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19  出陣前日——。  英雄たちの宿舎では最後の作戦会議が行われていた。 「〈魔王〉は依然城に篭ってはいるが、魔物たちは城や周辺に集結している」  中央の円卓に広げた地図を指差しながら英雄が説明する。 「どのくらい集まっているんだ?」  ニアールが地図上の〈魔王〉の城を見ながら訊いた。 「数えきれないほど、だそうだ」 「えぇッ」  思わず叫んだウィスカは慌てて口を塞ぐ。 「……上等じゃあないか」  ガートルードは豪快に笑った。 「全部倒せばいいだけの話だ」  わかりやすくていいだろう、とガートルードはニアの横腹を肘でつついた。 「それができれば会議などしない」  ニアールは鼻を鳴らして応戦する。 「なんだ、お前は出来ないとでも言うのか」 「そんなことは言っていない。ただ俺は……」 「おかわり、いかがですか?」  マドラ・ルアが間に割ってはいり、返事を聞く前にそれぞれの銀杯にワインを注いだ。  ふたりは黙ってスパイスのきいたワインを口にした。 「それで、私たちは前線で戦う——ということで間違いありませんか?」  マドラ・ルアが英雄に問いかける。 「あぁ、私たちはロタ川を越えて陣を張る。〈黒鷲〉の本体——ヨハン殿は後方で〈庭〉の発動に専念するから、準備が整うまで前線を死守するのが私たちの重要な役目だ」  英雄はロタ川の上流と下流にある廃墟をそれぞれ指差した。 「〈黒鷲〉の小隊がこの二つの廃墟を砦として使う。その間を結んだ直線が防衛線になる」  砦と砦の間の平原に指で線を引く。 「まずはそこを越えさせないってことか」  ガートルードが唸る。 「〈庭〉が出来るまでだ。そう長くはかからないとヨハン殿は言っている」 「この線を俺たちと国王軍、〈黒鷲〉の残りの小隊で守るんだな」  ニアールが腕組みして地図を睨んだ。 「そういえば」  ガートルードが英雄に目を向けた。 「ジャックはどこにいるって?」 「ジャック殿とリュカリュ殿の筆頭小隊は、ヨハン殿が〈庭〉を敷くトラキスの丘の前に布陣する」 「やはり隊長を守るか」  一緒に大暴れしたかったなぁ、とガートルードは残念そうに言った。 「落ち着いたらまた手合わせでもそればいいさ」とニアールが肩を叩く。 「それで」  英雄が話を再開した。 「〈庭〉が準備でき次第、ヨハン殿から合図が来る。そうしたら私たちはロタ川まで一気に 後退して敵を誘い込む。その時には」  そこで言葉を切ってガートルードを見る。 「リュカリュ小隊と合流して、丘の前で敵を引き止める」  ガートルードはニヤリと笑った。 「いい作戦だ」  英雄は頷き、地図に目を落とした。 「さらにヨハン殿から合図が来れば、丘の後方まで退がり、ミシェル殿が張る結界内で〈庭〉を待つ」  退路を描く英雄の指先を全員が見つめた。  地図には〈庭〉のおおよその範囲も書き込まれていた。  島の三分の一にも及ぶ〈庭〉の広さに団員たちは息を呑んだ。 「〈庭〉が発動した後は?」  ミュリエルがおずおずと訊いた。 「〈庭〉が発動した地を避け、進軍する」 「〈魔王〉の城まで?」  英雄は頷き、アルトス傭兵団の団員ひとりひとりの顔を見ながら言った。 「〈庭〉の発動後はひどく混乱するだろう——。各自状況を報告しながら合流し、敵が残っていたら発見次第、即撃破する。特に〈騎士〉、〈魔術師〉は最優先で倒す」  団員たちも英雄を真剣な眼差しで見つめる。 「〈魔王〉の城まで進軍が不可能な場合、速やかに後退し、戦況の把握に努めつつ、敵の攻撃に備える」  何か質問は、と英雄は円卓を見渡した。 「ミシェル殿は出ないんだな」  ガートルードが投げやりに言った。 「結界と城の防衛に当たってもらうからな」 「隣国の援軍ご一行様も城のお守りだと? 偉そうな割に後方支援とは」 「で、でも〈庭〉の被害が及ばないような強力な結界を張れるの、多分あの人くらいだと思うよ」  ウィスカは恐る恐る口を挟んだ。 「なんだぁ? お前、あいつの肩持つのか」  ガートルードはウィスカを睨みつける。 「ガート。ウィスカが怯えていますよ」  マドラ・ルアが助け舟を出す。 「ウィスカは正しくかの人の力を評価しているだけです。それに今は味方なのですから」  皮肉の滲む語尾にガートルードはニヤリと笑った。 「マドも同じじゃないか」 「さぁ、どうでしょうね」 「ふたりとも」  黙って見守っていたドラウグが口を開いた。 「まだ会議中だからね 「あぁ、悪い」 「申し訳ありません」  ふたりは軽く頭を下げた。 