8.信乃さんは定年後も、異世界で助産師をしているらしい

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8.信乃さんは定年後も、異世界で助産師をしているらしい

「あー、朝になっちゃいましたね。」 「朝日が眩しいなあ……。」 一階の窓の外は、すでに明るくなった空が見えていた。 二時間―――こちらの時間で一刻ほどエライザとあかちゃんの具合をみて、信乃は問題なしと告げた。 授乳のお陰か子宮復古良好で出血も少なく、傷も回復魔法で完治しているため、疲れてはいるがエライザはしっかりした足取りで地下室から上がってきた。 あかちゃんは始めての授乳を頑張っていたためか、ココの腕の中ですやすやと眠っている。 「一応、依頼は出産して、歩けるようになるまでなんやけど……。」 「そうね。産んですぐに帰れるなんて、想定してなかったもの。休んでからがいいと思うけど……、信乃さん、どうしたらいいですか? 」 「日本だと産後5日くらい入院する病院が多いけどねえ。アメリカは2日くらいで退院だっていうし、その国でいろいろ違うんだろうけど―――」 地下室からの階段が思ったより急のため、信乃は手すりを伝いながら歩く。 「エライザさんはずっと頑張っていたんだから、とりあえず休みましょう。あかちゃんも産まれたばかりは興奮して泣いたり騒いだけど、この後は長めに眠ってくれるはずよ。 そのあとは、あかちゃんがおなか空くたびに授乳しなきゃならないものねえ。」 信乃の言葉により、エライザとあかちゃんは数日滞在することになった。 一階の奥にの病室として使っている部屋に通される。そこはやや古びているが、大きめの天蓋付のベッドがででんと中央に置かれた部屋であった。 「ベビーベッドはないけど、広いベッドだから添い寝になるのね。」 「貴族とかじゃあるまいし、あかちゃん専用のベッドなんて用意出来へんよ! この大きなベッドだって高額やったんに。」 「……マットレスは固めだし、枕のあたりも余計な装飾もないから添い寝でも安全ね。」 「ベッドひとつにも、危険な状態があるんですか……? 」 「柔らかすぎるマットレスだと、なにかの拍子にあかちゃんがうっかりうつ伏せたときに窒息の恐れがあるわね。あかちゃん自身は寝返りは出来なくても、添い乳のあとにコロンと、うつ伏せちゃう可能性があるもの。 タオルやクッション、ぬいぐるみなんかがあかちゃんの顔を覆っても窒息の可能性があって、余計なものを置くのもやっぱり危険なのよ。ベッド側だけじゃなくて、お母さん側も凄い太っていたり、睡眠薬や飲酒してたら添い寝してほしくないわね。あかちゃんを押し潰しちゃうかもしれないもの。」 信乃は布団をめくったり、枕を叩いたり、あちこちを点検しながら説明をした。満足そうに頷いているので、そのお眼鏡にかなったらしい。 「サイドテーブルに、オムツ換えの道具も揃えてあるのね。布オムツ久しぶりにみたわー。この水差しと古い布キレがおしりを拭く道具かしら。」 「この水差しは保温の魔道具の中古品なんやけど、壊れていてぬるいお湯しか出ないんや。おしり拭くのにちょうどええやろ? 布キレも近所の服屋からいらんの激安でまとめ買いしとるやつだし、いい買い物しとるやろ。」 「汚れたオムツは、こちらの壺に入れて貰ってます。洗浄の魔石が入ってるんです。まあそれだけじゃ綺麗にならないんで、消臭目的ですね。オムツ自体は一日一回回収して洗濯してます。エライザさん、起きたらオムツの替え方を一緒に練習しましょうね。」 「あら、ちゃんと指導もしてるのね。」 「エライザさんは初産婦で、あまり小さい子の世話などしてこなかったって言うので。初産婦でも家族が多くて世話の経験がある人にはしてないです。沐浴の方法とか、着替えのさせ方とかも教えてます。まあ依頼人が傷で動けないときに、隣でやって見せてただけなんですけど。」 