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ある推理小説の冒頭で、女子高生が言った。
「どぉ?流石の美子でも犯人わからなかったでしょう」
美子、と呼ばれる女子高生は手に持った推理小説を彼女に渡し、呆れ顔でこう言った。
「何言っているの。第一章から犯人わかっちゃったわよ。こんなの二流よ」
素晴らしい、と私は思う。
あくまで個人の見解だが、もしそれが推理した上で最初から犯人がわかり、最後まで犯人だろうと思いながら読めたのであれば、その小説は素晴らしいと思う。
何故かって。
その犯人が犯人であることに筋が通り、納得できるという事だからだ。
終盤に差し掛かって急に現れるような犯人は論外だ。
メインキャストに犯行が可能で動機があるにも関わらず、実はこのモブが犯人でした、なんて三流だ。
犯人アピールしておいて、本当に犯人でしたはコメディだと思う。
(あくまで個人の…)
殺人を犯しておいて、何ら変わりない生活をする人間はただの殺人鬼だ。
まぁ、悲しいことに現実そんな人間もいるのかもしれないが…。
動機、状況、態度など、犯人であるということに不自然な点がないながらも、巧みに他の情報で隠され、後であっと言わせるのが一流と言えるのではないか。
冒頭の女子高生が読んだとされる架空の推理小説は、推理小説マニアの手にかかってしまったが故に『二流』の烙印を押されてしまったわけだが…。
私はその小説を読めるわけではないので、格付けするのは控えよう。
前置きが長くなった。
何が言いたいかと言うと、この私は一流の推理小説作家と格付けしてもいいのではないかということだ。
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