「他にはあるか?」  英雄は再び団員を見遣った。 「……団長」  ニアールが厳かに切り出す。 「いつも通り戦えばいい、そうだろう?」  広間の空気が一変し、皆の顔に緊張と覇気が浮かんだ。  英雄は場が落ち着くのを待って返事をした。 「そうだ。いつも通り皆で戦い、皆で帰る。それだけを約束してくれ」  団員は皆深く頷いた。  作戦会議が終わるとすでに日は傾き、ユリウスが業務の合間を縫って夕食の時間を告げに来た。  出陣前夜の正餐は品数こそ多くないものの、今までになく洗練されたものだった。  時間になると給仕係のひとりが静かにやってきて、円卓に白いテーブルクロスをかけた。  そして精緻な装飾が施された塩入れを置き、次に人数分の銀の皿、銀杯、スプーンとナイフを整然と並べていった。  円卓の準備が整うと給仕係が次々と料理を運び、ワインをそれぞれの盃に注いで回った。  英雄たちは美しい給仕の所作に目を奪われ、感嘆の声やため息を漏らしながら見入った。  鹿肉のシチューの入った深皿が置かれたのを見届けてから、端に控えていたユリウスが口を開いた。 「お待たせいたしました。本日のメニューを紹介いたします。まずは焼きイチジク、そして鹿肉のシチュー、鮭のワイン煮・カムリーヌソース添え、牛と鳥のミートパイ、最後に果物のカスタードタルトをご用意しています。お飲み物はワイン、エール、ビールがございます。それでは、どうぞお召し上がりください」 「ありがとう、ユリウス」  英雄はやわらかな笑みをユリウスに向けた。  他の団員も口々に礼を述べる。 「どういたしまして。それではごゆっくり」  ユリウスははにかみ、軽く頭を下げて部屋を後にした。  何かあればお呼びください、と給仕係たちも立ち去った。 「いただこう」  英雄の声は静かな広間に響いた。  団員たちは胸の前で手を組み、 「いただきます」  と呟いてから食事を始めた。  夕食を終え、明日の準備を整えた団員たちは早々と床に就いていった。  カーテンの降りた寝台からかすかな寝息や時折寝言のようなものが聞こえてくる。  カラも横になり、眠りに入ろうとしていた。  カラ——。  誰かに呼ばれたような気がしてカラは目を開けた。  暗い天蓋に差す一条の光——。  カーテンのわずかな隙間から広間が覗く。  カラは半身を起こして垣間見た。  英雄がひとり、暖炉の前に座っていた。  そばにある布張りの椅子を使わず、敷かれた絨毯に直接腰を下ろしている。  片膝を立て、じっと揺れ動く炎を見つめていた。 「……カラ?」  視線に気付いたのか、英雄はカラの寝台に目を向けた。 「眠れないか?」  穏やかに微笑み、手招きする。  カラはおもむろに寝台を出て英雄のそばに座った。 「温かい飲み物でもどうだい?」  英雄はおもむろに立ち上がり、円卓から銀杯と素焼きのカラフェを持って戻ってきた。 「すぐ用意するから」  カラフェを持ったまま、空いている手を暖炉に差し出した。 「……少し力を貸してくれ」  英雄の声が不思議な響きを持って空間に広がり、静かに燃えていた炎が一瞬、爆発的に燃え上がる——と同時に一筋の炎が英雄の指先に絡みついた。炎はあっという間に腕を這い上がり、肩や首を通り越して反対側の手まで移動し、持っているカラフェを包み込んだ。 「もういいだろう」  英雄が囁くと炎は瞬く間に消え失せた。 「頃合いだ」  手にしたカラフェの温度を確かめると、銀杯に注いでカラに差し出した。 「どうぞ」  カラは黙って受け取った。  銀杯はじんわりと温かく、ワインからもほのかに湯気が立ち上っている。  一口飲むと、心地よい温もりが体中に染み渡った。  英雄は満足そうに頷き、もう一つの銀杯にワインを注いで飲んだ。 「……うまい」  誰に言うでもない呟きがふたりの間に沈む。  それからしばらく言葉を交わさなかった。  薪の燃える音と誰かの寝息——。  時たま遠くから聞こえる動物の鳴き声——。  寝返りで寝台がきしむ音——。  静かに夜が更けていく。  ワインを半分ほど飲み終えた時、英雄が口を開いた。 「カラ——」  カラを見る英雄の顔はかすかに険しく、かすかにほほ笑んでいる。 「……私は戦う」  誰と、とは言わなかった。  穏やかな口調とは裏腹に、冷たい光を帯びた瑠璃色の目がカラの黒い瞳を見つめる。 「……共に戦ってほしい」  カラは一度大きく瞬きをして頷いた。
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