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「よし、じゃあじゃんけんしよっか」
「は?」
ふたたび歩きはじめ、北村は新しい遊びを思いついたように言う。
「俺は空にごちそうしたいし、一緒に楽しみたい。それを覆す気はない。でも空はそういうのが対等じゃない気がするからいやだ。俺はそっちも悪いとは思わない。だから公平を期してじゃんけん」
ぴたりと足を止め、ナイスアイデアとばかりの提案を空にぶつけてくる。なんというか、とても北村「らしい」と思った。
「よし、乗った」
「俺が勝ったら奢る。空が勝ったら割り勘。恨みっこなしの一回勝負な」
一度うなずく。
「せーの、最初はぐー!」
「じゃんけん……」
あーうまかったー。
寒空の下、きれいなイルミネーションがひしめく路上、寒さなどまったく無視した満腹の表情で、北村は笑った。空は勝負に負け、かくしておいしいおいしいお寿司をごちそうになったあとのこと。
「悔しい……」
「俺ねー、ここぞというときのじゃんけんって負けたことないんだよね」
「そういうエピソードまでおまえっぽくてなおさら腹立つわ」
へへー、という勝ち誇った口ぶりは、からりとして湿度がない。
「うん、でも、ありがとう。おいしかった」
「なー、うまかったね」
このひとは、ものごとを楽しみたいひとなのだと思う。たとえ気が乗らないことがあったとしても、どこかに隙を見つけたり、立ち行かない問題として処理しない方法を自ら選択するのだと思う。
「空、きょう俺ん家くる?」
「いいの?」
「あたりまえ」
空は苦笑してしまった。ほんとうに「あたりまえ」だと思っていなければ、北村はきっと言わないだろう。前向きで、圧倒的なプラス思考を見せつけられると、空は一瞬だけたじろいでしまう。
この中に、ほんの一部でも自分のネガティブな要素が入り混じると、とっておきのまちがいを犯しているような気がしてくる。だからときどき、踏み出すのがおそろしい。
それをまた、ためらいなく引っ張ってしまうのも北村なのだけれど。
駅に向かって歩きながら、コンビニ行こっか、なんて話をした。たくさん飲んだのに、もっと飲みてー、などと俗っぽいことも、彼はときに口にする。二十七歳のただの男だとわかっている反面、北村にこわいことはあるのだろうか、とも思う。
「空が泊まるなら、『またあした』って言わなくていいんだよな」
「え?」
ぴたりと足を止めると、北村も立ち止まった。
「電話したときとか、『またあした』って切るの、俺はちょっと寂しいからさ」
北村の「寂しい」に驚いて、思わず目を見開く。眼鏡がとつぜんぼやけた気がして、何度も目をまばたかせた。
「透も、そういうこと、考えるんだ……」
「そりゃー考えるっしょ。恋人同士の『あした』ってけっこう不安定だと思うし」
「びっくりした。楽しみしかしないと思ってた」
「もちろん次会ったらなにしようって楽しみも考えるけど、『またあした』って脅迫めいてんなって思うときもあるよ」
脅迫て、と吹き出すと、「いやまじでまじで」とちょっと低く彼は言う。軽口のような台詞が北村の低い声に乗ると、耳が勝手にそばだててしまう。
「相手の心にはどうあっても触れられないし、わかんねえじゃん『あした』会いたいと思ってるかどうかなんて。だから言葉にするんだよ。またあしたねって。あしたも俺のこと考えてねって」
恋してるんだ、と思った。このひとはちゃんと、おれに恋をしてる。こわくて、近づきたくて、知りたくて、を繰り返す。
好きなひとと出会うだけでも難しいのに、その好きなひとと「あした」の約束を交わせるひとは、地球上におよそ何パーセント存在するんだろう。おおきくても、ちいさくても、それってものすごく奇跡的な数字なんじゃないか。
「好き」
この言葉を惜しみなく伝えられることも。
「おれも透と、『あした』も一緒にいたい」
感情に触れることができないのなら、せめて心が見えるような伝えかたを。
北村の手のひらと、顔が近づく。空の頬に触れそうになる直前、しゅっと遠のいた。彼は自分の手を隠すようにコートのポケットに入れ、ふたたび歩き出す。
「あっぶね。キスするとこだった」
「人権なくすじゃん」
「だれのせいだよ」
「おれだね」
ふふ、と笑った。
「帰ったらいっぱいチューしてやる」
「いやー、どうしよ」
「なんでだよ。つーか問答無用でするんで」
あした、あさって、一週間、一ヶ月、一年。「あした」が続くかぎりふたりですごせますように。
とりあえず、またあした。
了
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