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一方的ライバル
1973年 昭和48年だからもう50年も前のお話。
「東京モンには負けへんで!」
関西人の関東に対する謎の対抗意識、それが色濃く出ていた時代。
本当に謎である。
それが顕著に表れていたのがプロ野球団、阪神タイガースであろう。
東京読売ジャイアンツに対抗意識を燃やし「巨人倒すぞ」と息巻いていた。
しかし実績で言えば今も昔も巨人は阪神のはるか上をいく。
巨人が阪神の事をライバル視していた感はあまりない。
この様にあくまで関東対関西、なのではなく関西が一方的に関東に対抗意識を燃やしていた時代。
それは競馬界にも表れていた。
競走馬は関東か関西に所属している調教師の元に預けられる。
関東か関西の所属場になるのだ。
当時、実績を残していたのは関東の調教師たちだった。
だから有力な馬を手に入れた馬主は、決まって関東の調教師に馬を預けた。
そんな中、一頭の馬が関西に所属する事になった。
名は「テンポイント」。
見た目の美しさから「流星の貴公子」とも呼ばれ、打倒関東の最有力馬としてデビューする。
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