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「うっぷ、げふっ……うえぇぇ」何度も何度も胃の底から込み上げてくる吐き気に、私は苛まれていた。
繁華街――路地の片隅で雑居ビルの壁に凭れて、たった今自分の体内から吐き出された汚物を見詰めた。
もう胃には何も入っていない……胃液さえ出ないのに嘔吐から逃れられない苦しさに耐えていたら、胃液の代わりに瞳から溢れた涙が汚れた路上を濡らした。
「貴女、大丈夫?」私の汚れを吹き払うような声に顔を上げると、目に映っていたのは――毅然とした雰囲気を纏った女性だった。
「あ……魔女……?」 彼女の全てを見透かすような、厳しい瞳を見上げてそう思った。そして魔女を前にして私は言葉を失った。
「魔女って……貴女、聞こえてる?もう1度訊くけど、大丈夫?」
「……すみません。酷い所をお見せして、大丈夫です。……すみません、すみません」
何もそんなに謝る必要もないと分かっているけど、今自分が人生の底辺にいるとしか思えない私には……卑屈になって逃げることしか出来なかった。
「ふっ……ふふ」
視線を落とす私の耳に、魔女の嘲りとも取れる音色が響く。
「ほら、手を貸して上げるわ。起きなさい」こんな私を見て笑ってるんだ……そう思っていた魔女の声が柔らかく変わった。
「いや、でも見知らぬ人に助けてもらう訳には……」
「いいから、ほら」魔女は私の手を取り引き上げ立たせた。
立ち上がってみると、魔女は私より頭1つ背が高く引き締まった体つきなのが分かる。
立ち上りながらもまだふらつく私に肩を貸して、最寄駅のタクシー乗り場まで送ってくれた魔女は、タクシーに倒れ込んだ私に名刺を1枚差し出した。
「酔いから覚めたら連絡してきなさい。待ってるわ」
魔女のその言葉に送られた私は翌朝、自分の部屋のベッドの上で目を覚ました。吐き気は収まったが、頭は殴られ続けているようにガンガンに痛い。
頭痛に苛まれながら昨夜の出来事を思い出そうとすると、あの酔いつぶれの原因となった――そう、思い出したくもない情景まで頭を過った。それを振り払うように頭を振ると、頭痛は一層酷くなった。痛みを紛らわそうと「ふぅぅ……」と深く息を1つ吐いた時、思い出した――あの魔女との出会いを。
ジャケットのポケットに突っ込んだ、端の折れた名刺を取り出し、開ききらない目を無理に開け目を凝らす。
『神楽探偵事務所……所長、神楽莉緒?探偵……?』
昨夜、私を助けたのは魔女――ではなく、探偵だった。
『あれは……魔女じゃなくて、探偵。探偵って何するのよ……』
昨日、あんな酷い酔い方をしなければ、きっと人生で出会うことのなかった、魔女……じゃない探偵。
私はベッドに仰向けに寝転び、その名刺を翳して見詰めた。
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