とんでもないスタート

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*** クラスのホームルームで、担任から彼女の転校が告げられた。 彼女と仲の良かった女子数人がショックを受けていたようだが、恙無(つつがな)くというか滞りなくというか、彼女は慣例的に別れの挨拶を無事に済ませた。 しかも彼女の母親が、車にて学校まで迎えに来ていた。 彼女は級友たちに見送られて、そのまま帰路に着いてしまった。 彼女がいようがいなかろうが俺は放課後には部活がある訳で、なんとも精彩を欠くソワソワとした時間を過ごした。 帰宅の際にはお向かいの彼女の家の前に佇んでみたが、消灯されていて常の生活感が全く感じられないくらいに静まり返っていた。 なんだか急に、本当に彼女が目の前からいなくなるということの現実味が増した気がした。 後で母から聞いたところ、引っ越し準備を全て終えた彼女一家は、本日はビジネスホテルに一泊するらしい。 「お向かいの渡辺さんからね、今まで本当にお世話になりましたって。 アイスクリームの詰め合わせを頂いたよ。 歩実ちゃんが大和によろしくって」 俺が高級アイスクリームのリッチミルク味が好きだということを、彼女は知っていた。 これを食べる時には顔面の筋肉を蕩けさせて、幸せを享受しながら口にすることにしているが。 今日はなんだか……寂しいような悲しいような。 晩御飯の後にもらって食べたが、不覚にも泣きそうになった。 くそぅ、こんなことなら『あいにーじゅー』だけでなく他の小っ恥ずかしい台詞も言ってやれば良かったかなぁ。 「瀬をはやみ~ 岩にせかるる滝川の~……」 「やっかましいわ、あっち行ってろ!」 アイス片手に感傷に浸っていたら、どことなく薄ら笑いを浮かべた弟にそう囁かれた。 俺が小学生の時は百人一首なんて嗜む程度だったのに、このタイミングでそんな『今は別れてしまってもいつか必ず逢おうぜ』的な情熱溢れる歌を詠んでくるとか何事……! 意味が分かってやがるのか。 なんとも鬱陶しい。 「いや~……二人の愛の深さが試されますなぁ、うんうん。 試練はリッチミルクの味~」 「こーら、傷口に塩をなすらないの!」 こまっしゃくれた弟に、母が軽く拳骨を落としてくれた。 母が手を出さなければ、おそらく俺が奴に往復ビンタを食らわしていただろう。
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