レッスン

6/18

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
そう言い残してカウンターの奥に戻った5分後、私の前に1杯の『今日のブレンド』が置かれた。 「あのう、私、頼んでないですが……」 「ウチのコーヒーを気に入ってくれたお礼だよ。いつか来る機会があったらまた来てね」 「私、来年は大学に入って上京します。そしたら、必ず来ますから」 私は素直に、只々感動していた。そして、その言葉通り上京した後は足繁く通った。それから数ヶ月後、押切さんからの誘いもあり、その店でアルバイトとして働いていた。 一緒の時間を、互いに好きなコーヒーを通して過ごすうちに距離が近付くのは自然な流れだった。 私達は付き合い始めた。それから何度も確かめ合って。幾度となく抱かれた……。2年後、卒業したら一緒になって喫茶店をするのもいいのかな?そんな未来図を描き始めた頃にあの夜の出来事が起きたのだ。 あの日は、私の入店記念日で、店を閉めた後食事をしてホテルに入って一夜を過ごす筈だった。 和人とのベッド上での情事の後、一緒にシャワーを浴びて、先に私が浴室を出た――その時だった。 テーブルの上に無造作に置かれていた和人の携帯が着信を告げていた。ふと画面を見ると発信者は『亜紀』となっている。 『まさか、ね』そう思いながらも着信の件を言うと、一瞬和人の目が泳いだように見えた。「気にせず掛けなおしていいよ」と勧めてみるが、「大丈夫」と断る態度に不安を感じた時、再び着信があった。気不味い雰囲気の中、和人が電話に出る。 携帯から相手の声が漏れ聞こえてくる。 『相手は、女の人だ……子供の名前らしい言葉も聞こえる』 「あ、ああ大丈夫」和人はそう相手に告げて電話を切った。 「誰なの?今の人が亜紀さん?」 はっきり否定して欲しい、そう願う私の気持ちとは裏腹に和人の言葉は歯切れが悪い。 「……あのさ、何でもないなら……携帯見せてよ」居た堪れず問い質す私に、和人が返したのは長い沈黙だった。 「……すまない。隠すつもりではなかった。きちんとけじめをつけて、別れてから改めて話すつもりだったんだ」 俯いたまま和人は言った。 「……結婚してるってこと?奥さんがいて、それにお子さんだって……いるんだよね?」絞り出した声は掠れ震えていた。 「愛莉亜への気持ちに嘘はないんだ」 『嘘がない……?ついてるじゃない。今だって、これからだって続けるつもりだったんじゃない』 部屋を出ようとした私を引き止めるのを振り払った。 「もういいわ!離して!もう終わりにしてっ!私、そういうの……絶対許さないから」 ホテルを出て、独り夜の街に飛び出した。 『私、何してんだろう?憧れだけで付いて来て……騙されて。本当なんて何も見えてなかった』
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加