1・走り回る犬は骨を見つける

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 婚活を始めたのは二週間前。  自分から提示した条件は(ほとん)どなかったから、紹介可能件数は万を超えていた。  けれどお見合い希望の申請をしてきたのは詩鶴が初めてだったと、基は言う。  「そうなんだ。何ででしょうね?」  「何でも何も。三十間近で自由業としか情報がない男なんて、誰だって怪しいと思うだろ。君だってもっと安定したいい条件の相手、いくらでも居たんじゃないのか」  いたかもしれないが情報量の多さに辟易してあんまりちゃんと見ていない、とは言えなかった。  「…妊娠成功率のランキングでトップに出たのが瀬尾さんだったんですよ。情報は少なかったけど私が出した条件は満たしてるんだし、とりあえず会ってみようと思って」  「ランキング…」  あぁ、と基は納得したように頷いた。  「妊娠成功率(それ)を理由に婚約破棄されて、ヤケになってたって事か」  「ヤケに……?んん…うーん…?」  基の言葉に、詩鶴はまたしても首を捻った。    長い時間を一緒に過ごして、婚約までしていた恋人に突然振られて。  ヤケになる気持ちも、正直に言えば少なからずあった。  あった、けれど。    「…そういう気持ちも、なくはなかったんですけど…なんて言うのかな。それだけじゃなくて」  自分の気持ちを正しく言葉に変換するのは、即興ではなかなか難しい。  うーんと腕組みして考え込む詩鶴を、基は急かすこともなくじっと黙って待っていた。  「……私、ちゃんと恋愛したのって、多分光稀が…その元彼が、初めてだったんです」  「ちゃんと?」  「告白されたから興味本位で何となく付き合ったとかじゃなくて。その人といると満たされて、会えない日が続けば気持ちが焦げ付くような…そしてそれは相手も同じ気持ちだろうなって、ごく自然に信じて安心してるような、そういう、恋愛…」  そこまで言って、はっとした。  これこそ初対面の見合い相手に話すような事ではない。  中断しようとして基を(うかが)い見ると、彼は黙ったまま、軽く頷いて先を促す。  詩鶴は少し躊躇いながら、話を続けた。  「……それが突然なくなって。自分が空っぽになった気がしました。今まで重ねてきた時間もその先に繋がってた筈の生活も、全部消えてしまった。──あの日、どうやって帰ったのかも覚えてません。次の日は休みだったから、飲まず食わずで一日中布団から出られなくて。涙も出て来なかった。ほんとに空っぽで、何もかもなくなっちゃったって思ってました。でも」  翌朝、アラームが鳴って。  身支度もそこそこに、重い身体を引き摺るようにして仕事に出掛けた。  「私は幼稚園の先生だから、仕事に行けば笑って子供達に接しないといけません。無理矢理に笑って、いつも通り子供達を追っかけて走り回って、歌ったり手を繋いでダンスをしたり…食欲なくても一緒にお弁当を食べなきゃいけない。何日かそうやって普段通り振る舞ってる内に、気付いたんです。何もなくなってはいないなって」    恋がひとつ消えても、世界は何も変わらない。  それが辛い時もあるだろう。けれど少なくとも詩鶴にとっては、確かな救いだったのだ。  「私が失ったのは、光稀だけでした。今までも未来(これから)も、丸ごとなくなった訳じゃない。彼との将来は消えてしまったけど…その先にあった筈の、家族を持ちたいっていう私の夢まで一緒に消してしまう必要なんて、どこにもない。だからせめてそれだけでも、(すく)い上げようと思って…」  それは(はた)からみれば、ヤケになったりムキになったりしているのと変わらないのかもしれない。  でも詩鶴からすれば、必死で前を向いた結果だ。決して投げやりな気持ちではない。  「元彼と別れた後、合コンとかも行ったんです。事情を知った同僚が、失恋を癒すには新しい恋だってセッティングしてくれて。でもやっぱり、また一から恋愛始めて何年も付き合って結婚まで持ってくって考えたら…途方に暮れちゃうというかそこまで気力が湧かないというか。だったら目的の一致した相手を最新技術に頼ってさくっと見つけて貰った方が楽かなって」  そこまで聞くと、基は深い溜息を吐いた。  「…君は本当に馬鹿正直だな。物事や心情をありのまま口にし過ぎだ。きっと精神構造が単純なんだな」  「そうかもしれませんけど、遠慮がないのは瀬尾さんも同じだと思います」  先程までおおらかに傾聴の空気を醸し出していた癖に、口を開けばこれだ。  詩鶴は肩を竦めて、飲み物のお代わりを頼む為にメニューを手に取った。  「僕は褒めてるんだ。竹を割ったような性格っていうのは君のためにあるような言葉だな」  「絶対褒めてない」  「褒めてるよ。単純なだけに頑丈だ」  基はポケットからヘアクリップを取り出して、前髪を大雑把に纏めると頭頂部でぱちんと留めた。  「頑丈なのは強みだろ。君の逞しさは、なかなか清々しい」  そう言って基は、切長の目を細めて淡い微笑みを浮かべた。彼が笑ったのを見るのは、それが初めてだった。
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