Rain

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 もうすぐで定時を迎えるオフィス。彼から連絡が入った。 「傘忘れた。迎えに来て欲しい」  外を見ると、確かに雨がぱらついている。珍しい、と思った。いつも完璧な彼だ。朝から雨なんか降っていなくても、折り畳み傘を常備しているのがテンプレなのに。  時計を見て、「あと20分で定時だから近くのカフェとかで待ってて」と返信した。  彼と出会ったのはこの会社だ。新卒入社した私の教育係だった彼と、初年度の忘年会で一気に仲良くなり、交際1年で入籍した。つまり私たちは職場結婚。  入籍から早くも3年が経ち、彼は課長に昇進、私は今月を終えたら産休に入る。近頃、だんだんと食欲が減ってきている。  今日は午後からクライアント先に行って、そのまま直帰すると言っていた。ラッキーなことに、そのクライアント先の会社は私たちのマンションの近くにある。せっかく早く帰れるチャンスだったのに、雨のせいで足止めを食らっている彼のことを考えると、ちょっと面白い。目の前の仕事を急いで終わらせて、時計を見たら、ちょうど定時だった。  彼が待っていると連絡をくれた喫茶店に向かうと、窓際でコーヒーを飲んでいるスーツ姿の大男がいた。彼がまごうことなき私の旦那だ。声もかけず目の前のソファに座ったら、一瞬驚いたものの、私だと気づいて目が柔らかくなった。 「ごめん、迷惑かけた」 「全然。それより珍しいね、傘忘れるの」 「靴を履くときに置いてきてしまったかな。せっかくだし、なにか飲むか?」 「うん、そうしようかな」  メニュー表を見て、ホットのレモンティーを頼む。店員さんが持ってきてくれてから、彼もそうしているから、同じように窓の外を眺めた。 「身体、きつくないか?」 「今は平気。いつも聞いてくれるね」 「最近ろくに食べてないだろ」 「食べてるよ、大丈夫」 「今日、華の好きなもの食べに行こうか」 「ええ?いいよ、そんな」 「せっかくだから」  さっきから“せっかく”の押し売り。なんか変だな~と思って、目を窓から彼に向けると、外を見ている彼の横顔があって、真正面に見える耳がほんのり赤くなっていた。 「どうしたの?」 「何が?」 「何か隠してる?」 「…隠してないよ」  歯切れが悪い。レモンティーの爽やかな香りが、私の脳をフル回転させてくれる。  まさか浮気?もしくは別れよう的な何か?確かに妊娠したことですっかり夜の方はご無沙汰だけど、だからって私を裏切るようなことをする人だろうか。  もしくは何か病気とか?言えない秘密…。うーん、わからない。傘を忘れたことが恥ずかしいとか、私に迎えに来てもらったことが申し訳ないとか、そんな小さな気がかりであればいいのだけど。  …いや、違う。彼より私の方が出勤は遅いじゃないか。 「そういえば、玄関に傘なんてなかったけど」 「!」 「カバン、貸して?」  手を出したら、バツの悪そうな顔をして、渋々黒い手提げカバンを私に渡してくれる。パソコンや書類、手帳が入っているそのカバンの奥底に、カバンと同じ色した折り畳み傘。恥ずかしそうにさらに耳を赤くする彼。 「せっかくだから、どこか食べに連れて行ってもらおうかな」 「いいのか」  こんなにかわいいことされたら、食欲だって湧いて出てくる。  彼が傘を忘れるなんて珍しい。ましてや、わざと傘を忘れるなんてものすごく珍しくて、ああ、だから雨が降ってるのかもな。 「普通にデートしよって言ってくれてもよかったのに」 「こうでもしないと遠慮して来ないだろ。現にさっきも一度断ったじゃないか」 「確かに」 終
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