手のない女

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 遡ること約半日。  うららかとは言い難い陰湿な冬の午後、講義合間の空き時間にふらりとカフェスペースに顔をだした私は、唐突な黄色い声に迎えられた。 「こ! ざ! き! せんぱーーーーい! ひえぇ見つけたよかっためちゃ探してた僥倖……っ! アタシちゃん僥倖っ! ああーっ、この細くて長い腕! 麗しいお顔! 似合いすぎるウルフカット! まさしく夢にまでみた古嵜(こざき)せんぱいですーっ!」  仰々しい言葉を吐きながら私の腕をガッと掴む女子は、今日もまつ毛がブラシみたいにばっさばさだ。  スカートはフリルのついたピンク。インナーカラーもピンク。妙に小さなリュックもピンク。隙なく過剰にぼってりと化粧を施した顔は、整っているけれど猫に似ていてすこしだけ苦手に感じてしまう。  勿論そんなことをおくびにも出さず――そして先ほど急に腕を掴まれたときにびっくりしすぎて数ミリ飛び上がったことも慎重に隠しながら――私は年下の女子のつむじを苦笑いで見下ろした。 「宇多川(うたがわ)さん、先週もご飯一緒に食べたじゃない。あとここ、休憩スペースだから、あんまり騒がしくしないようにがんばろう?」  珈琲を持っていなくてよかった。そんなものを持ち歩いていたら今頃は彼女の容赦ないアタックを受けて、私のニットとジーンズは甚大な被害を受けていたことだろう。 「うぃっす! サーセンです古嵜せんぱい! でもでも、ほんと良かったもう今週はせんぱいとエンカウントできないんじゃないかと思った……せんぱいなんでサークル部屋に来ないの……」 「え。だってなんか、入りにくいし」 「オカ研の貴重な女子成分なんですよう!? 自覚あります!? 古嵜せんぱいがいなかったら、アタシちゃんとクリバさんのお二人ボッチじゃないですかー!」  栗林先輩のことをそんなあだ名で呼んでいるのはたぶん宇多川さんだけだけど、突っ込んでいたら話が微塵も進まないのでとりあえず彼女を引きずり、できるだけ端の席に座った。  どうやら宇多川さんは私に用事があるらしい、が、午後の講義の時間を考えると場所を移動している時間もない。オカルト研究会の部室は確かに密談にはうってつけだが、私は前途の通りサークル関係のものを避けていた。  個人的な興味があって入会したものの、なんというか……簡単に言うと、『思っていたものと違った』のだ。  私は民俗学や怪談に興味があり、そういうものを調べたり語ったり集めたりする――要するに怪奇談収集のような活動をするのかな、と思っていた。実際に過去の文化祭展示はそういったもののフィールドワークのまとめだったし、チラシにもそのようなことが書いてあったというのに、現状はホラー映画好きが語り合う場だ。どうやら、今の部長が無類のホラー映画好きだったせいらしい。  別にホラー映画が嫌いなわけではないけれど、マニアックな上映会に付き合う時間は徐々に減っていった。  部長の顔が好みだったから、という単純すぎる動機で入会した新入生の宇多川紗由(さゆ)さんは、部長に彼女が居ると分かった今も律儀にサークル活動を続けているらしい。見かけによらず、と言ってはとても失礼なのだけれど、宇多川さんは結構真面目なタイプなのだ。  趣味も違う、見た目も違う、属性も違う、年も一つだけど違う。そんな私なのに、何故か宇多川さんにはひどくなつかれ、サークル外でもしばし捕まることがあった。  例えば今のように、ちょっとした休憩中に大声で呼び止められ、そのままお茶になだれ込む。  講義合間に談笑するような友達もいなければ、すぐに帰って支度を整えてシフトに入るようなバイトもしていない。要するに私は基本的にとても暇なので、宇多川さんに捕まった際に逃げる言い訳もない。それに彼女は私には元気すぎるけれど、知らないタイプの人間の言葉は、少しだけ楽しい。  宇多川さんは、まるで妹のように私を慕ってくれている様子だ。実の妹にすら『お姉ちゃんは本当につまらない』と言われてしまう私のどこが彼女の琴線に触れたのか、まったくわからないのだけれど。  煩くてかわいくて流行の塊みたいな宇多川さん。  私とは正反対の宇多川さん。  いつも大きな声で、にこにこと好きなものの話を繰り返す宇多川さん。――なのだけれど、何故かこの日は彼女の顔に違和感があった。  暫く目を凝らして眺めて、やっと私はその変化に気が付く。  彼女のぼってりメイクの下には、コンシーラーで隠し切れないくらいの深い色の隈が浮いている。 「宇多川さん」 「もぉ~古嵜せんぱいとアタシちゃんの仲じゃないですかぁ~、さゆゆって呼んでー」 「顔色悪い。……何かあったの?」  思わず身を乗り出し、彼女の顔をまじまじと観察する。隈もひどいし、唇の色も悪い。ファンデーションも心なしか浮いている。  なぜか一瞬息を詰まらせた宇多川さんは、『んっひ』という鳴き声のようなものを出した後に椅子ごと身体を引き、胸に手を当てて息をすると、ようやく充血した目を私に向けた。 「イケメン唐突に近寄られると豚みたいな声出るから勘弁……」 「私、女だけど……」 「真のイケメンは性別を超越するんですよ……てか、えっと、そう、そうなんですアタシ最近ちょっと……ていうか相当? ガチで、マジで、悩んでいることがあって、それで古嵜せんぱいに相談っていうかーちょっと聞いてほしい話があるんです」 「私でよければ聞くけど、でも、相談に乗ったこととかないからちょっと不安だな……ほかの友達じゃダメなのかな?」 