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15
ガートルードとカラは城の裏手にある草原を歩いていた。
各地から国王の招集を受けて集まった傭兵たちが城外の平地で野営をしているため、ふたりは人目のない裏手に向かった。
草原を渡る風は冷たく頬を撫で、残照はガートルードとカラの影を大地に落とす。
カラはふとガートルードの髪に目を止めた。赤い髪が燃えるように輝いている。夕日の為だけではないことは、その光の異様さが物語っていた。まるで炎のように赤い髪だけが夜の帷が降り始めた薄暗い空間に浮かび上がっている。
不意にガートルードが振り返った。向けられた視線にも動じず口を開く。
「ここら辺でいいだろう」
人の気配はおろか、鳥の鳴き声ひとつしない静寂の中でガートルードの声はよく響いた。
ガートルードは髪をひとつにまとめて布を巻くと、辺りに本来の闇が戻ってきた。
「カラよ、剣を抜け」
返事を待たずに訓練用の剣を構える。
「ひとつ手合わせ願おうか」
カラも同じように訓練用の剣を抜いた。
「……いいか?」
ガートルードの問いに頷くと、静かに剣を構えた。
一瞬の沈黙ののち、ガートルードがカラに向かって剣を振り下ろした。
長身から繰り出される一撃は重く、剣を受けた腕に衝撃が走る。
すぐに次の一打がカラに襲い掛かる。
「どうした? かわすだけがお前の剣術か?」
ガートルードの顔は真剣そのものである。
二打、三打とどうにかかわしたが、腕の痺れがカラの動きを鈍らせた。
「こんなもんじゃあない筈だ」
ガートルードの一撃がカラの剣を吹き飛ばした。
「取れ。騎士ダーマットを倒した業はその程度か?」
ガートルードの若草色の目がカラを射抜く。
カラは再び剣を取った。
間合いをとり、剣を構え直す。
ふたりの間の空気が張り詰める。
カラが先に前に出た。
真正面に打ち込み、ガートルードに受け止められるとすぐさま身を翻して横一線に剣を払う。
が、ガートルードは素早くかわし、頭上から剣を振り下ろした。
カラは後ろに飛んで打撃を避けたかと思えば、すぐさま突進して懐に踏み込んで剣を振るった。
「さすがだ」
高揚したガートルードは笑顔を浮かべながらカラの剣を受け続けた。
「いいぞ、カラ」
それでこそ〈騎士〉の弟子だ、とガートルードは笑った。
ふたりの攻防は熾烈を極め手合わせの域をゆうに超えていたが、その幕切れは唐突に訪れた。
「ガートッ!」
声は闇の中から響き、姿は頭上から現れた。
巨大な鉄の塊——剣がガートルードとカラの間に振り下ろされた。
剣は地面を抉り取り、轟音と激しい衝撃を放って二人を別つ。
「久しいな、ガートよ」
巨大な剣を操る影がふたりを見下ろした。
「……ウィルマか」
ガートルードは思わずその名を呟いた。
「見覚えのある炎が見えたんでな。まさかと思って来てみたら、やっぱりお前だった」
ガートルードが頭に巻いた布の隙間から一一房の髪が覗き、暗闇に眩い光を放っていた。
「ウィルマ……、本当にウィルマなのだな」
高揚のままガートルードはウィルマに駆け寄った。
「何年振りだ? まさかこんな所で会うとは」
普段の冷静そのもののガートルードは影を潜め、いまは旧知と再会した喜びと驚きを隠さず、カラの前で笑顔を見せている。
「悪いな、邪魔をして」
「いや、構わん」
「なら紹介してくれるか?」
と、ウィルマはカラに目を向けた。
「カラだ。私たちアルトス傭兵団の仲間だ」
カラはウィルマに頭を下げた。
「カラ、ウィルマだ。私の古いなじみなんだ」
「よろしく」
ウィルマは大きな手をカラに差し出した。
比較的長身のガートルードよりも頭一つ分ほど高いウィルマは体格も良く、薄手の衣服に浮かび上がる筋肉は引き締まり、肉体の精悍さを際立たせている。
日に焼けた肌に似合う麦わら色の長い髪は中央風の髪型——後ろに流され、両耳の上に作った細い三つ編みを後頭部で結えた——に整えられ、目鼻立ちのしっかりした顔によく馴染んでいた。
勿忘草色の目は泰然とした笑みを浮かべてカラを見つめている。
カラは無言で握手を交わした。
「アルトス傭兵団の活躍は聞いているぞ。特に美丈夫——英雄殿だ。まさか魔王の城に乗り込むとはな。ウチの隊長も驚いていたよ」
「私たちも驚いたさ。だがそんな事をやってのけるのが我らが団長なのだよ」
ガートルードは改めてウィルマに目を向けた。
「……それでおまえはいまどこに居るんだ?」
「〈中央〉の〈黒鷲〉に所属していてな。そこではジャックと名乗っている」
「たしか筆頭小隊の副長だったな」
「あぁ。腕力だけが取り柄の傭兵だが、〈中央〉では重宝してもらってるよ」
ウィルマ——ジャックは太い腕を見せた。見慣れた日焼けした肌と見慣れぬ中央独特の服に、ガートルードは胸の奥にかすかな痛みを感じて視線を転じた。
「相変わらずそんな鉄の塊を振り回しているのか?」
ジャックの背中には、その鋼のような肉体にふさわしい武器が備えられている。
「私にはこいつが丁度いいのさ」
ジャックは巨大な剣を持ち上げた。通常の剣の何倍もの厚みと長さのある——もはや棍棒と見紛うほどの——剣を軽々と扱い、かつ俊敏さと正確さを失わないジャックの戦い方は異様であった。敵として対峙した者はその異様さに恐れ慄くであろうことは容易に想像できる。
しかしいまは、先ほどのガートルードのように旧友との再会を無邪気に喜んでいる。
「変わらんな」
「ガートもな」
笑うと大きな目と口は美しい半円を描き、見る者を不思議な懐かしさで包んで魅了した。
「どうだ? 私たちの宿営地に来ないか?」
中央のうまい酒があるんだ、とジャックは歯を見せた。
「いい話だ。が団長に許可を取らねばならん」
ガートルードは肩をすくめた。
「ほう。あの美丈夫殿が是と言うか?」
「旧友と飲む、と言えば大丈夫だろう」
今度はジャックが肩をすくめた。
「その通りだが」
「何にせよ一旦戻るさ。夕食の時間だしな」
「うむ。待っているぞ」
「あぁ、晩の鐘までに来なければ、その時は諦めてくれ」
「わかった」
ジャックは立ち去る前にカラに目を向けた。
「そなたも来い。待っているぞ」
美しい笑みは夜の闇に紛れてほとんど見えなかった。
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