると思うよ。私の同級生もマッチングアプリで結婚したけど、結婚してから恋愛始まった感じで毎日楽しいって言ってたもん」  「ふぅん。そんなもんかね」  画面は、アナウンサーの解説から利用者へのインタビューに切り替わっていた。顔面にモザイクを掛けた夫婦が、出会って二ヶ月半で妊娠が発覚した喜びを語っている、  缶ビールをグラスに移しながら、光稀は鼻で息を吐いた。  「まぁどっちにしろ、俺らには無縁の話だな」  そう言って光稀は腕を伸ばし、テーブルの上に置かれた詩鶴の手を取った。  「週末の式場見学、十一時からだったよな」  「うん。料理の試食フルコースだから、豪華なランチ食べられるよ」  「楽しみだな」  「うん、コース料理なんて久しぶり」  「それもだけど」  詩鶴の左手の薬指に()められた指輪を、光稀は指先でそっと撫でる。  「…結婚。楽しみだよな」  重ねた手に視線を落としたまま、光稀はどこか照れ臭そうに口元だけで微笑(わら)った。  二人が付き合い始めて、もう四年近く経つ。光稀はどちらかと言えば口下手で、上手に甘い言葉を吐くタイプではない。だけどこうして丁寧な手付きで触れられる度に、自分は彼にとって大切な存在なのだと実感することが出来た。  結婚して欲しい。  不器用に、けれど実直にそう請われた時も、詩鶴は迷いなく頷いた。  「うん。私もすごく楽しみ」  照れた顔を見られたくないのだろうか、伏目がちなままの光稀を見つめて、詩鶴も小さく笑った。  それは、ほんの三ヶ月前の話。
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