想いの結晶

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「今年のバレンタインどうしよっかなー」 「受験あるし、今年は義理渡さなくても良いっしょ」 「まぁそうだけど……」  賑わう駅前のコンビニで、隣に立つ女の子たちが楽しそうに話している。聞く気はなかったが、どうやらふたりとも気になる子がいるらしい。立ち聞きは駄目だと思って、結局何も買わずに店を出た。あたたかい飲み物が欲しかったが、なければなくても良い。 「……バレンタイン、か」  もう年が明けてずいぶん経つ。そろそろあの人に贈るチョコを作らなきゃ、と考えてしまって、必要ないんだと頭を振った。  今日みたいな休日を一緒に過ごす人もいない。友人はそんなに多い方ではないのだ。あまり人との交流が得意ではないし、ひとりはそんなに苦痛じゃない。  けどここ数年、少し背の高い人が隣を歩いていたから、何もない空間が寂しい。 「結婚すると思ってた」  零れた呟きが、冷たいコンクリートに落ちる。あの人から貰ったマフラーの下には、金のチェーンネックレスがある。指輪をひとつ、通しているのだ。  あの日あの人の指に通す為用意した指輪は、いつの間にかなくなっていた。落としたのだと思う。いつでも渡せるようにと後ろ手に隠して、タイミングを見計らっていたから。  ここにあるのはその片割れ。あの人の指に似合う銀の指輪は、白い雪に埋もれて、今はきっと泥に塗れている。  拾う人は誰もいない。 「あの時、何て言ってたんだろ……」  明るい日の下を歩きながら、あの日の夜のことを思い返す。あの人の言葉を、覚えていない。気がついたらあの人はいなくなっていて、私は家に帰った。  けれど、覚えてなくて良かったと思っている。何を言っていたのかは気になるけれど、わすれたままでいい。  忘れたままでいいのだ。  心を亡くせば、痛みは感じない。  ふわふわと足元が雲になったみたいな心地になる。胸に提げた指輪が、冷たく感じる。あの日から、時々こうなる。ふわふわとしたまま、適当な店に入った。何でも揃っている雑貨屋だ。今はチョコレートの匂いが店内を満たしていた。  結局、板チョコを買って、ラッピング用の袋も見繕った。  痛みを感じないのなら、夢を見ることだって怖くない。  この夢はバレンタインデーに終わって、そしたらまた、次の夢を見る。  外に出ると、夕方になっていた。 「あ、おねーさん!」  喧騒が満ちる中、切り裂くように響いたその声に、足を止めた。  自分が呼ばれたなんて思っていない。ただ、大きいのに不思議とうるさく聞こえないその爽やかな声の主が、どんな人なのか気になったのだ。  オレンジに近い茶色の髪を揺らし、心底嬉しそうな笑みを浮かべた少年と目が合った。 「おねーさん、これ、おねーさんのでしょ!」  目が合ったまま拳を突き出されて、面食らう。驚いて思考が鈍ったまま反射的に手を出すと、紺色の四角い箱を乗せられた。 「……これ」 「クリスマスイブの時にね、おねーさんがこれ落としたの見たんだ! けど拾った時にはおねーさんいなくなっちゃってて……」  少年が箱を開ける。その中では、磨かれ輝いている銀色の輪が、ひっそりと息をしていた。 「おねーさんのこと探してて良かったぁ! 今度は落とさないようにね!」  じわりと、視界がにじんだ。目元が熱くなって、俯く。どうしたの、と少年の心配そうな声が聞こえた。  そっか。これを拾ってくれる人がいたんだ。 「ねえ、きみ」  指先で目元を拭いながら声をかけると、少年はこてんと首を傾げた。素直そうなこの少年を見ていると、何故だか心が和らいでいって、自然と頬を緩む。チョコレートが入ったレジ袋が、軽くなった気がした。 「お礼をさせて」  私はあの人の言葉を忘れてしまった。思い出したいけれど、思い出すことが怖い。  だけど、もう、忘れたままでいいや。  少年から受け取った箱をコートのポケットの中に入れる。必要ないものが返ってきた。それだけなのに、あたたかい飲み物を飲んだ時みたいに、体の芯が熱を取り戻していく。  いつかこの指輪たちを捨てる日がくるのだろう。けれどゆっくりでいい。少しずつ、『ひとり』に戻っていく。  私はあの人の言葉を忘れたまま、悪夢から覚めようと思う。
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