曲者失せ者忘れ者

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「曲者じゃ!出あえ出あえ!」 野太い声が響く中、曲者と呼ばれた男は風の如き素早さで走る。彼の名は和磨坊華々丸(わすれぼうかかまる)。腕利きの忍として名高い彼は、けれども、忍者であるからこそ名高い自分を恥じていた。何故ならば、忍は他者に名を知られては二流であるからである。だとすれば、彼は何故腕利きでありながら名を知られてしまったか。それは彼の、唯一の弱点にあった。 「むうっ、この手ぬぐい! 貴様、和磨坊華々丸じゃな!」 (しまった、また忘れ物をしてしもうた!) そう、彼は異常に失せ者、ひいては敵陣への忘れ物の多い忍であった。武具であるならば忘れはしない、だが、こと自分の私物となると何故か置いてきてしまう。人々の間では、その忘れ物を華々丸の挑戦状と有難がるものまでいる始末である。 (忍でありながら何たる醜態! これではお館様に顔向けが出来ぬ!) 己が行いを悔いるも、時すでに遅し。持ち物の名を知られてしまっては、戦う他にあるまい。華々丸は刀を構え、自らに寄ってくる敵陣を迎え撃つ。 「おのれ、失せ者置きの華々丸めが! 我らを愚鈍と嘲笑せし気か!」 「……平に容赦」 その言葉は、華々丸の心からの謝罪である。毎回、忘れ物をしては追いかけてきたものを切らねばならぬ。無益な殺生を増やす自分の行いを、華々丸は良しとしていなかった。 煌めく諸刃の忍刀に、倒れ行く男達。華々丸は返り血を浴びながら、男達に念仏の一つも唱えようと手を合わせた。その時、お供えを手向けようとしたお地蔵様の前で、華々丸はとんでもないものを見つけてしまった。 「まさか。拙者が失せ者を見つけるとは。世にも奇妙な夜でござる」 お地蔵様の前には、質の良い布団にくるまれた、ふくふくと可愛らしい赤ん坊が眠っていた。 「それで、お前はその子を拾ってきたのか」 「はい、お館様。拙者如き二流の忍が、子を育てるなど笑い種かとも思いまするが」 「いや、それは別に構わんが……お前、戦場で子を置き忘れるなよ?」 「お館様! それはあまりにござります! 拙者がいくら失せ者の華々丸とは言え、幼子を敵陣に置き忘れることなど有り得ませぬ!」 華々丸の剣幕に、お館様もそれ以上は聞かなかった。しかし、お館様もその名で呼ばれるまでにいくつもの修羅場を潜り抜けた男、華々丸の忘れっぽさが多少のものではないことを知っている。そこで、お館様はこっそりと、赤ん坊の産着に一細工しておくのであった。 さてさて、赤ん坊を拾った華々丸は、それは大層に赤ん坊を可愛がった。おしめを変えるのも湯に浸からせるのも自分の手で、母親の乳の代わりに山羊の乳やよく煮た粥を食べさせてやるのもお手の物だった。自分の着物を解いては赤ん坊の為の産着を縫ってやり、忍以外の野良仕事が入れば赤ん坊をおぶってそこに向かった。 「ああ、町は平和だ。拙者もいずれ、草に下る日が来ればよいのだが」 草に下る。つまりは一般市民に紛れて生活をすることである。血気盛んな忍としてはそれは戦力外通告を受けた屈辱を感じるだろうが、実のところ華々丸は、すぐにでも草に下りたいと思っていた。なまじ戦果を挙げてしまったが為に、自分のような粗忽者がお館様の懐刀になっていることの方を、華々丸は密かに恥じていた。 「月太郎。お前はどうか、拙者のようにこんがらがった生き方はせんでくれよ。素直に真っ直ぐ、月のように平和な道を生きてくれ」 背中に背負った赤ん坊に、月太郎と名をつけて、華々丸はからころと下駄を鳴らしながら道を行く。今日の彼の仕事は、飴売りをしながら町の情報を仕入れることだ。この町を裏で取り仕切っている、悪の代官を闇討ちする為に。 華々丸は焦っていた。悪代官の屋敷に忍び込んだまでは良かったが、そこで大きな失態、つまりは失せ者をしてしまったのだ。今回の忘れ物は、月太郎のおんぶ紐であった。 (ああ、穴があったら入りたい。そのまま埋めてもらいたい) (我が子と思い育てた子を、敵の危険にさらしてしまうなど) (月太郎の名を見た全てを倒さねば、次に狙われるのは月太郎でござる) 我が子の為ならば鬼にもなろうと、華々丸は目を血走らせる。