それでも

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それでも

1977年. 一度は最強と期待されていたテンポイントだが、結局ここまでビッグタイトルは1つもとれないままデビュー3年目を迎えた。 「流星の貴公子」という二つ名は「悲運の貴公子」に変わっていた。 そんなテンポイントだがやはり実力は本物だった。 春に開催された最高位のレース、天皇賞を勝利しついにテンポイントはタイトルを獲得した。 「やはりテンポイントは強いんだ!見たか!!」 確かに実力による堂々たる勝利だったのだが、関西人にはスッキリしない部分が残っていた。 このレースにはトウショウボーイが出ていなかったのだ。 天皇賞から2か月後、今度は春のグランプリレース宝塚記念が開催される。 ここで半年ぶりにトウショウボーイとテンポイントは激突する事となった。 対戦成績はトウショウボーイの圧勝、だがトウショウボーイは体調不良から復帰したばかり。 一方、テンポイントは天皇賞を勝利して勢いづいている。 しかも宝塚記念は関西の阪神競馬場で行われる。 これはもう関西馬のテンポイントが断然有利だろうというのが関係者の大方の予想であった。 しかし・・・ここでもテンポイントはトウショウボーイに敗れた。 ここまで条件が整っても勝てないのか、関西人の落胆は相当たるものだった。
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