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私はゆっくりと中さんに近付いた。
「中さん…」
その呼び掛けに、中さんはこちらをゆっくりと振り向いた。
その顔が今にも泣きそうで、胸が苦しくなる。
「昔な、俺がまだ幼稚園くらいの時、兄ちゃんがヒーローショーに連れてってくれた」
「…うん…」
それは、中さんのお兄さんである一夜さんとの思い出なのだろう。
「俺、物心付いた頃から兄ちゃんが凄い好きで、兄ちゃんも俺を凄く可愛がってくれていた。
兄ちゃんが俺を可愛がってくれていたのは、本当なんだ」
「そうだよね。さっきの一枝さんの言う事は間違ってる」
本人の中さんがそう言うのだから、きっとそう。
なら、一夜さんは弟である中さんが嫌いなんてない。
「…ヒーローショーの帰り。少し前を歩く兄ちゃんの手を、俺は繋ごうと手を伸ばしたんだ。
俺の手が届いた時、さっとその手を振り払われた。
その時の兄ちゃんの顔を見る迄、俺、全然気付いてなかった。
兄ちゃんが俺を嫌いなんだって。
その後、兄ちゃんは何もなかったように俺に笑いかけていて。
嫌われてる事を認めたくなくて、俺も笑い返した」
何か言わないとと思うけど、言葉が出て来ない。
それは中さんの気のせいだなんて事はないのだろうか?
「一度気付くと、分かるようになった。
兄ちゃんが俺に向ける笑顔は、何処か作り物で。
いつも目が俺を拒絶していた」
前に真湖さんが言っていた言葉が頭を過る。
"――中が本当に振り向いて欲しいのは、私じゃなくて、一夜に――"
「中学受験だって、頑張って兄ちゃんと同じ学校に入れば、兄ちゃんは俺の事を認めてくれるんじゃないかって思ってた。
けど、何も変わらなかった」
中さんが中学受験を頑張って名門校に入ったのは、お母さんの為ではなくて、一夜さんに認めて欲しいからだったんだ。
"――なんかな、一つがどうでもよくなると、全部がどうでもよくなった。――"
そして、それが叶わなくて、何もかもどうでも良くなった。
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