自分を追いかける彼らを切り捨てながら、彼は悪代官の屋敷、奥の奥の部屋へと飛び込んだ。 「あら、どちら様でしょう」 「っ!」 「もしかすれば、この匂い袋を落とされた方でしょうか?」 その女性は手に月太郎のおんぶ紐を持っていた。しかし、華々丸は彼女を切り捨てることなど出来なかった。彼女が女性であったからではない。華々丸が見たところ、女性にはおんぶ紐どころか、華々丸の顔も見えていないだろうからだ。その女性の目元は酷い火傷を負っており、眼球も白く濁っていた。 「あのう。私はお顔が見えませぬ故、よろしければ、お声を出していただけると助かります」 「……ええ。その匂い袋、おんぶ紐は、拙者のものです」 「おんぶ紐。そうか、それで匂い袋の紐が、こんなに長かったのですね」 女性はふわふわと微笑み、座敷牢から手を出しておんぶ紐を華々丸の方へ差し出した。華々丸がそれを受け取ると、女性に「貴方は」と問うた。 「私? 私は、雪。此処に囚われて、多分、10年は経ったかと」 私は母の身替わりなのですと、雪は悲しげに声を零した。 雪の母は、代官に見初められていたと聞く。しかし、彼女は恋い慕う夫と離れることを良しとせず、代官の手出しにその命を持って拒絶を果たした。しかし、彼女の夫は彼女の愛に値する男ではなかった。彼は雪を、代官が出した数枚の金と換えたのだ。勿論そんな男が長生きするわけもなく、雪が目を焼かれるその日に代官の手下に切り捨てられた。 「此処の代官は、そのような男です。ですから、貴方も早くお逃げなさって」 「……貴方は、逃げようとは思わないのですか」 「私には、帰りを待つ人もいないから。けれども、貴方は違うでしょう」 貴方の大事な人を、どうか守ってあげて。雪がそう呟いた刹那、華々丸は座敷牢を叩き割っていた。彼はそのまま、雪を抱えて闇に飛ぶ。 「っ!? あの、貴方は。私を連れて、逃げられるのですか?」 「ええ。拙者、忍ゆえ。悪の代官も、今や地獄で鬼の責め苦にあるでしょう」 「……悪人でも、代官です。倒してしまえば、政府の追手が来るでしょう」 「ならば、拙者が返り討ちに致しましょう。……貴方が隠してくださった、おんぶ紐のお礼に」 雪の手足には折檻の痕があった。彼女はおんぶ紐を、着物の中に隠していた。彼女がおんぶ紐を隠すことに何の意味もなかったとしても、それでも。これほどまで傷ついた人間が、他者の為に行動するその美しさを、華々丸は忘れられなかった。忘れたくは、なかった。 「雪殿。拙者と、月太郎と共に、生きましょう」 「ああ、そのおんぶ紐の赤ちゃんは、月太郎ちゃんと言うのね」 雪は見えぬ目をして、泣いているように微笑んだ。 「全く、忘れ物をしてきた上に、嫁を連れてくるとは。お前も図太い者よ」 「お館様、雪殿は代官の手から保護しただけで、拙者如きの嫁御には」 「私は、月太郎ちゃんのお母さんになっても良いですが」 貴方のようなお父さんでは、月太郎ちゃんは苦労するでしょうから。雪は匂い袋のついたおんぶ紐を手に取り、くすくすと笑った。 「私、目は見えませんが鼻は良いのです。このおんぶ紐も、私の牢の隅で、私がいの一番に見つけたのですから」 「おお。俺が着物に細工した匂い袋に気づくとは。これは随分と鼻の利く嫁だな」 どんな失せ者も雪殿なら見つけてくださりそうだ。そうだな、月太郎。お館様が月太郎をあやしながら笑うと、華々丸は真っ赤になってしまった。そんな華々丸の顔を見て、雪もまた微笑んだ。 「私自身、誰からも忘れられた者でしたもの。お仲間探しは得意です。それに」 華々丸様の元ならば、失せ者となろうともきっと、探しに来てくださいますから。雪はそう言って、月太郎を抱き上げるのだった。月太郎は雪の腕の中、彼女が守ってくれたおんぶ紐を握って、きゃっきゃと父と母の幸福に喜ぶのであった。曲者、失せ者、忘れ者。三人はこれから、仲の良い家族となっていくのだろう。
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