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少し先にベンチがあったので、移動する。竜崎さんとの距離はこぶしひとつ分。何とかこの距離を縮められないか。
だが、何となく言葉を発せずに、見上げた空。すでに陽は落ちていて、ビルの隙間にのぞくオレンジを含んだ群青の空。
俺の地元よりも狭いこの空は、春から俺が見上げる空になる。
思わずスマホを取り出して写真を撮った。
「さすが、増井くん」
竜崎さんの言葉に、我に返った。
「ごめん。俺、つい……」
「そんなに写真が好きなんだ」
「う、うん」
そう返事をしながら、俺は考えた。
確かに写真は好きだ。卒業したら写真の専門学校に行くほどに。だが、さっき撮ったのは、衝動的だった。
「ねぇ、さっき撮った写真見せてよ」
そう言った竜崎さんは、次の瞬間ほんの少しだけ俺の方に近づいた。俺は、さっきの写真を画面に表示させたまま無言でスマホごと差し出した。
手からスマホが離れ、手持ち無沙汰になった俺は空を見上げる。さっきよりも若干群青の割合が広くなった空。驚くほどのスピードで、夜の領域は幅を利かせてくる。
「この写真、LINEに送ってもらっていい?」
「LINEに?」
「増井くんに会いたくなったら、あたしはこの写真を見る」
「だけど、適当に撮ったものだよ。ちゃんとしたカメラは、持ってこなかった」
竜崎さんに送るのなら、家に置いてきたカメラで撮るべきだった。
「でも、この写真を見たら、あたしは今ここで増井くんと見上げた空を思い出せる」
竜崎さんの言葉に、ハッと気づくものがあった。
そうだ、俺が撮ろうとしていたのは、竜崎さんと過ごすこのわずかな空。刻々と色を変えていく、この一瞬の空。
「そっか。竜崎さんにとっても思い出の空になるんだね」
俺は、さっそくさっきの写真を竜崎さんとのトーク画面に送信した。そして、思い切って竜崎さんを抱き寄せた。とっさに身を硬くする竜崎さん。
俺はその緊張をほぐしたくて、言葉を探す。だが、悲しいかな、バカな俺には高尚な言葉なんて思い浮かぶはずもなく、ようやくひねり出したのは陳腐すぎるほどのものだった。
「俺さ、好きなんだよ。竜崎さんのことが」
だが、ふいにぎゅっと力がこめられる。この感触は、俺は竜崎さんに抱きしめられている……。俺は、背中に回る竜崎さんの腕のぬくもりとかすかな息苦しさを堪能した。
「あたしもだよ。増井くんが好き」
さっきよりもぎゅっと抱きしめられて、俺は安心してしまった。
俺が竜崎さんを守りたかったのに、竜崎さんに守られている。だが、それが妙に心地よかった。
しばらく抱き合っていたが、やがてどちらからともなく離れた。
「……帰ろっか」
「そうだね」
立ち上がった俺たちは、駅へ向かって歩き出した。
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