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魔女は組んだ足を組み変えると、微笑んだ。
「あ、ありがとうございます。……神楽さん。あの時は、お恥ずかしい姿を見せてしまって……」
「あら、魔女から格上げね」
「あ、いえ、私も素敵な方だな、と思って」
「魔女なのに?まあ、いいわ。あの夜、貴女は何を失くしたの?」
「え……?」魔女、いや神楽さんの唐突な質問に私は絶句した。
「話したくなければいいんだけど。ただね、貴女みたいな若い子が、独りであんな酔い方するなんて余程のことかと思ったから」神楽さんの声のトーンは一層柔らかに聞こえた。
それを聞いて私は迷った。思い出したくない出来事を口に出すことで、それが脳裡に焼き付いてしまいそうで怖かった。でも、その一方でこの人なら、開いた傷口を癒して包んでくれるかもしれない――そんな気もした。
「……神楽さんは、人に騙されたことはありますか?人に欺かれたことはありますか?」
「……うん?」 神楽さんの目差しは、その声と同じく柔らかに注がれた。
――事の始まりは1年前だった。
上京して大学に入学した年、私はある喫茶店でアルバイトを始めた。その店を初めて訪れたのはその前年、高校3年の修学旅行の時。
コーヒー好きの父の影響で、小さい頃からコーヒーを飲んでいた私はコーヒー専門店とかバリスタに強く惹かれていた。
だから、修学旅行で訪れた東京での自由行動の時間は、行きたかった喫茶店を訪れると決めていた。
その店は、清澄白河の駅から15分程歩いた住宅街の片隅にあった。
オーナーが独りで切り盛りする店は、住宅街にあるにも関わらず中々盛況だったのを覚えている。
オーナーは押切和人さん――と言ったが、彼は私が店にいる間、休みなく働いていた。
私は結局、自由行動の時間一杯をその店で過ごした。1杯を飲み終えるとメニューを見てまた違うコーヒーを注文する――それを繰り返していたら、漸く手の空いたオーナーの押切さんが話し掛けてくれた。
「高校生?随分コーヒーが好きなんだね」
「はいっ!大好きですっ!あ、あのコーヒーとても美味しいです。今日は修学旅行で来て。前からここに来ようって決めてたんです」私は憧れのバリスタからの一言が嬉しくて、一気に捲し立てた。
「そうか、良かったらまたおいで。ところで今日飲んだ中で何が一番美味しかったかな?」押切さんは私の勢いに少し引きながらも笑顔で返してくれた。
「……えっと、どれも美味しかったんですけど。強いて言うなら『今日のブレンド』です。私の口に一番合ってました」
「そうか、それは嬉しいね。豆の調合の腕が問われるからね。ありがとう」
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