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「どこがだよ、ぜんぜんかっこよくなんかねえし」
うつむいたところで、座っていたはずの体が浮いた。青木に体を掬われていて、隙間がないくらいぎゅうぎゅうに抱き締められている。
青木の体は不思議だ。こうして精いっぱい近づいたゼロ距離になると、いっそう思う。皮膚の感触の温度もまったくのべつものだと気づいたとき、そこはかとない寂しさと同時に好きであることを実感する。好きであればあるほど、ちがう人間だと知るのが寂しい。
「俺はね、先輩ほど愛情深いひとは知らない」
それってただ未練がましいだけなんじゃ。ぼそりとつぶやくと、青木が瑞樹の肩の上で首を振る。首筋に髪の毛がふさふさして、くすぐったい。
「あ、そっか、あれだな」
青木が肩から顔を上げたのがわかった。
「先輩は愛情がめいっぱいなんだな」
「それってばかにしてる?」
いやいや、と青木は笑った。
「じゃあその部分のスペースをちょっとだけ開けて、勇気と希望を足してみよう」
「なにそれ」
顔を見ていないからか、すんなり言葉が出てくる。
「先輩って変なとこでゆるいくせに変なとこでめっちゃ頑固だからさ、こうだ! って決めたことを覆すのはけっこう大変だと思うんだよな」
変なとこでゆるいってマッチングアプリのことか、もはやなにも言うまい。ばつが悪すぎる。
「だから、自分の考えを思い直す勇気と、『あした』を俺とすごす希望、それをプラスする余地を愛情部分にちょうだいよ」
瑞樹は青木からすこし体を離し、彼の顔を見つめる。いなすでも諭すでもなく、もちろん格下に向けてのごほうびみたいな言いかたでもない。純粋に、そうしたら身軽になるよ、という提案をされたようで、瑞樹は的外れにも、このひとってほんとうに教師なんだ、と思った。
「青木、先生みたい」
「はあー? 一応教員になって丸五年なんですけど。……まあ、まだ五年だけど」
「生徒にも、そういうふうに言ったりすんの?」
「まさか。生徒にはもっと言いかた整えるし、もっと真剣」
「っておい」
「仕事だからね」
何気ないことを言うとき、青木はいつも声が半トーンくらい引くなる。
「先輩に対しては俺、もういっぱいいっぱいで余裕なんかねえし」
「なんで……」
自分の考えを思い直す勇気。
「なんでって、好きだからだろ」
青木と『あした』をすごす希望。
「好きなひとってさ、思い通りにしたいとかじゃなくて、どうやったら自分のものになるんだろうね。先輩を好きになってから、ずっと謎だよ」
生徒にはもっと言いかたを整える青木、もっと真剣だと言う青木、だけどそれは仕事だからだと言う。やっぱりどこか、自分と他人は交わらないように一線を引く。その彼が瑞樹に対しては、謎などと言う。
だったらもういんじゃないか。愛情のところに、勇気と希望を加える余地を与えたって。
「ステーキ」
「ん?」
「楽しみ。予約しといてな?」
片思い十年、両思いになって一年、行きつ戻りつ、道に迷って迷子になったらきっと、青木が今みたいに笑って目印になって立っている。
了
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