「だめ。全然ダメ。だって古嵜せんぱい、霊感あるんでしょ?」 「ない」 「うふ。食い気味……。えー、でもだってー部長先輩が言ってましたよー? あいつは絶対見えてるからって。だから今回の廃墟巡り旅行も絶対連れて行くってすごい気合だったのに、せんぱい風邪で寝込んじゃうんだものーアタシちゃんは古嵜クリバ美男美女に挟まれて川の字で眠り青春の一ページを埋めたかった……」 「栗林先輩も私も女だからね? 合宿に行けなかったのは、まあ、その、悪かったかなとは思ってるけどさ。……ていうかあの合宿、廃墟巡りツアーが目的だったの……?」  待って、それは初耳だ。  正直なところちょうど読んでいた本のシリーズが馬鹿みたいに面白くて合宿どころじゃないな、と思って不参加を決めたので、素直に楽しみにしてくれていたらしい宇多川さんには悪いことをしたなぁ、と反省していたのだが。 「そうですよぅ。なんかーネットで集めた最強? 最恐だったかな……とにかくこっわーみたいな場所に突撃しようぜって、珍しくオカ研フィールドワークっぽいじゃん!? って感じのこと言ってたんですよぅ。なんかよく聞いたら映画のロケ地が大半だったみたいなんですけどー」 「それ、宇多川さん行ったの? 心霊スポットの廃墟に?」 「行きましたよ~。行く前はもうすっごい怖かったのに、あそこで誰が何したシーンだとかここで場面転換が入ってカットがこうつながるとかー、映画馬鹿たちがキャッキャウフフしてるせいでぜんっぜん雰囲気出なくて……アタシ別に怖いの好きでもないからそれでいいんですけど、なんか、えーと、……その後、ちょっと変なことが立て続けに起こってて、うーーーーん困ったなーーーーって感じなんですよ……」 「それはつまり」  霊障が起こっている、ということだろうか。  不思議な事、不気味な現象、幽霊や呪いの類。  細かく分類すればすべて別の原因があるのかもしれない。けれど普通の人はそれらすべてを大雑把にまとめて『霊の障り』にしてしまう。  相談がある、と言った割に宇多川さんの口は重い。  もじもじと話しにくそうにしていた彼女だったが、私の目を見て暫く黙り、意を決したように息を吐いた。 「――細長い、女が出るんですよねぇ」  淡々と投げ出された言葉。いつもはムダに声の大きい彼女が、こっそりと囁くように零した言葉が、私の首筋をざらり、と撫で上げる。  女が出る。  なんて気持ちの悪い言葉だろう。  女が居る、ではない。女が立つ、でもない。『出る』などという言葉は、およそ人間に使うものではない。 「なんか、最初はよくわかんなかったんですよ。普通にその辺歩いてたら、遠くの方にですねぇー……やたらふらふらしてる人居るなぁ~てかなんかでっかくない~? うけるーみたいな。でかいって言っても、三メートルあるとかじゃなくて、うーん……古嵜せんぱいよりちょっとおっきいくらい?」 「私、百七十近いよ。それ、十分おっきいとおもう。で、その女の人が宇多川さんに何かするの?」 「いや、なんも。なんもしないんです。なんもしない、ただちょっと遠くでふらっふら揺れてるんです。最初はうーん……二百メートルくらい向こうだったかな? 次は、えっと、駅? のホームの向い? だったかなぁ。やっぱり細長くて、ふらふらしてんなぁー酔ってんの? って思ってたんですけど。えーと、うふふ、気が付いちゃったんですよねぇアタシちゃんてば」  ――あのひと、腕が無いんです。  何でもない風に呟いた声は、宇多川さんの声かと疑ってしまうほど震えていた。 「腕がねー、ない。ないから、ほら、細く見えたんですよね。どこで気が付いたんだっけ、えーと……ホームで眺めてた時かな。こう、肩のところからね、すぱーんって切られたみたいに、ないの。顔はわかんない。遠くて、よく見えない。でも腕のないからだでぐらんぐらん揺れてる女が笑ってるのがわかって、ものすごく怖くなって、いつも無理やり視線外して見ないふりをしてるんですけどね、いやーびっくり。あは。その女、たぶん、――近づいてきてるんですよ、アタシに」  いまではもう、五十メートル先にいる、という。  さて、こんな話を『相談』されても、私には何のアドバイスもできない。  私は怪談に興味がある、と言ったが、幽霊を追い払えるわけではない。所謂霊能者と言われる人間ではないので、普通の人間と同じように『大丈夫? 怖いね、でも気のせいじゃない? もし怖いなら暫く一緒に帰ろうか?』と肩を撫でてあげるくらいしかできないのだ。  しかしそこは宇多川紗由。行動力の化身の彼女は、私に慰めの言葉など求めていなかった。 「なんか、はっきりとしないんですけど、合宿行った後から『出た』気がすんですよね~。と、いうわけで、めちゃくちゃ怖いし寝れないし心身共に気持ち悪くなってきちゃってこりゃやべーわって思うので、霊能者にお祓いしてもらお! って思うんですよ!」 「うん? ……うん。そっか、うん、でもそれができるなら一番良い――」 「というわけで古嵜せんぱい、おっかないのでついてきてくーださい☆」 「……………ん?」  きゃは、と可愛らしい顔で小首をかしげる彼女の顔に痛々しい隈が浮いていなかったら、私はきっとこの時断っていたはずだった。
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