「手を出すより、"やって見せる"ってのは良い指導だと私は思ってるわ。山本五十六ね。授乳もどんなかんじで指導しているの? 」 「どう……って、あかちゃんが泣いたらおっぱいを吸わせてるだけですが……。貴族や大商人なら乳母とかいるんでしょうけど、うちら庶民なんで。」 「あかちゃんが欲しがるたびに授乳をするのは、プロラクチン分泌のためにも大切なことだものねえ。まだあかちゃんは胃がビー玉くらい小さくて1日10回以上欲しがるから、頻回の授乳を身体を休ませながらできるように教えてあげられるといいわね。 母乳って吸うことで作られるから、出来れば乳母よりも本人に授乳させたいよねえ。」 「乳母がいるような貴族や金持ちは、身体が崩れるとかで本人が授乳したがらないんやないかなあ。」 「あら。1日母乳を出すのは、一時間走るくらいのカロリー消費するから痩せれるのにねえ。胸の形も授乳の有無でそれほど変わらないって言うけどもね。……まあ、これは個人の考え方だから、授乳したくない人に無理にさせるものでもないんだけど。 ―――ただ、人工乳や哺乳瓶とかなさそうだから、科学的根拠(エビデンス)のある授乳指導をした方があかちゃんのために良さそうよねえ。私は不要なマッサージと、食べ物で母乳の質が代わるとかああいう迷信が嫌いなのよ。意味がないのにこれ食べちゃ駄目とか、これしか食べちゃ駄目、とか。」 「ああ、うちも似た話、聞いたことあるわ。使用期限の切れたポーションを温めて飲むと母乳が出やすくなるって義理の親に言われて飲んで、凄い下痢になったってヤツ。魔法薬学的にありえへんのに。」 「どこにでもあるのねえ。いかにも個人の経験だけを元に指導する姑って感じねえ。私も気を付けたいわ。」 「信乃さんはそんなんなさそうですけどね。」 「分からないわよ。おかしいこと言っていたら指摘してね。」 ふふふと信乃は笑って、エライザとあかちゃんをベッドに寝かせる手伝いをした。横になったエライザの脈をとったり、子宮底の固さを確認したりしてから、布団を掛ける。となりのあかちゃんも呼吸や顔色を確認する。 カーテンを引いたらもう、ふたりとも寝息を立てていた。さすがに疲れていたのだろう。 信乃とココ、サンはそっと部屋から出て、リビングに向かった。 暖炉と感じの良いソファがあるが、ソファのひとつを地下に持っていったためかコの字ではなく∟のように置かれている。 三人はそんなソファに腰かけて、各々が伸びをやアクビをする。 「エライザさんは2日はまともに寝てなかったものね。とても頑張ったわ。」 「うちらも頑張ったわ。一緒に起きてたやん。疲れたわ。」 「私たちも休みましょ。ふわぁぁぁ……。」 「そうねえ……、私も定年最後の仕事のあとに、また一晩夜勤しちゃったから疲れたわねえ。」 信乃はこきこきと、肩を回しながら言った。 「――――ねえ、私っていつ帰れるのかしら?」 「「…………………………。」」 ココとサンは顔を見合わす。 しばらくすると、ふたりの顔が青ざめていくことで信乃は確信を得る。なんとなく、気がついていたが帰れそうにない事実にため息を漏らす。 「せ、聖霊はやること終わったら、勝手に帰っていくもんやから………でも、信乃さんは人間やもんな………。」 「しょ、召喚師が今は不在で、………こんなつもりはなかったんです………。」 「スーは古都まで行ってるんやけどな、古都ってこの水都セイレンからそんな遠くないから、用事終わったらすぐ帰ってくるから。」 「召喚師が戻ったら、ちゃんともとの場所にお返ししますからね、だから、だから………」 「「信乃さん、本当に、ごめんなさい~~~」」 「まあ……。定年退職で暇だから、ここにいる間はお産の手伝いでもしましょうかねえ。」 こうして召喚師の帰りを待ちながら、信乃は異世界で助産師をすることになったのだった。
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