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ミッシング諭吉事件の家族のその後
本当に私の身に起きた、いや… 私が起こしたことだがあれから8年。
家族8人、わだかまりもなく幸せなハッピーエンド とはならず。
ジジババさん(実父、実母)とは別居することとなり家は手放した。
元々、ババさんは周囲も認めるエキセントリックな毒母であったので、彼女の声や足音、怒鳴り声に私の心身が石像化する日々を送っていたのはミッシング諭吉事件以前からだった。
ノックなしに部屋に入ってきて気に入らないことを怒鳴る人なので、私は具合が悪い時などはクローゼットに隠れて寝込んでいた。
私が心の中でババさん(実母)につけた呼び名は「エンペラー(皇帝)」。
エンペラーの暴君ぶりは諭吉事件から更にパワーアップ。
毒母に関してエッセイを書いているのではないので、つらつらと書き連ねることはしない。
私自身の心身を守るため両親(ジジババさん)の財産放棄をし、別居を決断した。親のお金を一円たりとも受け取らない。受け取ってはならない。
ジジさんは消えたタンス預金を蒸し返すことなく前を向いて生き、好きなことも楽しんで92歳で生涯を閉じた。
ジジさんの死亡保険金は受取人が私だったが、諭吉事件後、妻であるババさんに書き換えてもらった。なので、ババさんは一人で生きていくのに困らないほど受け取っているはずである。
おババさん(実母)は私を許さない。
2200万円の返済はしなければならないのか、それが恐怖だったので、父ちゃん(夫)と弁護士に相談した。
結果。
返済義務なし。
同居していた戸建てを売っても、プラスどころか足が出ているので金銭的には楽ではないが、心の安穏が保たれる生活をしている。
直接的にも間接的にも
色んな人に助けられて生かされてると実感した。
直接、恩返しは出来ませんが。
私が出来そうな事と言えば…
HEAVYな出来事もオモロいネタに変換したり、存在がギャグの様なうちの家族が織り成す日々を綴り、飲み物片手に読んだら噴射しそうになるエッセイを書き続けよう! 「ささやかな笑いをあなたに」 それを提供できるように楽しく書こう。
大根足で大地を踏みしめ、
ガッハッハと生きてやるわい。
嬉しがりのはりきり屋さんで今生を謳歌しよう!
と決意したのでした。
もし将来、子孫が存在したら、中身も確かめずに2200万円入りダンボールを捨てたアホな先祖がいたらしい。
そう語り継がれるのだろうか。
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