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支払いをすませて外に出ると、店からすこし離れた場所にある簡易喫煙所で小杉は一服中だった。
「ごちそうさま。ありがとう」
「あー。おまえ近寄んな」
「なんで」
小杉は、吉崎に煙草のにおいが移ることを嫌った。だったらやめたらいいのに、本人いわくそうはいかないらしい。
「いやー、喫煙者は肩身が狭いわ。せちがらいよなあ」
せちがらい、言いつつ、その口ぶりはぜんぜんつらくはなさそうで、どこか諦めているようにさえ聞こえる。そっちよりも、吉崎に「近寄んな」と言ったときのほうが、よほど厳しかった。心のやわらかいところをくすぐられる感じがして、むずがゆい。
なんとなく気恥ずかしくて、それを気取られないように吉崎は小杉の上着のポケットに彼の財布を突っ込む。
ん? と彼は一瞬見下ろし、納得したのかすぐに瞼を上げた。
「他人じゃん……」
「んー?」
ただしいことってなんだろう。デートとか恋人同士ってなんだろう。自分はただしくありたいし、そのただしさがときに周りを窮屈にさせると知っている。だけどその「ただしさ」が、ときどきがわからなくなる。
「まーた難しいこと考えてんなおまえはよー。他人だとかなんだとか、取るに足らねえことだろそんなん」
頭を痛いくらいにぐりぐり撫でられ、におい云々どうした、と言ってやりたくなる。さすがにからかわれている気がして小杉を睨み上げるが、その表情にはまったくてらいがない。本気で言ってんだ、と気づいたとき、なにかが腑に落ちる。
「なあ」
「んー?」
吉崎は自分の頭から小杉の手を外し、その手を握りしめる。小杉の乾燥した手のひらは、冬の空気にさらされて硬く冷たかった。
「おれと籍入れよう」
「はあー?」
「入れよう」
吉崎を見下ろす小杉は、瞳をおおきく開いて、ぐっと一文字に口を結んでいる。たわごとのような台詞をちゃかしてくる気配は一切なく、それだけで真剣に受け取られていることがわかる。そういう、些細な表情の変化だけは息苦しくなるほどわかってしまう。
「今じゃなくていつか。ほら、養子縁組とかあるじゃん」
「はあー……、おまえさんはまた突拍子もねーなー」
自分でもそう思った。けれど、なんてことを、とは思わなかった。ただしいことも、これがただしいことかわからないのも、いろんなことを不思議に思うのも、腑に落ちてしまったんだからしょうがない。
他人って、おれにとってはおおいに取るに足る問題だから。
小杉は灰皿に煙草を落とし、どこへ向かうのか知れないが歩きはじめた。タクシーを拾うのかもしれないし、ちょっと散歩でもするのかもしれない。
「プロポーズされちゃったんですけどー、聖なる夜に」
「答えは?」
「いやー、考えさせてください」
「いいよ」
「余裕だね」
「うん」
だって、「一緒にいない」という覚悟は最初から存在しない。
「今度はおれが奪ってやるって決めたから」
奪うも奪われるもそんな気は毛頭ないし、あちらもわかっているだろうけれど、そこはあえて、このひとの地雷を使って。
了
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